メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』(原題は『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』)という小説を、自らが女性であることを隠して刊行したのは1818年のことだが、それから200年以上が経ってからも、この小説は非常に現代社会に対しても示唆に富んだものである。
ちなみに「フランケンシュタイン」といえば、ツギハギの怪人というイメージが定着してしまっている。だが、ご存じの方も多いだろうが、原作小説において、「フランケンシュタイン」は怪人を生み出した博士の名前である。
この小説で、怪人は単に「怪物」とだけ呼ばれる。
ツギハギのイメージは、1931年にユニバーサル・ピクチャーズが製作した映画『フランケンシュタイン』があまりに強烈だったために、今にいたるまで定着してしまったようである。原作で「怪人」がどのような見た目だったかについては、後述したい。(ちなみにこの映画でも怪人は「The Monster」と呼ばれており、「フランケンシュタイン」とは呼ばれていない)
話が逸れてしまったが、『フランケンシュタイン』は、後年製作された映画で描かれた怪人のイメージによって現代でも広く知られている小説であるが、この小説は私は現代の社会にも通ずるところがあるのではないかということである。
というのも、『フランケンシュタイン』という小説で描かれた「怪物」こそ、例えば「無敵の人」と呼ばれるような現代社会が生み出した「怪物」と非常に似ていると思うからである。
『フランケンシュタイン』登場人物・あらすじ
『フランケンシュタイン』登場人物
はじめに『フランケンシュタイン』という小説のあらすじを紹介する前に、登場人物について整理したい。
ロバート・ウォルトン…北方探検隊の隊長で、この小説の語り手にあたる。姉・マーガレットに探検の様子を手紙で送る。衰弱したヴィクター・フランケンシュタインを助け、彼が怪物を生み出し、そしていかにして怪物と因縁の関係になったのかを聞く。
ヴィクター・フランケンシュタイン…怪物を生み出した張本人。ドイツのインゴルシュタット大学で自然科学を学び、生命の神秘に魅せられる。
エリザベス:ヴィクターの両親の養女で、ヴィクターの婚約者。ヴィクターが守ろうとした人物である。
ヘンリー・クラーヴァル:ヴィクターの幼なじみ。
『フランケンシュタイン』あらすじ
それでは、フランケンシュタインという小説のあらすじについて紹介していきたい。
登場人物紹介でも書いた通り、この小説の語り手にあたるのはロバート・ウォルトンという人物であり、この小説は彼が姉に書き送る書簡体小説という形をとっている。(そのためこの小説の冒頭部分は手紙なので、あまり面白く読めないかもしれないが、ここは我慢して流し読みしてほしい)
ウォルトンは北極探検中、衰弱した男性を助け出す。
この男性の名こそ、ヴィクター・フランケンシュタイン。ウォルトンはフランケンシュタインに尊敬の念を抱き、介抱する。
なぜフランケンシュタインは北極海にいたのかーー。フランケンシュタインはウォルトンに対して、自らの過去を語りだす。
フランケンシュタインは若い時、ドイツのインゴルシュタット大学で生物学を学んでいた。そして、生命の神秘に魅せられたフランケンシュタインは、生命を生み出す方法を発見する。
生から死へ、死から生へと変化する因果の過程を細かいところまで調べて分析す るうちに、 この闇のなかから突如として一筋の明かりが見えてきました。
……
これまであれほど多くの天才がこの分野を研究してきたのに、わたしだけがこれほど驚くべき秘密を発見するとは!
