『ダロウェイ夫人』【あらすじ・感想】ーヴァージニア・ウルフが命を賭けた小説

ダロウェイ夫人

ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』 は、ちょうど今から100年前を舞台にした小説である

この小説は、近代文学を代表する作品であるジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』同様、ある一日を「意識の流れ」と呼ばれる手法で描いた小説である。ちなみに『ダロウェイ夫人』の舞台は1923年6月13日で、ぴったり100年を迎えた時に記事を書きたかったのだが、間に合わなかった……。

ところでヴァージニア・ウルフは、海外の現代文学を読もうとする人間が必ず出会う作家である。私も、ヴァージニア・ウルフはいろいろな小説家に影響を与えた作家だから読んでみるか、というような軽い気持ちで読み始めた。

だが、正直ヴァージニア・ウルフの小説は難しい(私はこの本を理解できず何回か読んだ)。そして、特に『ダロウェイ夫人』は、非常な「重み」を感じる小説である

なぜこの小説に「重み」を感じるのか。それは、作者ヴァージニア・ウルフは59歳で自殺を遂げた作家であることに関連するのかもしれない。

そして『ダロウェイ夫人』は、ある種の希死念慮をテーマとした作品なのではないかと思うからである。だから私はどうしても、この小説を読むと死の事を考えざるを得ないのだ。

 

だから軽快さを感じないという意味では、私はこの小説を読むのは苦手である。しかし、小説に込められた重みは、この小説が確かに多くの作家に影響を与え、今まさに現代文学の金字塔といわれている所以であり、一読者としてその重みに触れると、やはり圧倒される。

この記事では、『ダロウェイ夫人』について、ヴァージニア・ウルフが残した『遺書』にからめながら紹介していきたい。

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

『ダロウェイ夫人』登場人物・あらすじ

まず初めに『ダロウェイ夫人』のあらすじの紹介も兼ねつつ、簡単に登場人物を紹介したい。

『ダロウェイ夫人』登場人物

物語の舞台はロンドン。『ダロウェイ夫人』の主人公は、

クラリッサ・ダロウェイという51歳になったばかりの女性である。彼女の夫は、

リチャード・ダロウェイがクラリッサの夫であり、保守党所属の国会議員である(が、大臣になる見込みはない)。

物語は1923年6月のある朝、クラリッサが自宅でパーティーを開こうとするところから始まる。

ミセス・ダロウェイは、お花はわたしが買ってくるわ、と言った。

このような書き出しからクラリッサの「意識の流れ」を追った小説が幕を開ける。

クラリッサの一日をまどわす主要な登場人物としては、

ピーター・ウォルシュという、クラリッサの元カレがいる。ウォルシュは、クラリッサがリチャードと一緒になったのちはインドに行っていたのだが、年を取りイギリスにもどってきたのだ。そしてクラリッサのパーティーに訪れようとする。

そして同じく昔の親友として登場するのが、

サリー・シートンである。サリーは女性だが、かつてクラリッサは彼女に恋愛感情に近い思慕を抱いていた(作者ヴァージニア・ウルフ自身も、彼女による『レズビアン短編小説集』が出版されているように、レズビアンの志向があった)。

クラリッサは、彼や彼女との邂逅を通して、当時の思い出や「ありえたかもしれない現在」について、思考を巡らせるなどする。

 

だが物語には、クラリッサのほかにもう一つの軸となる人物がいる。それが、

セプティマス・ウォレン・スミスである。物語は1923年ーーすなわち、第一次世界大戦の爪痕が色濃く残っている時代である。セプティマスは帰還兵であり、「シェルショック」(つまり「砲弾ショック」だが、現代でいうところのPTSDと言って差し支えないだろう)を深く患っている。

物語世界でクラリッサとセプティマスがかかわることはないのだが、物語は2人を軸に展開していく。

『ダロウェイ夫人』あらすじ ※ネタバレ

こうして物語は、クラリッサのパーティーの準備と思い出とともに進んでいく。

いよいよパーティーがはじまり、クラリッサのパーティーは、つつがなく運営される。

 

だがここで、どうしてもネタバレが避けられないので書いてしまうと、

ブラッドショー卿がパーティーである話題を口にする。

ある青年(セプティマス)が自殺したというのである。

青年が自殺したーーでもどうやって? 思いがけずなにかの事故の話を聞かされると、いつもわたしはまず体で感じてしまう。ドレスが燃え上がり、体が焼ける感じ。窓から身を投げたそうだ。地面がぱっと浮きあがってくる。 …… だけどその青年はなぜそんなことをしたのかしら。

※普通は人の自殺なんてパーティーで話さないだろうと思うかもしれませんが、このパーティーは保守党議員のパーティーであり、帰還兵のシェル・ショックは社会問題なので当然口にされるのである。

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『ダロウェイ夫人』考察

ここから『ダロウェイ夫人』の考察に入りたい。

クラリッサとセプティマスの対称性

物語を全編通して感じるのは、クラリッサという登場人物とセプティマスという登場人物が、鏡合わせのような人物であるということである。(そして、それは作者の自序でも明言されている)

