ナディン・ゴーディマ「ジャンプ」

「実在のディストピア」を描いた短編集 ナディン・ゴーディマ『ジャンプ』【あらすじ・感想】

ディストピアを描いた小説として、私がこれまで読んできた中で最も心をえぐられた小説とは何だっただろうか。

ディストピア小説の「三大古典」を挙げるとすれば、言わずと知れたジョージ・オーウェルの『1984年』 や、機械文明と人間の相剋を描き出したオルダス・ハクスリーの『すばらしき新世界』、本が焼かれる世界を舞台にしたブラッドベリの『華氏451度』、そして比較的近年の作品ではキリスト教原理主義勢力に掌握された近未来のアメリカを描いたマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』などが挙げられるだろう。

だが、これらの作品は確かに社会への警鐘としてぞっとさせられるものではあるが、「心をえぐられる」かというと、そこまでではない部分もある。

広義の「ディストピア小説」も含めるとすれば、思うに、人間がこれまで創り出してきた実在のディストピアを描いた「ディストピア小説」の方が心をえぐられるものだと思う。

そのような小説の中で、私がこれまで読んできて最も感銘を受けたのは、南アフリカのノーベル文学賞作家であるナディン・ゴーディマの短編集『ジャンプ 他十一篇』(岩波文庫)である。

この短編集でナディン・ゴーディマが描くのは、アパルトヘイトにより黒人たちが社会的・政治的に弾圧され、内乱状態とも言える状態にあった20世紀中期の南アフリカである。ゴーディマはこのアパルトヘイト体制下という「実際に存在したおぞましい世界」を描くことにより、ディストピアに生きる人間の極限状態や、あるいは希望というものを描き出している。

今回はこの作品について紹介したい。

 

ナディン・ゴーディマという作家について

最初に簡単に、ナディン・ゴーディマという作家について簡単に紹介したい。

ナディーン・ゴーディマは、1991年にノーベル文学賞を南アフリカ人として初めて受賞し、女性としては7人目のノーベル文学賞作家となったことで知られる作家である。

 

彼女は、1923年に南アフリカ・ヨハネスブルグ郊外の鉱山町でユダヤ系リトアニア移民の父と、イギリス出身の家系の母から生まれた(ちなみに彼女の生まれについては、この短編集に収録されている「父の祖国」という短編で描かれている内容とほぼ同じらしい)。

つまり、南アフリカでは黒人を支配する立場にある白人家庭の生まれだったのである。当初は黒人差別に疑問を感じない“普通の”子どもだったようだが、次第に差別が行われる社会に疑問を抱いていく。

「私は生まれつき政治的な人間ではありません。もし他の場所に住んでいたなら、私の作品が政治を反映することはあったとしても、多くはなかったでしょう」

“I am not a political person by nature. I don’t suppose, if I had lived elsewhere, my writing would have reflected politics much, if at all.”

ニューヨークタイムズの追悼記事より)

1960年に親友(ベティ・デュ・トワという白人女性の反アパルトヘイト活動家)が当局に逮捕されたり、シャープビル虐殺事件と呼ばれる警察が群衆に発砲し69人が死亡した事件を機に、反アパルトヘイトに身を傾けていく。

ゴーディマはネルソン・マンデラが議長を務めたことでも知られる「アフリカ民族会議(ANC)」の隠れたメンバーでもあったが、マンデラやその仲間たちのような地下活動を行ったわけではなく、作家として彼らを支援した。

 「私はANCを支援し、作家の資格において証言してきた、それだけです」

(高野フミ訳『ナディン・ゴーディマは語る アフリカは誰のものか』岩波書店)

南アフリカを去るという選択をした知識人も多かった中で、作品が南アフリカで発禁処分を受けることがあっても、ゴーディマは南アフリカにとどまり続けたのである。

 

