英国流のブラックユーモア小説ーイーヴリン・ウォー『大転落』【あらすじ・感想】

大転落

イーヴリン・ウォーという小説家は、日本ではそこまで有名ではないかもしれないが、イギリスでは『情事の終り』などで知られるグレアム・グリーンと双璧とされるカトリック作家であるという。

過去にこのブログでも紹介したウォーの代表作『回想のブライズヘッド』は、過ぎ去った時代へのノスタルジーを主題とした小説だが、カトリック的な価値観も重要な作品である。

しかし、カトリック改宗前のウォーは、ユーモアの効いた風刺喜劇を多く書いている。

デビュー作の『大転落』 (『Decline and Fall』衰亡記)は、まさにそのようなブラックユーモア小説である。読んでいて笑いを抑えられないような「娯楽小説」ではないのだが、この小説の「いかにもイギリス的な風刺」は、だんだんと癖になってくる。

大転落 (岩波文庫)

『大転落』あらすじ解説

はじめに『大転落』のあらすじを少しばかり紹介したい。

この小説の主人公は、ポール・ペニフェザーという、聖職者を目指す、オックスフォード大学の神学部で学んでいる学生である。

彼は名門・オックスフォード大学の学生ではあるが、周囲の学生と違って上流階級出身というわけではない。

そんな彼は、ボリンジャー・クラブという上流階級の学生たちの悪ふざけに巻き込まれて、罪をかぶってしまう。

「思いっきり重い罰金を課してはいかがかと」

「しかしね、払えるのかね? 彼はあまり裕福じゃないという話だが。(中略)退学処分にするほうがはるかに妥当だと思うがね。ああいう学生はこのカレッジの名誉にはならんよ」

ポール・ペニフェザーは言われるがままにオックスフォードを去るが、この退学のせいで父の遺産を相続する権利を失い、また結婚話などは立ち消えになってしまう。

遺産を得られなくなったポールは仕事を探す。

「素行不良で退学処分……というわけですか。別に問題にはならないと思いますですよ。まあ、表向きはですね、うかがわなかったことにいたしましょう。そういうのは〈一身上の理由につき課程未修了〉と申しましてね、ええ」

教員派遣所チャーチ・アンド・ガーゴイル社のレヴィ氏はそう説明して、電話に向かった。

ーーこうして彼は無名の私立学校での教職を見つけ、新しい生活をはじめる。

赴任した学園では色々と荒唐無稽な出来事が起きる。運動会などのイベントで、ポールは周囲に振り回される。

その夏休みに、ポールは生徒の母で大富豪のマーゴット・ベスト=チェトウィンドと急接近し、結婚することになる。

しかし結婚式当日にマーゴットの罪をかぶって逮捕され、刑務所に入れられて……

ーーというような話である。


 

『大転落』感想・考察

以上のように『大転落』は、「未来が確約されていたはずの青年の転落」の物語である。

この小説の面白さは、どんどんと転落していく様をブラックユーモアたっぷりに描いたところにある。最初に書いたようにユーモアのクセが強いので万人受けするとは言えなそうではあるが、英語版Wikipediaを読む限りイギリス本国ではこの小説を人生最良の書としている人も多いらしい。

日本人でも、この小説のユーモアのセンスと波長が合う人にとっては、ものすごく面白い小説であるはずである。

私は正直に書けばウォー作品では『回想のブライズヘッド』の方が好みではあったが、『大転落』のユーモアもかなり楽しめた。

しかし、ここでは面白さについての紹介はこのくらいにしておいて、この小説のテーマについて少し考えてみたい。

「異質者」ポール・ペニフェザー

主人公ポール・ペニフェザーが特徴的なのは、彼があまりにも受動的なところである。

ポール・ペニフェザーは主人公になんきゃなれるわきゃない

と作中でも評されるように、ポールは周囲に振り回されるばかりであって、彼自身は何も主人公らしい行動や決断をしない。(たまに悪態をつくことはあるけれど)

ポールの行動は周りに言われるがままで、ポールの「大転落」の理由はそこにもある。しかし、そのような「実体のない」ポール・ペニフェザーが、不思議なブラックユーモアを生み出しているのは事実である。

作中でのポールの立ち位置をうまく表現しているのは、次の台詞だと思う。

男と女に分けるみたいなバカなことやめて、人間は静止型と運動型に分けるべきなんですよ。

ポールは「静止型」の人間である。

ポール自身は「静止型」の人間なのに、「運動型」の人々たちの集まるところに行ってしまったから、振り回されて転落する羽目になってしまったのである。

ーーというのが一つの見方である。

この台詞は、私たちの生活に当てはめてみても示唆に富む。「静止型」の人間は「静止型」の人間とつきあった方が良く、「運動型」の団体や組織にがんばって入ろうとしても、あまり良いことはない。もちろん、逆もまた然りだろう。

もしかすると本当に人間というものは「静止型」と「運動型」に分けるべきなのかもしれない、と思わせる。

しかし、ポール・ペニフェザーが作中でどこか周囲から浮いているのは、彼が「静止型」であるからという理由だけではない。

それを表すのは次の台詞だ。

ねえ、ポール、あなたがぼくらみたいな連中の世界にまき込まれたこと自体が間違いじゃなかったかって思うんですよ。

前述したとおり、ポールは上流階級に属する人物ではない。

しかしベスト=チェトウィンドなどは上流階級であり、こうした人物とポールが付き合ったがゆえに、ポールは転落してしまったーーいや、転落させられてしまったのである。

ポールは上流階級の人々と交際してはいけなかったのだ

作者ウォーは知識階級に属する人物であるが、『大転落』には、階級社会への風刺があるのだろう。

『大転落』と『カンディード』

ところで受動的に運命を受け入れるポールについて、岩波文庫の解説にはフランスの代表的啓蒙思想家ヴォルテールによる小説である『カンディード』 を彷彿させると書いてあるが、私もそのように感じた。

『カンディード』の主人公カンディードは、「すべての物事は善である」という「楽天主義」を幼少期から教え込まれた純真無垢な青年であるが、領主の親戚としての生活を失い、過酷な社会を目の当たりにすることで「すべての物事は善である」というのは真なのかについて疑うようになっていく物語である。

ポール・ペニフェザーも、物語当初はあっさりと他人に言われたままの行動を選択するのであるが、物語が進むにつれて次第に「何かおかしいな」という違和感を感じるようになっていく。

主にポールが疑いを持つようになっていくのは、上流階級の人々についてである。

結局ポールは「そういうものなのかもしれない」と貴族階級の人々の論理を是認してしまうのだが、読者としては「それでいいのか」という気がしないでもない。しかし、それでこそポール・ペニフェザーという人物なのだから仕方がないのかもしれない。

だが、この作品が描くのは「上流階級の人たちもクズばっかりである」というような「社会っておかしいところがあるよね」という風刺であるのだと思う。

『カンディード』が実際の世界の過酷さを表現したように、『大転落』も実際の世界の醜い部分を表現しているのではないだろうか。


 

おわりに

この作品はユーモア小説なのだが、何度も書いているように爽快な笑いではなくブラックな笑いである。

理不尽に振り回されるポールは最後まで変わらず、それが面白さではあるのだが、物語の中で溜飲が下がることはないので、人によっては後味の悪い作品かも知れない。

だが、この作品が描く「社会の変なところ」につうて共感できる人とっては、この小説は間違いなく「最良のイギリス流のブラックユーモア小説」なのだとと思う。

▼岩波文庫版は2020年に紙で復刊されたので、記事投稿日時点では入手しやすいけれど、再び品切れになることもありそうなのでぜひお早めに。

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