教皇選挙

【感想・考察】『教皇選挙』で教皇名インノケンティウスが選ばれた理由

映画『教皇選挙』をいまさらながら見た。

ただの話し合いを描いている映画だが、うごめく策謀によって刻一刻と状況が変わるさまや、揺れ動く人間の心理の描写が面白く、全く飽きない映画だった。

もっとも、この映画を見ていた時の率直な感想としては、

「聖職者たちがこんなドロドロした戦いをしていていいのだろうか…」という思いを抱いたり(もっとも、実際にコンクラーベに参加した枢機卿によると、コンクラーベはここまでドロドロしておらず和やかな雰囲気のようだ)、

「結局、権力を持った中高年男性たちが争っているだけだな」という感想を抱いたり(これに関しては、現在も女性の枢機卿は認められていないわけで、実際のコンクラーベについてもそうだといえるだろう)、

というような、すこしモヤモヤとした感想も湧いてくるのだが、ラストでそれを見事に吹き飛ばしてくる。そのカタルシスは見事である。

 

また個人的な感想としては、この作品で教皇名が登場する部分で、「なるほど」という興奮を覚えた。

この記事にたどり着いた方はほぼ全員が『教皇選挙』を最後まで見た方だと思うが、この作品では「インノケンティウス」という新教皇が登場する

だが、なぜ新教皇の名はインノケンティウスだったのだろうかーー。この記事では、この映画における「インノケンティウス」という名前の意味について考えてみたい。(※記事本文にはネタバレを含みます)

教皇選挙

新教皇インノケンティウスの理由

この記事では、『教皇選挙』のストーリー、つまりコンクラーベの推移については特に書かないが、新教皇インノケンティウスについては、どのような人物なのかを触れておかないといけない。そのため、ピンポイントで物語の結末部分について紹介したい。

新教皇の特徴

インノケンティウス14世として教皇の座につくのは、物語序盤で謎の枢機卿として登場した、ベニテス枢機卿である。

ベニテス枢機卿はアフガニスタンなどの戦地での布教活動を行ってきた人物だった。ストーリー終盤、テロ事件を機に、他宗教に対しての強硬的な演説を行った保守派のある枢機卿に対して、ベニテスは戦争が何かを知っているのかと問う。そして支持を得て、教皇の座に就くことになる。

しかし、物語の実質的な主人公であるローレンス主席枢機卿は、過去の通院履歴(ただし、最終的にベニテスは通院しなかったようだ)から、ベニテスに健康問題があるのではないかと疑っていた。

この通院計画の理由は、物語最後に判明する。ベニテスは実は両性具有であり(ベニテスは生まれてからずっと男性として育ってきたが、手術を受けた際にこのことが判明する)、卵巣などを切除する手術を受けようとするが、しかし、その必要はないと判断し手術は受けなかったというのが真相である。ローレンスは絶句するが、受け入れる。

そしてベニテス枢機卿は新教皇就任にあたって、ローレンスに対し、教皇名を「インノケンティウス」にすると明かす。これを聞いたローレンスは、一瞬はっと驚いた表情を見せるが、インノケンティウスという名を名乗ることをよい選択だと称賛する。

世界史上のインノケンティウス

ローマ教皇がどのような教皇名を名乗るかは、どのような教皇になるかの意思表示である。ヨハネ=パウロ2世は在位わずか33日で帰天したヨハネ=パウロ1世(この死については暗殺説も根強い)に因んでいるし、2025年5月に教皇の座についた現教皇のレオ14世は、その教皇名について、第二次産業革命期に労働者の権利の保護に尽力したレオ13世(在位:1878-1903)に敬意を表し、AIの発達により予見される労働環境の変化に対応するという決意を表明した。

つまり通例、教皇名を決めるにあたっては、過去に同じ教皇名を名乗っていた教皇と同じような方向性を目指すということが多いといえるだろう。

では、「インノケンティウス」と名乗った教皇には過去にどのような教皇がいたのか。世界史を学んだものとしてまず思い浮かぶのは、インノケンティウス3世(在位1198-1216)である。

美術史的には、インノケンティウス10世(在位1644-1655)の名前も思いつく。インノケンティウス10世といえばベラスケスの肖像画で有名であり、さらにフランシス・ベーコンが1953年に描いた「ベラスケスの『教皇インノケンティウス十世像』による習作」は、古典絵画を再解釈した現代美術としてもっとも有名で価値のある作品といっても過言ではない(下記リンク:フランシス・ベーコン財団HP)。

中野京子さんの『怖い絵』でも「ベラスケスの『教皇インノケンティウス十世像』による習作」は紹介されているので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

インノケンティウス10世はその肖像画以外の部分でもメディチ家との関係などで有名だが、インノケンティウス3世の話に戻ると、この教皇派「教皇は太陽、皇帝は月」という世界史の教科書にも必ず登場する言葉で知られるように、教皇権の絶対的優位性を主張した強権的な教皇だった。

世俗権力への積極的な介入を行い、十字軍を推進し、異端審問を組織化した人物でもある。一見すると、穏健で慈悲深いベニテス枢機卿とは正反対の性格に思える。

ローレンスが「インノケンティウス」と聞いて驚いたのは、ベニテスに対してインノケンティウスと名乗った過去の教皇との共通点が見つけられなかったからではないかと思う。

「無罪」の象徴として

だが、一度驚いたローレンスが、「インノケンティウス」という名前をベニテスにぴったりの名前だと思い直したのはなぜか。

それは、「インノケンティウス」という教皇名の語源と関係しているのではないかと思う。「インノケンティウス」は、英語では「Innocent」、要するにイノセントである。「無垢」「純潔」「罪なき者」を意味する。

この映画の監督のエドワード・バーガーは、「インノケンティウス」という名前について、次のように述べている。

It’s a name of purity without any preconceptions. You see it in children—they have no bad experience, they’re theoretically only positive, only open towards others. They have no prejudices. They’re innocent.

それは、先入観のない純粋さを象徴する名前です。子どもたちにそれが見られます――悪い経験はなく、ポジティブで、他人に対してひたすらオープンで、偏見がなく、純真無垢です。

出典: Conclave Ending: Why Does The New Pope Choose The Name Innocent Explained By Director

ベニテスは両性具有という秘密を抱え、教皇の座に就くことになる。

そのことを、偽りだと考える人もいるかもしれない。しかし、ベニテスは“有罪”なのではなく“無罪”である。

ベニテスが卵巣を切除しなかったのも、「その必要がないと考えた」からであったが、これも、罪があるというわけではないから手術を受ける必要はないと考えたからではないかと思った。

おわりに

ここまで『教皇選挙』という映画について書いてきたが、ただ、もし両性具有の人物が教皇に就任するということが実際に起こったとしたら、私はカトリックではないのでなんとも言えないところではあるが、かなりのスキャンダルだろう。そういう意味で、この作品は創作にしかできないものを描いたと言えると思う。

日本でも女系天皇についての議論が昨今取り沙汰されているが、カトリックも枢機卿には男性しかなれないというのは変わる日が来るのか。そのような問題も、この作品は社会に投げかけている。

インノケンティウス14世・ベニテス枢機卿という、両性具有という身体的特徴を持つ彼の存在自体が、従来のカトリック教会の性別観や人間観に対する問い直しを迫るものであり、彼はある意味でインノケンティウス3世以上に革命的な「改革」を世界に強いる存在になるかもしれない。もしかすると、そのような強い決意も「インノケンティウス」という名前には含まれているのかもしれないと思った。

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