ナディン・ゴーディマの作家としての特徴は、アパルトヘイト体制下のあらゆる人々を描き出し、群像劇を形成していることであるという。

アパルトヘイトという「ディストピア」ーー支配者と被支配者が厳格に分かれ、事実上の内戦状態にある国ーーにおいて、人々はどのように生きていたのか。

そんな極限状態の人間の精神を描き出したのが、ゴーディマという作家なのである。

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『ジャンプ 他十一篇』短編紹介

では、『ジャンプ 他十一篇』には、どのような作品が収録されているのかを紹介したい。

「隠れ家」

この短編集に収録されている一番最初の作品。

地下活動をしている逃亡中の男(白人)が、場違いなバスに乗ろうとしている白人女性に出会う。

香水だ。他の乗客の一か月分もする本物の香水の香りだった。そして音。足を組み替えるときに絹が擦れる音。

男は女性にバスの乗り方を案内し、それをきっかけに距離を縮めていく。

 

女性の“場違い感”がこれでもかと表現されており、アパルトヘイトにおける白人の特権性を感じる短編になっている。

ディストピアを描いているのにもかかわらずロマンス的な要素もある、非現実的な浮遊感がある小説である。

「むかし、あるところに」

幸せに暮らす白人夫婦とその小さい子どもが、強盗に備え、自宅を要塞化していく。

次の日、作業員がおおぜい来て、主人とその妻と小さい男の子とペットの犬と猫が毎日幸せに暮らす家の塀に沿って、カミソリの刃のコイルを埋め込みました。日の光りが家の周りをかこんだのこぎり歯や、カミソリの刃の蛇腹にあたってピカピカ眩しく輝きました。

その衝撃のラストとはーー「むかし、あるところに」というタイトルの通り、寓話的な作品。

「ジャンプ」

そして表題作のジャンプ。

この短編集は少しわかりにくいのだが、1991年の秋に発表されたものである。アパルトヘイトは1991年に廃止が発表され、この短編集はアパルトヘイトが撤廃されることが明らかになってから刊行されたものである。

この短編集は基本的にアパルトヘイト体制下の物語で構成されているが、表題作「ジャンプ」は、そのような時代背景で、「ポスト・アパルトヘイト」の時代を舞台にしている。

具体的には、黒人政権樹立後の南アフリカで、政府転覆をはかる白人側組織に身を投じた白人男性を主人公にしている。(実在の事件をモチーフにしているのかは、調べてもよくわからなかったが、そういった動きはあったようだ)

 

そしてその白人男性が、倫理とは何かということを葛藤し、「跳躍」(=Jump)をを描いているのである。

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ディストピア小説の持つ普遍性

同時代においてゴーディマの作品は、アパルトヘイトの酷さを世界に知らしめるという意味があった。

しかし、ゴーディマの作品がアパルトヘイトの撤廃された今、もはや読む価値がなくなったのかというと、そのようなことは絶対にないと私は思う。

 

表題作「ジャンプ」が、アパルトヘイト以後の時代を先取りして描いたように、ゴーディマが描いているのは特殊な体制下に置かれているとはいえ「普通の人々」であり、そこに普遍性がある。そして、その極限状態に置かれた人間を描くことによって、人間とは何かを探求しているからである。

おわりに

ゴーディマの作品で文庫化されているのは現状『ジャンプ』のみであり、しかも、この『ジャンプ』も岩波書店のHPを見に行ったら品切れ中だった。(私はこの本を買ったのは5年ほど前だが、奥付を見たら2014年の初版だったので、全然売れていないのだろう)

私も『ジャンプ』以外の作品を読んでいるわけではないのでなんともいえないが、この短編集を読むだけでもゴーディマという作家の凄みは伝わる。日本ではほぼ知られていないゴーディマだが、もし興味がある方はぜひ読んでみてほしい。そして、まずは岩波文庫の『ジャンプ』が重版されることを、さらには未邦訳作品もいつか邦訳されることを願う。

▼ゴーディマ『ジャンプ』の次におすすめしたい本は…

南アフリカのノーベル文学賞作家と言えば、J.M.クッツェーが有名。そのブッカー賞受賞作品である『マイケル・K』をおすすめしたい。

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