階級や性別、年齢などは、クラリッサとセプティマスは非常に対称的である。

しかし、クラリッサとセプティマスには、常に同じような不安が付きまっている。その意味で、この両者は同じような人間である。

わたしがまとっているこの肉体は、いろいろな能力を持っているのに、無、まったくの無としか思えない。 …… ミセス・ダロウェイというこの存在。すでにクラリッサですらない。ミセス・リチャード・ダロウェイというだけの存在。

 『ダロウェイ夫人』というタイトルの意味

ちなみに上で引用した部分は、クラリッサの不安を表す象徴的なシーンであると同時に、『ダロウェイ夫人/ミセス・ダロウェイ』というこの小説のタイトルの理由も示しているシーンである。

ヴァージニア・ウルフには、女性の自立を説いた金字塔的なエッセイ『自分ひとりの部屋』があるように、女性という地位に苦しんだ人物である。クラリッサも、当時の女性として、リチャードと結婚するしかなかったのである。

だが同時に、夫であるリチャードに感謝しているのも事実であり、だからこそクラリッサが「ダロウェイ夫人」であるという面もあるのである。

やや話が脱線したが、クラリッサが夫に感謝しているシーンとしては、物語終盤のこのシーン(先ほど引用した「恐怖」を思い返しているシーンでもある)が象徴的だ。

それから例の恐怖感がある(わたしは今朝も感じたばかりだ)、例の圧倒的な無力感がーー両親から両手でうけたこの人生という贈り物を最後まで生き抜くことが、心穏やかに歩きとおすことができないという感じだ。わたしの心の奥底にはどうしようもない恐怖感が存在している。
(中略)
リチャードがいなければ、わたしは破滅していたにちがいない。でもその青年は自殺したのだ。

リチャードがいなければ、自分もセプティマスのように自殺していただろうと、クラリッサは考える。

ヴァージニア・ウルフの遺書

先ほども書いたようにクラリッサが作者の分身に思えるのは、この表現と似た文章が夫・レナードに宛てたヴァージニア・ウルフの遺書にあるからだ。

ちなみに以下がその全文である(この英語は簡単なので、気になった方は読んでみてください)。

Dearest,

I feel certain I am going mad again. I feel we can’t go through another of those terrible times. And I shan’t recover this time. I begin to hear voices, and I can’t concentrate. So I am doing what seems the best thing to do. You have given me the greatest possible happiness. You have been in every way all that anyone could be. I don’t think two people could have been happier till this terrible disease came. I can’t fight any longer. I know that I am spoiling your life, that without me you could work. And you will I know. You see I can’t even write this properly. I can’t read. What I want to say is I owe all the happiness of my life to you. You have been entirely patient with me and incredibly good. I want to say that – everybody knows it. If anybody could have saved me it would have been you. Everything has gone from me but the certainty of your goodness. I can’t go on spoiling your life any longer.

I don’t think two people could have been happier than we have been. V.

この遺書の中でもっとも印象的な部分は、“If anybody could have saved me it would have been you” だと私は思う。つまり日本語にするならば、以下のような感じか。

もし誰かが私のことを救うことができたとしたら、それはあなただったでしょう。

いわゆる仮定法過去完了で日本語だと文意が若干伝わりにくいが、小説中でクラリッサが言っていた「あなたがいなければ、わたしは破滅していたに違いない」とほとんど同義である。

クラリッサがリチャードに対して感じていたのは、いわゆる愛というよりはやや特殊な精神的紐帯のようなものに思えるが、そういった部分は実際に読んでみてほしい。

つまるところ『ダロウェイ夫人』では、クラリッサのリチャードへの愛というような、作者ヴァージニア・ウルフを投影したような描写が多数みられる。それゆえにこの小説は、美しさと同時に儚さと「重さ」を持っているのだと思う。

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おわりに

小説終盤で、クラリッサはセプティマスとは対称的にに生きる喜びを見出す。それはこの小説が、病の影響が少ない、作者ヴァージニア・ウルフが比較的幸福だった時期に書かれた小説だからだろう。

だが、わたしたち読者は、ヴァージニア・ウルフ(すなわちクラリッサの分身ともいえる)が、のちにクラリッサの年齢を超えてから自殺してしまうことを知っている。そういった意味では、やはり読者はこの小説を読んでいて、クラリッサについてもつねに死を想起するのである。だからこの小説は読むと疲れる。

 

ここまで、もしかしたらこの小説のネガティブな側面ばかりを書いてきてしまったのかもしれないが、『ダロウェイ夫人』は作者ヴァージニア・ウルフが命を賭けて創作した小説であるということは同時に伝えられたのではないかと思う。そんな世界文学史上に燦然と輝く名作『ダロウェイ夫人』を、(私もそうだったが一度読んだだけではよくわからないかもしれないが)読書を愛する多くの方に読んでみてほしいと思う。

 

▼本書は集英社文庫版(丹治愛訳)に基づいた。

▼光文社古典新訳文庫版(土屋昌雄訳)からも出ている。こちらの方が読みやすいかもしれない。

ちなみに『ダロウェイ夫人』の光文社古典新訳文庫は、Kindle Unlimitedで読める(記事投稿日時点)。Kindle Unlimitedは最初の30日間は無料で試すことができるので、まだ試したことがない方にはおすすめ。KindleはスマホやPCのアプリでも読むことができるので、この機会にためしてみてはいかがでしょうか。

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