昨年の新書の中で一番売れたという、「ケーキの切れない非行少年たち」。はじめて読んだのはずいぶん前だが、ここに感想を記す。
なぜベストセラーとなったか
この本が売れた理由の第一は、そのセンセーショナルな題と表紙だと思う。
「ケーキの切れない非行少年たち」という題には、私も惹かれた。非常に惹きつけられる題名だと思う。
それに、非行少年が「三等分」できない図のインパクトも大きい。この図は、帯にも大きく描かれているから、この図を見て書店で興味を持った人も多いだろう。また、新聞広告が出稿される際にも、この図は使用されていたと思う。新聞広告を見て購入に至った方も多いのではないか。
この本が売れた理由は、おそらく、題と図のインパクトの大きさにある。
しかし、「この本が売れたということ」=「インパクトが大きかったということ」は、本書が扱っているような「非行少年」が、今まで社会的には認識も理解もされてこなかった現状を表しているのである。社会的な常識と非行少年の実状との乖離が、インパクトを生み出したのである。
だが、そのような非行少年の存在は、本書によって広く知られることになった。ここに、本書の意義がある。
「ケーキが切れない」少年が「非行少年」になってしまう
ここからは、内容に入っていく。
この本が提起する社会問題は、「非行少年」が、「ケーキが切れない」ということではない。
「ケーキが切れないような少年」が、「非行少年」になってしまうことの問題を提起しているのである。
すなわち、この本が描きたかったのは、(定義上)知的障害には分類されないものの、認知能力の低い少年たちが、非行を起こしてしまうという現実である。
彼らの知能を表すわかりやすい例が、「ケーキを三等分できない」ということなのである。
私たちは、丸いケーキを三等分しようとするときに、普通であればベンツのロゴのように、120度の扇形三つに分かれるように切るだろう。だが、非行少年の中には、それができない者も多いという。
そのような少年たちの抱える問題とは何か?
認知能力の低さは、学校での学習についていけないという問題のみならず、対人関係への支障もきたす。
対人的な出来事が何か起こった時に、悪い方に解釈してしまうことが多いからである(例えば、自分が集団に入れてもらおうと思った時に偶然思い通りにならなかった際に、「タイミングが悪かった」と思うのではなく、「嫌われている」「仲間外れにされている」と思い込んでしまう)。
そうしてたまったフラストレーションが「イライラ」となる。
その「イライラ」のはけ口が求められる。
そういう時に、彼らは「非行」に走ってしまうのである。
それも、「認知能力の低さ」ゆえに。彼らは、一度非行を犯したら、将来どのように苦労することになるかの計算ができない。短期的な視点でしか物事を捉えることができないからである。
「ケーキの切れない非行少年たち」に、私たちができること
先ほど述べたように、「ケーキが切れない」少年たちが、「非行少年」となってしまう構造が今の日本にはある。
そして、認知力を前提に組まれている従来の更生プログラムも、理解することができない。
だが、「ケーキの切れない少年」は、決して悪い心を持っているわけではない。
むしろ自分のことを「優しい」と思っていることすら多いというが、自分の行動を正しく認識できないのである。
とすれば、まずは彼らの認知力を育てることが先決である。
また、彼らは小学校中学年以降に学校教育についていけなくなってしまう傾向があるという。
未然に「ケーキが切れない少年」が「非行少年」になることを防ぐために、私たちができることは何なのか。彼らにとって生きやすい社会にすることにこそ、多くの人が幸福となるためのヒントがあるのではないか。
本書は、それを啓蒙した一冊である。
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