絶対にネタバレしないで映画『君たちはどう生きるか』の感想を書く。
ここまで制作側が事前情報を出さなかった作品についてネタバレをしてしまうのは、その度合いがわずかであったとしても気が引けてしまう。
それに、実は私自身はネタバレをされても一向に構わないと考えている人間なのだが、この映画に関しては製作側の思う壺にはまってしまったのか、ネタバレを見てしまう前にこの映画を見たいと思って公開日に見た。 そういう事情もあり、この記事では『君たちはどう生きるか』について絶対にネタバレをしないで感想を書こうと思う。
ただここであらかじめ述べておくと、「絶対ネタバレなし」というのは物語の筋についてであり、作品の性格については触れる。だからこの文章をご覧いただいて、作品について察しの良い方はなんとなく『君たちはどう生きるか』という作品がどのような作品なのかについて察せられてしまうかもしれない。しかしそれは免責事項としてご了承いただきたい。
それでは、記事の内容に入っていきたい。
『君たちはどう生きるか』の作家性
絶対にネタバレしないで作品の感想を書くための方法として、『君たちはどう生きるか』ではない(が、『君たちはどう生きるか』に通じるところのある)作品の感想を書くという手法を取ろうと思う。
私が『君たちはどう生きるか』という映画を見て連想した芸術作品はいくつかあるのだが、その中の一つが、あだち充の漫画『虹色とうがらし』である。
この二作品について、私はあらすじが似ているから連想したわけではない。あらすじは全く似ていない(というか、両作品とも似た作品をみつけるのはかなり困難であるように思う)。
しかし、両作品は作品の性格が非常に似ていると思うのである。
それはある種の作家性というか、作家が「本来描きたかったもの」が描かれている作品だと思うのである。
あだち充は、一般的には『タッチ』が代表作だと言われているように野球をしばしば題材として取り上げる漫画家である。あるいは『ラフ』のように、野球ではなくても、スポーツを取り上げる。当然スポーツをからめるからには現代劇を描く作家なのだが、実はあだち充自身は落語が好きだったり、時代劇が好きな人物である。
それで『虹色とうがらし』は、時代劇のような作品となっている。
あだち充は時代劇をそれまで(おそらく編集部の都合などもあって)描けなかったが、ついに描けるチャンスを得て、のびのびと『虹色とうがらし』という作品を描いた。
私は『虹色とうがらし』という作品の完成度が、他のあだち充作品に比べて際立って高いとは思わない。しかし『虹色とうがらし』という作品を読んでいると、「あだち充という作家は、こういうものが描きたかったのだろう」という要素が伝わってくる気がするのである。
ところで、あだち充は、宮崎駿以上に繰り返し同じモチーフを作品に登場させる作家である。
「あだち充作品の三要素」として挙げるとするならば(勝手に私が提唱しているだけだが)、
①血のつながらない兄妹
②身近な死者の存在
③スポーツ
の3つがある。これについては必ずしも『虹色とうがらし』に顕著というわけではないのだが、もちろん『虹色とうがらし』にも登場する。
こうした要素の宮崎駿バージョンは各自に思い浮かべていただければと思うが、『君たちはどう生きるか』は「宮崎駿の要素」を詰め込んだ作品であった。
しかし、それが既視感をあらわすのかというと、そうではないのである。
もちろんある部分においては見覚えのある舞台設定なのだが、『虹色とうがらし』があだち充にとって異色の時代劇で新鮮な作品であったように、『君たちはどう生きるか』についても、「宮崎駿っぽさ」はもちろん随所に感じたのだが、まったく既視感というものは感じなかった。
「ああ、そうか、宮崎駿はこういう作品が作りたいのか」という驚きを、観ていて感じた作品だったと私は思う。
おわりに
『虹色とうがらし』は、あだち充の作品の中で最も人気のある作品ではないが、もちろん「この作品が一番好き」というファンは非常に多い。
ここまで『君たちはどう生きるか』の感想を、勝手にあだち充の『虹色とうがらし』の感想という形で述べてきたが、この2つのそれぞれの作家の作品で一番の違いがあるとしたら、それは製作時期かもしれない。
実は『虹色とうがらし』は、あだち充作品の中では比較的初期作品である。そして『あだち充』は、『虹色とうがらし』を描き終えた直後の作品として、(私は個人的には最高傑作だと思うマンガである)『H2』を描き上げるのである。作家が自身の作家性を存分に発揮した作品は、必ずしも大衆の支持を受けられないこともあるだろう。しかし、そうした作品の次の作品こそ、作家性もあり大衆受けもする作品が生まれる可能性が高いのかもしれない。
宮崎駿も82歳とはいえ、このご時世ではまだまだ82歳と言える年齢だろう。クリント・イーストウッドはまだまだ現役だ。
ここまでずっと偉そうなことを描いていてそろそろ自分が恥ずかしく申し訳なくなってくるが、私は『君たちはどう生きるか』の次の作品を観たい。もちろん『君たちはどう生きるか』は宮崎駿の集大成としてもふさわしい作品なのかもしれないが、私はこの作品のエネルギーが次の作品を生んだとしたら、その作品は間違いなく世界史上に残る作品になると思うのである。
なにしろ『君たちはどう生きるか』は、ここまで若々しいファンタジーだったのだから。