世界の神話は、不思議と似たような関係を持っているものがあるということは、よく知られた事実だろう。
古代メソポタミア時代に成立した人間最古の物語の一つ、ギルガメシュ叙事詩には「大洪水」が描かれており、これの話は、旧約聖書「創世記」中の「ノアの箱舟」の洪水神話との関連が指摘されているのは有名である。
しかし、このような例は序の口である。世界各地の神話の不思議な相似は、洪水伝説のようなわかりやすい例にとどまらない。
世界各地の神話は「一般性」を持っているのではないか?――すなわち、元々一つの神話からいくつもの神話が分岐したのではないか?
さらに言えば、世界各地の神話は二種類に類型化できるのではないか?
このようなエキサイティングな学説「世界神話学説」が、近年ハーバード大学のマイケル・ヴィツェルという人物によって提唱されているという。
本書は、この「世界神話学説」をわかりやすく紹介し、さらに日本神話についての考察を深めた新書である。
世界各地の神話からわかった「二種類の体系」
上で「世界中の神話は二種類に類型化される」というのが「世界神話学説」であると紹介した。
では、どのようにして「二種類」の神話体系が生まれたのか。
その鍵を解くのが、ホモ・サピエンスすなわち人類が、どのようにアフリカから伝播したのかという問題である。
人類はアフリカで誕生したのち、「出アフリカ」(アウト・オブ・アフリカ)によって各地へ伝播した。そして、人類の伝播は、何回かの波に分かれて行われたと考えられている。
その中で、最初の「出アフリカ」によって渡った集団の神話が保持されているのが、アフリカ中南部・南インド・東南アジアのネグリト系、パプアやオーストラリア(アボリジニ)の神話である。
その一方、それ以降の人類の移動によって、新しい系統の神話も多くの地域に伝播することとなった。これが、ヨーロッパ、北アフリカ、中近東、中国などの神話である。
世界神話学説では、この分布が人類誕生前に存在した大陸に不思議と近似することから、この大陸の名前をとって、前者を「ゴンドワナ型」、後者を「ローラシア型」の神話と呼ぶ。
『世界神話学入門』概要
『世界神話学入門』構成
上記のように「世界神話学説」は、人類の伝播と深いかかわりを持っている。
世界神話学説は、考古学的成果と関連付けることで深い意味を持つものなのである。そのため、本書も第一章と第二章は考古学・遺伝学的な記述に終始している。
(そもそも著者の後藤明氏は、考古学出身の方である)
もしかすると「神話学」に興味を持って読み始めた方は、「全然神話の話がない!」と幻滅してしまうかもしれない。しかし、早とちりをしないで、じっくりと読み進めていただきたい。 どうしても考古学に興味が持てなければ、第三章から読むことを勧める。
本の構成は次のようになっている。
はじめに
第一章 遺伝子と神話
第二章 旧石器時代の文化
第三章 人類最古の神話的思考ーゴンドワナ型神話群の特徴ー
第四章 人類最古の物語ーローラシア型神話群ー
第五章 世界神話学の中の日本神話
第六章 日本列島最古の神話
第三章、第四章では二つの神話群について、基底となる特徴が紹介されている。
そして、第五章、第六章では、日本神話が世界神話の中で相対化されている。
日本神話とアジアの神話の類似
第五章でも詳しく書かれていて、興味深かったのは、日本の「山幸彦・海幸彦」の神話である。
もちろん、この話は次のような話である。
山の猟が得意な山幸彦(弟)と、海の漁が得意な海幸彦(兄)がいた。
兄弟はある日猟具を交換し、山幸彦は魚釣りに出掛けたが、兄に借りた釣針を失くしてしまう。山幸彦は兄に、自分の剣を鋳つぶして釣針を作り弁償すると言うが、海幸彦はこの頼みを拒否し、弟を許さない。
山幸彦が困り果てていたところ、塩椎神に教えられて、小舟に乗って「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」に赴く。
そこで山幸彦は海神(大綿津見神)に歓迎され、娘・豊玉姫(豊玉毘売命・とよたまひめ)と結婚し、綿津見神宮で楽しく暮らす。
そのうち既に3年もの月日が経ち、山幸彦は地上へ帰らねばならなくなった。
山幸彦は豊玉姫から失くした釣針と、霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、その玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせた。
…という物語である。
世界神話学説的に興味深いのは、この神話中の「釣針の喪失」というモチーフであるという。
本書によれば、「釣針喪失譚」は、世界中に広がっている。類例は、アフリカ中央部から西部、シベリアからアラスカ、パプアニューギニアやインドネシアで見ることができる。
特に、インドネシアなどの神話と、山幸彦海幸彦神話は近似する。
記紀(古事記・日本書紀)に詳しい方ならご存知だろうが、山幸彦海幸彦は、隼人の服属の物語と位置付けられている。とすると、以下のように考えると辻褄があう。
山幸彦海幸彦の物語は、インドネシア方面から隼人族の祖先により日本に伝えられた。
そしてそれが、隼人の大和朝廷への服属の物語として記紀神話で位置づけられることになったのではないか。
このような神話の近似からは、隼人族の祖先とインドネシアの祖先が同一であることが示唆される。
遺伝学・考古学とのすり合わせ
さらに、遺伝学による分析を加えることで、神話の類似と血縁の相関が明らかになることで、この示唆が立証されていくのである。
このような相関が一つ一つ積み重なり、「世界神話学説」は実証的・科学的なものとなっていくのである。
ただ、もちろん今の段階での「世界神話学説」は、興味深い仮説にとどまっていることには、留意する必要がある。
おわりに
個人的なこの本の感想を述べれば、「世界神話学説」という興味深い説について知ることができ、その大枠を知ることができたという点で非常に面白かった。
だが、この本が面白かったゆえに、新しく色々な疑問が出てきてしまったのも事実である。
例えば、
- そもそもローラシア型神話はいつ・どこで生まれたのか?
- ローラシア型はゴンドワナ型から直線的な進化形にあたるのか?(これに関しては、著者は賢明に言及を避けている)
- 世界中に共通する神話のモチーフ(例えば、ローラシア型に登場する「龍」(ドラゴンやヤマタノオロチ))は、何を表すものなのか?
などといった疑問である。
本書は著者の本来の専門領域との関係から、考古学・遺伝学と神話との関係は詳述されている。一方、各地の神話の多くの類例が紹介されているものの、「神話学」としての踏み込みは物足りない部分もある。
しかし、本書はあくまで「入門」である。
今後比較神話学について読んでいくうえで、この本に記されている遺伝学との関係を前提知識とできるのは、非常に有益なことだろう。
それに、本の末尾には「神話関係」の参考文献をまとめてくださっており、さらに知りたいと思った部分についてはこれら参考文献を手引きとして知識を深めていく、というのが本書の有効な使い方だと考える。
そのような意味で、本書は非常に優れている。本書は比較神話学の入り口となるだろう。
また、本書の美点を挙げると、帯が美しいことが挙げられる。この美しい帯で、本書の良さがさらに広まってほしい。
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