不眠の子守唄

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瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』映画と原作の違い【比較感想】

瀬尾まいこの本屋大賞受賞作『そして、バトンは渡された』が映画になったので、観た。原作はすでに読んでいる。

原作をすでに読んでいる映画を観ると、映像化にあたって変化した箇所について、なぜ改変されたのかと考察したくなってしまうのが私の悪い癖である。悪癖なのは承知しているのだが、原作と映画のどちらか一方を読んだり観たりしていて、もう片方を読もうか見ようか悩んでいる方がいれば、参考になるかもしれないのでここに比較した感想を書こうと思う。

 

『そして、バトンは渡された』の原作と映画の違いは、端的に言うと次のような感じである。

小説は淡々としている雰囲気で、映画はそれを脚色して強弱をはっきりさせた感じである。

映画版が小説より脚色が強められるのはよくわることだろうが、この作品でもそうである。ここからは具体的に映画と原作の違いを考察しながら、感想を書いていきたい。

そして、バトンは渡された (文春文庫)

主人公・優子の性格の変化

小説と映画で最も違う点の一つは、主人公である森宮優子の性格である。

原作の森宮優子の性格

原作の森宮優子は、相当あっさりとした性格である

困った。全然不幸ではないのだ。少しで厄介ないことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。いつものことながら、この状況に申し訳なくなってしまう。

という書き出しが示すように。

この文章が念頭に置いているのは、森宮優子は、生まれたときは水戸優子であり、そのあと田中優子となり、泉ヶ原優子を経て、森宮優子になっている、という歴史的事実である。

母親が一回変わり、父親が二回変わり、現在は血のつながらない38歳の父親(森宮さん)と二人で暮らしているという、はたから見ると非常に大変そうな生い立ちにもかかわらず、本人はまったく不幸だと思っていない。

それは優子に関わってきた大人たちの人格が優れていたことも大きな理由だとしても、優子の淡々とした性格ーー何があっても「そういうものか」と思って受け流せる性格あってのものである。

 

もちろん、優子も普通の女子高校生と同様に友人関係や恋愛関係で悩んだりはするのだが、物事を俯瞰して捉える性格で、あまり些事にこだわらない

こういう「俯瞰的でちょっとずれている」ところが、血のつながらない父親の森宮との共同生活がうまくいっている一つの理由である(森宮もちょっとずれている)。

映画版の森宮優子の性格

一方、映画版の森宮優子は、原作に比べると淡々とした性格ではないように思う。

原作でも森宮優子は、誰にでも愛想がいいので一部の女子から嫌われてしまうこともあるのだが、映画版では特にそうである。最初は女子から完全に嫌われている。

 

この辺は完全に好みなのだが、個人的には優子の性格は原作の方が好きだった。

でも原作通りだと、映画の主人公にしては性格があっさりすぎるというのは理解できる。

映画の「みぃたん」

この優子の性格の変化は、映画では「みぃたん」という幼女が出てくることとも関連する。

いきなりネタバレしてしまうと「みぃたん」というのは優子の幼少期につけられていたあだ名なのだが(泣き虫でよく「みぃみぃ」と泣くからつけられたらしい)、これは原作には全くない設定である。

 

映画では冒頭で「みぃたん」と「森宮優子」が別々に提示され、二つの時系列で物語が交互に進み、途中で「みぃたん=優子」とつながる。

 

なぜ「みぃたん」という設定をつくったのか原作を読んでから映画に行くと少し不思議だったが、幼少期の優子と現在の優子の性格の違いを強調するという意味で、「みぃたん」という人格と「優子」という人格に分けているのかもしれないと感じた。

原作では幼少期と現在で性格が変わったような描写はないのだが、映画ではこのような人間としての変化・成長という要素を加えており、そのことを表すために「みぃたん」が登場したのかもしれない。

 

 

梨花の設定

個人的には、優子の性格については小説のほうが好みだったが、優子の母(実際には義母)の梨花については、映画のオリジナル要素が上手く人物像の掘り下げになっているというように感じた。

また、梨花については、映画では演じている石原さとみが圧巻である。もちろん他の役者さんもすごいのだが、石原さとみは特に見事だった。石原さとみファンは見ることをおすすめする。

梨花はなぜ優子を愛したか

話を戻す。梨花は、『そして、バトンは渡された』で非常に重要な人物である。

瀬尾まいこは、代表作の一つである『幸福な食卓』でも小林ヨシコという女性を登場させ、読者に「自由奔放で軽薄な女」というイメージを持たせつつも最終的に物語のテーマの根幹にもかかわるような重要な役割を担わせている。

(余談だが、映画『幸福な食卓』で小林ヨシコを演じた女優・さくらは、今回梨花の夫に一時的になる森宮を演じた田中圭と現実世界で結婚しているので、つながりを感じた)

梨花も小林ヨシコと同じような「強い女性」である。

 

原作でも映画でも「強い女性」であるところは変わらない。

しかし、「なぜ梨花が実の娘でない優子を愛し、ここまで執着したのか」という謎は残る。また、なぜ、梨花は優子のために「強い女性」であることができたのか。

これについては、映画の方が掘り下げている分、印象的だった。

ラストシーンと梨花(※ネタバレ)

でも……。

 

 

 

映画版では、梨花は死亡してしまう。

これについては梨花は死ななくてもよかったのに……。と正直なところ思う。

でも、ここは映画では泣けるシーンになっているので、これでもいいのか。

森宮の性格

最後に、補足的に原作と映画との違いを言うと、森宮が結婚に反対するくだりの印象がけっこう違うように個人的には感じた。

 

これについては、小説の方が掘り下げがある。

森宮は、厳格な家庭で東大→一流企業という「平凡」な人生を送ってきたことへの引け目もある一方で、自負もある。だから、料理人とピアニストの掛け持ちを目指すような男は娘の結婚相手には認めたくない。また、森宮は娘の優子を失うことで、自分の生きる目的がなくなることを恐れているというのもあるのかもしれない。

こうした個人的な事情に加えて、森宮は「父親とはどうあるべきか」ということを考えすぎているせいで、結婚を認められないのだ。

しかし、こうした事情は、あまり映画では読み取れないかもしれない。

 

いずれにせよ、森宮は映画では構成上若干不遇であるので、森宮の扱いに物足りなさを覚えた方は原作を読んでみることをおすすめしたい。

 

 

おわりに

結論を言うと『そして、バトンは渡された』はどちらもおすすめだが、淡々とした雰囲気が好みな人には小説が、もっと起伏あるストーリーが好きな人には映画がおすすめである

すでに書いた通り優子の性格については原作の方が個人的には好みだったのだが、映画版も原作と甲乙つけがたいほど優れていると思う。

映画も非常にうまく脚色されているし、何より映像や俳優の皆さんの演技が素敵だった。

 

興味を持った方は、ぜひ読むか観るかしてほしい。

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