『イーヴリン・ウォー傑作短編集』感想ー名作家によるブラックな短編

ウォー傑作短編集

世の中には多く「傑作集」を銘打っている本があり、時たま納得できないものもあるが、イーヴリン・ウォーの『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』(白水社エクス・リブリス・クラシックス)は、個人的には文句なしの「傑作短編集」だ。

このブログでは、これまでもいくつかイーヴリン・ウォーの長編は紹介してきたが、ウォーは短編の名手でもあることをご紹介したいと思う。

イーヴリン・ウォー傑作短篇集 (エクス・リブリス・クラシックス)

イーヴリン・ウォーという人物

『イーヴリン・ウォー傑作短編集』の内容を紹介する前に、あまりなじみがない方も多いかもしれないイーヴリン・ウォーという人物について紹介したい。

というのも、イーヴリン・ウォーの短編には、作者ウォーの経験や思想が色濃く反映されているからである。

イーヴリン・ウォー(Evelyn Waugh)は、1903年に生まれ、1966年に没したイギリスの作家である。

ウォーは出版社の重役を父に持つ、裕福な家庭に生まれたこともあり、貴族意識がある(太宰治や三島由紀夫にも通ずるところがあると思う)。

しかし、自分は爵位持ちの貴族のような「本当の金持ち」ではないということや、次男であることについては、鬱屈した感情を持っていたように思われる。

ウォーは高い教育を受け、オックスフォード大学に進むが、オックスフォードでは放蕩三昧で結局中退する。画家を志すも夢破れ、予備校教師をした後に作家として成功する。私生活では最初の結婚は妻の浮気によって破綻し、心に傷を負い、のちカトリックに改宗している。

また、第二次世界大戦には、中年ながら従軍しており、晩年の作品には従軍経験が生かされている。

こうしたウォーについて、(特に貴族意識が)「いけすかない奴だ」と思った方は、残念ながらイーヴリン・ウォーという作家の作品のすべてを楽しむことはできないと思う。

しかし、こうしたウォーの経歴にどこかで共感できる人は、きっとウォーの作品を楽しむことができるはずである

このような人は、ぜひイーヴリン・ウォーの作品を読むことをおすすめする。

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『イーヴリン・ウォー傑作短編集』のおすすめ

このように『イーヴリン・ウォー傑作短編集』はおすすめなのだが、実際にどんな作品をウォーが書いたのかを紹介しないと説得力に欠けると思うので、『イーヴリン・ウォー傑作短編集』に収録されている短編の中で、私が特に気に入った作品を3本についてその内容を紹介したい。

「良家の人々」A House of Gentlefolks

まさにウォー自身の投影である「オックスフォードを中退した、一定の学はあるがとても裕福というわけではない主人公」が、「本物の良家の息子」の家庭教師になって……という話。

物語は開始当初から不穏な雰囲気を漂わせているが、だんだんと物語はワクワクする話へと膨らんでいき、長編小説の書き出しのようになっていく。

しかし、ウォーは

自然は、怠惰な作家のように、明らかに長篇小説の書き出しにしようと意図したものを、不意に短篇小説にしてしまうことがあるように思われる。

と書いて、この物語をあっさり終わりにしてオチをつけてしまうのだ。メタ的な皮肉も込めつつ、物語を巧みに畳むウォーの筆力はさすがである。

オチの内容も、ウォーお得意のブラックなオチで傑作である。

『イーヴリン・ウォー傑作短編集』の冒頭を飾るにふさわしい一篇。

「〈ザ・クレムリン〉の支配人」The Manager of “The Kremlin”

イーヴリン・ウォーは、「古き良きイギリス」に強い愛着を持ち、現代の陳腐さを嫌悪した作家である。

ウォーは換言すれば保守主義者であり、ウォーの初期の作品はところどころ差別的であったりして現代的には不適切な描写も見受けられることは否めない。しかし、ウォーの保守主義とは多くの場合は「懐古主義」であり、ウォーの作品の過去への郷愁やノスタルジーには、共感できる人が多いのではないだろうか。

ウォーの長編では『回想のブライズヘッド』が特に過去を主題にしたように、短編「〈ザ・クレムリン〉の支配人」も、過ぎ去ってしまった時代や今はもう手に入れられないものへのノスタルジーを感じる名短編である。

この短編は描写も見事で、とくに食事シーンは2015年10月28日に『ガーディアン』紙が選出した「文学作品における印象的食事トップ・テン」にランクインしているらしい(本書解説による)。

「ディケンズ好きの男」The Man Who Liked Dickens

この話もブラック。というよりホラーといってもいいかもしれない。

主人公は妻に不倫され、イギリスを離れて南米への探索隊に加わることになる。

(ウォーは妻の浮気に苦しんだ人物であり、不倫は多くの作品でモチーフとなっている)

そこで主人公は遭難してしまうが、運よく英語を解する人間に出会う。この現地在住人は、ディケンズ(もちろん、『荒涼館』『大いなる遺産』や『クリスマス・キャロル』などで有名なイギリスの国民的作家のこと)をこよなく愛していた。

この「ディケンズ好きの男」に生殺与奪の権を握られた主人公は…… というストーリー。

この現地在住人(=ディケンズ好きの男)は、ウォーの父親がモデルらしい。ウォーの父親は、毎日ディケンズを読み聞かせしてウォーを辟易させたとか。また、ウォーは兄アレック(ちなみに彼も作家である)ばかり贔屓する父に対しては複雑な感情があったらしい。

(そんなイーヴリン・ウォー自身も、自分の息子からは反発されていたらしいが……。)

父親をモデルとしていることもあってか、「ディケンズ好きの男」の人物描写は秀逸

またこの短編は、ラストも傑作である。作者自身も気に入っていたのか、ウォーは後年、長編『一握の塵』のラストに、この短編のラストを流用している。

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おわりに

ここまで色々と書いてきたが、イーヴリン・ウォーは個人的にはものすごくおすすめの作家であり、ぜひ多くの方に読んでほしいと思う。

ただし、最初に書いたようにウォーは典型的な富裕な中産階級の作家であり、馴染めない人には馴染めない可能性がある。

イーヴリン・ウォーは、存命中は彼自身の気性の激しさや保守思想もあって、イギリス本国では毀誉褒貶の激しい作家だったらしい。たしかにイーヴリン・ウォーの作品には、彼が嫌われた理由の片鱗を感じることもある。痛烈な皮肉などはまさにそうだ。このブラックユーモアが面白い人には面白いのだが。

しかし美しい作品も多く、また作家としての実力は確かである。ウォーは長編のみならず、短編も面白い。興味を持った方はぜひ読んでみてほしい。

▼『イーヴリン・ウォー傑作短編集』は、ウォーの没後50年を記念して2016年に刊行された。現在のところ、電子版は無し。興味を持った方は品切れする前に購求することをおすすめしたい。

▼ペンギンクラシックスのイーヴリン・ウォー短編集(Kindleだとめちゃくちゃ安い!)

▼現在、ウォーの第二次世界大戦後の代表作『誉れの剣』が本邦で初めて翻訳されており、刊行中である。

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