こうしてフランケンシュタインは生命を生み出す。だが、生まれたのは、見た目が醜悪な“怪物”だった。
ああ! あの恐ろしい顔に耐えられる人などいないでしょう。
蘇ったミイラでも、あれほどひどい顔はしていないはずです。
ちなみに、フランケンシュタインが生み出した怪物は原作ではどのように描写されているのかというと、
黄色い皮膚は、
その下にある筋肉や動脈の動きをほとんど隠すことはなく、 髪の毛は黒く光って流れるようで、歯は真珠のように真っ白です。 しかしこのような輝かんばかりの特徴も、 潤んだ目をよけい恐ろしく際だたせるばかり。 その目は陰鬱な薄茶色の眼窩とほとんど同じ色ですし、 やつれた顔やまっすぐ引かれた黒い唇も、 やはりおどろおどろしく見えるだけです。
というような具合である。
個人的に小説の描写からは、怪物の姿について、『進撃の巨人』における巨人(進撃の巨人)をよりおぞましい見た目にし、身体のバランスを不均整にしたようなイメージをしている。
怪物は容貌こそ醜かったが、高い知性を持つ。ヴィクター・フランケンシュタインは、自らが生み出した怪物に恐れをなして、故郷に逃亡する。
だが、怪物は生き延びた。そしてーー
『フランケンシュタイン』考察
以上が『フランケンシュタイン』の前半のあらすじである。ここからは、小説の後半部分の展開も紹介しながら、『フランケンシュタイン』という小説が描き出した現代社会に通底する問題について考えていきたい。
怪物がつかみかけた希望
自らの“親”であるヴィクター・フランケンシュタインに見捨てられた怪物は、ある山奥の小屋に暮らす盲目の老人と兄妹の暮らしを隠れて見ることで、人間の言葉を習得し文化を学ぶ。
言語をマスターした怪物はついに、盲目の老人との接触を試みる。だが、老人と接触を果たしたところで家族に見つかり、怪物はそれまで生活を盗み見て高潔な人間だと兄妹から手ひどく追い出されてしまう。
怪物にとって不運だったのは、見た目によって判断されない最大のチャンスだった盲目の人間との接触を、最初に果たすことができたにもかかわたず、失敗してしまったことである。
ところでフランケンシュタインという作品がどれくらい造形に影響を与えているのかはわからないが、『ドラゴンボール』に登場する「魔人ブウ」は、自らを外見で評価しない盲目の少年と出会ったことにより、善性を得ていく。だが、フランケンシュタインの怪物は、その機会を得るどころか苦い経験をする羽目になってしまった。
こうして「怪物」は、人類への憎悪を募らせてしまう。
「無敵の人」と化した怪物
怪物は、もとより何も失うものがない。だから怪物は「無敵の人」と化す。
だが、怪物を人類への憎悪から救う手段は一つだけあった。怪物はフランケンシュタインに、こう要求する。
(ちなみに小説のフランケンシュタインと怪物の対話は、どれも非常に読みごたえがあり、ぜひ原作を読んでほしい)
おれは答えが欲しいのだ。何の絆も愛情も得られないというなら、
憎しみと悪徳を手にするより仕方ない。愛してくれる者がいれば、 罪を犯す理由もなくなる。
つまり、怪物は「つがい」を求めるのだ。社会への憎悪を募らせた人物が「自分を愛してくれる人」を求めるというのは、現代社会にも通づる面がある。
フランケンシュタイン、あるいは現代のオッペンハイマー
ヴィクター・フランケンシュタインは、怪物のためにつがいを作ろうとするが、しかしその直前でもう一人の怪物を生み出すことに恐れをなし、放棄する。そして、怪物との交渉は完全に決裂する。
『フランケンシュタイン』という小説の本来のタイトルは、冒頭にも示した通り、『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』である。
プロメテウスとは、ギリシア神話でゼウスの反対を押し切って人類に「火」を与えた神である。だが、人類は「火」という利器を手に入れたと同時に、その火を使って戦争をするようになってしまった。しばしば科学技術人類への警句として、この神の名前は引用される。
東日本大震災後、約5年間にわたって朝日新聞で掲載された「プロメテウスの罠」という連載もそうであるし、クリストファー・ノーランによる映画『オッペンハイマー』でも、原子爆弾を生み出したオッペンハイマーをプロメテウスになぞらえる場面が見られた。(映画の原作とされる小説の原題はまさに“American Prometheus”「アメリカン・プロメテウス」である)
人類は、自らが生み出した技術にどのように責任を取るべきなのか。近い将来、遺伝子を改造した子どもが生まれることになるだろうが、果たしてフランケンシュタインの二の舞にはならないだろうか。
怪物と反出生主義
そして怪物は、ヴィクター・フランケンシュタインへの復讐のために殺人を続ける。
あいつが、おれをつくりあげ、口にできないほどの苦痛を与えてくれたあの張本人が、幸福を手にしようと願っている。おれにさんざん惨めな思いをさせて絶望させたやつが、自分だけは喜びを得ようとしている。おれにはそんな喜びは望むべくもなく、永遠に閉め出されたままなのに。
フランケンシュタインは、怪物を生み出した責任がある。
苦しむことが約束されている人生なのであれば生まれてこない方がよかったのではないか、親の生み出した責任はどう考えるのか。怪物の主張は、現代の反出生主義にも通じるところがある。
そして、また怪物とフランケンシュタインは対決することになるーー。
おわりに
『フランケンシュタイン』という小説は、現代社会にも深い問いを投げかける小説である。
人間は、自らが生み出したものにどう向き合うべきなのか? あるいは、人間はこの世に生を享けたものとしてどう生きるべきなのか? 何も失うものがなくなった存在に対して、人間は何をできるのだろうか?
それは200年以上前に、メアリー・シェリーが問いかけ、今もなお解決していない問題なのである。
また記事中でも書いたが、この小説でぜひ読んでほしいのは、フランケンシュタインと怪物の対決である。ぜひ、フランケンシュタインという作品に興味を持った方は、原作を読んでみてほしい。
▼本記事は光文社古典新訳文庫版に基づいた
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