ジーン・リース『サルガッソーの広い海』あらすじ・感想ー名作と植民地の暗部

サルガッソーの広い海

「世界で最も評価されている二次創作」は、もしかするとジーン・リースの『サルガッソーの広い海』という小説かも知れない。

モダン・ライブラリーの「Modern Library 100 Best Novels」にも選ばれているこの小説は、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の前日譚を「現代的な立場」から描いた小説である。

『ジェーン・エア』は言わずと知れた19世紀イギリスの恋愛小説だが、主人公ジェーンが幸せをつかむため(すなわち、ロチェスター卿と結婚するため)には、「ある障壁」を乗り越える必要があった。

その「障壁」とは、ロチェスター卿がかつて結婚した妻で現在は精神病を患っているため隠匿されているバーサ・メイスンの存在である。当時のイギリスにおいて離婚することは不可能に近く、バーサがいる限りジェーンとロチェスターは結婚できなかったのである。

『ジェーン・エア』は最終的にバーサという「問題」を克服することによってジェーンとロチェスターは結ばれるのであるが、それはバーサの立場からするとどうなのだろうか? という疑問もわいてくる。

この疑問をテーマとした作品こそが、『サルガッソーの広い海』なのである。今回はこの小説について紹介したい。

サルガッソーの広い海 (ジーン・リース・コレクション)

『サルガッソーの広い海』あらすじ解説

『サルガッソーの広い海』の主人公は、アントワネットという女性(のちのバーサ・メイスン)である。

物語は三章構成である。

第一章は、アントワネットの少女時代である。

アントワネットは、カリブ海のサルガッソーに暮らす、かつての奴隷所有者の末裔である。

アントワネットは白人だが、植民地で生まれた白人であるとして、本国イギリス生まれの白人たちからはさげすまれている。また時代は奴隷解放後であり、島に暮らす黒人たちからも憎悪を向けられいている。

アントワネットの父はすでに他界しており、母と障害を持った弟と暮らしている。母は、イギリス本国出身の男・メイソンと再婚する。メイソンは、アントワネットの母の資産をねらっていたのである。

メイソンは、植民地の作法がわからない。そんなメイソンの失言もあって家族はさらに黒人たちから憎まれてしまい、屋敷に火をつけられる。

この火事によって弟は死亡し、これをきっかけに母は精神を病んでいってしまう。

こうしてアントワネットは、寄宿学校で成長していくことになる。

第二章は、アントワネットとイギリス出身の夫・ロチェスターの新婚旅行から始まる。

ロチェスターはイギリス出身の貴族ではあるが、家督や財産は自分ではなく兄が相続することになっているため、自分自身は豊かでないはぐれものである(これらの設定は『ジェーン・エア』と同じ)。

ロチェスターも、アントワネットの義父・メイスンと同様に植民地に馴染むことができない。またロチェスターは、植民地に染まっているアントワネットに嫌悪感を覚えるようになる。

そんな折に、アントワネットの異母弟を名乗るダニエルという男がロチェスターに接触する。ダニエルは、アントワネット自身や家族の過去の噂を吹聴して彼女の評判を落とし、また金銭を要求する。

アントワネットに疑いの目を向けるようなロチェスターは、アントワネットを連れて、イギリス本国へ戻ることを決断する。

またロチェスターはアントワネットのことを本名の「アントワネット」ではなく「バーサ」や「マリオネット」と呼ぶというハラスメントを行うようになる。

第三章は、短い章であるが、アントワネットとロチェスターがイギリスに向かうところから始まる。偶然にも兄が亡くなったことで、ロチェスターは財産と屋敷を得る。

ーーここからは、『ジェーン・エア』で語られている時代となる。

バーサは屋敷に幽閉され、そして物語は結末へと向かう。


 

『サルガッソーの広い海』感想・考察

『サルガッソーの広い海』は、以上のような小説である。

最初に述べたように、この物語は『ジェーン・エア』を別の視点で描こうとした作品である。

『ジェーン・エア』の読者は、物語の最後でバーサ・メイスンという最大の障壁が克服されたことに安堵する。

しかし、それはバーサ、もといアントワネットにとっては不幸でしかなかったのである。

このように、ヴィクトリア時代の典型的な小説である『ジェーン・エア』をまったく違う観点から描こうとしたところに、この作品の意義がある。

この小説において、ロチェスターは「破壊的な植民者」なのである。

ロチェスターは批判されるべき「帝国主義の象徴」であり、また「家父長的な男性」であるのだ。だから『サルガッソーの広い海』はポストコロニアリズム(脱植民地主義)の小説であり、フェミニズムの小説であると言われる。

だが、アントワネットはロチェスターと結婚せず、植民地に残っていれば幸せだったのかというと、そうではない。

物語中でしばしば書かれる「白いゴキブリ」という強烈な言葉に表されるように、植民地の白人(=クレオール)は存在自体が蔑視されていたからである。

作者ジーン・リースはカリブ海のドミニカ出身のイギリスの女性小説家で、アントワネットの境遇はクレオールとしての作者自身を投影しているといってよい。

リースも、アントワネット同様に現地人の乳母に育てられており、おそらく作中の乳母の描写などはリースの経験に基づいているのだろう。

そんなジーン・リースは、「黒人になりたかった」という。

白人からは蔑視され(作中のメイソンやロチェスターのように、時にはいいように扱われることさえある)、黒人からも仲間だとは認めてもらえないクレオールの悲劇を、この小説は描いているのである。

そのような作者の自我が投影された作品としても、興味深い。


 

おわりに

『サルガッソーの広い海』は、以上のような物語である。

この作品は、まずテーマが非常に秀逸である、というところは多くの人の同意を得られるだろう。

ただ個人的な正直感想を書けば、『サルガッソーの広い海』は純粋な物語として読んだときには、少し退屈であるように思う。

しかしこれはおそらく私の好みの問題であり、作品の問題ではないのかもしれない。

私が『サルガッソーの広い海』が退屈だと思った主な理由は、その語りがどこかふわふわと浮ついた印象を受けるからなのだが、むしろそれはアントワネットやこの小説自体の不安定さを表しているのかもしれないからである。

いずれにせよ、この小説は「読んで強く印象に残る小説」であった。テーマに興味を持った方は、ぜひ読んでみてほしい。

▼池澤夏樹の世界文学全集の方が入手しやすいかもしれない。ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』も収録されていておすすめ。ヴァージニア・ウルフや『灯台へ』も、『サルガッソーの広い海』と同様にフェミニズム的な観点からも評価が高い。

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