『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』というと映画が有名だが、原作は『グレート・ギャツビー』で有名なアメリカの小説家フランシス・スコット・フィッツジェラルドの短編である。
ご存じの方も多いと思うが、「老人の姿で生まれて、歳を重ねるごとに若返っていく運命を背負ったベンジャミン・バトン」の物語である。
今回は、角川文庫の短編集『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』に収録されている、映画の原作小説であるフィッツジェラルドの『ベンジャミン・バトン』について紹介しようと思う。
『ベンジャミン・バトン』あらすじ
先ほども紹介した通り『ベンジャミン・バトン』のストーリーは有名だと思うが、映画との異同もあるので、あらすじを紹介しようと思う。
題名の通り、この短編の主人公はベンジャミン・バトンである。
1860年にバトン夫妻のあいだに生まれた彼は、ご存じの通り、70歳くらいの老人の身体で生まれてきた。
そして、普通の人が歳を重ねるごとに老いていくのに対し、ベンジャミンは歳を重ねるごとに若返っていく。
「どれが、うちの子だね?」
「あれですよ!」看護婦が答えた。
ミスター・バトンが彼女の指さしたほうへと目を向けると、そこに問題の子供がいた。大きな白い毛布にくるまれ、ばびーベッドのひとつに身体をはみだだでながらすわっていたのは、七十歳になろうかという老人だった。
老人はつかのまの落ち着いた様子で二人を交互に見てから、不意にかすれたしわがれ声でしゃべった。「あんたが、わしの父さんかい?」
ベンジャミンの父親ロジャーは、当然ながら老人の姿で生まれてきた息子を気味悪がるが、ベンジャミンを育てる。
ベンジャミンが18歳の時、ベンジャミンは50歳くらいの姿になっていた。
ベンジャミンはイェール大学の入学試験に合格するが、姿のせいで冗談と思われ入学することができない。
「あの幼稚な異常者を見なよ」
「ここを老人ホームと勘違いしたのね」
「ハーヴァード大学に行けばいいのさ」
ベンジャミンは20歳になり、父親の金物卸業を手伝うことになる。
ベンジャミンは50歳くらいの見た目になり、父親と同じくらいの年の見た目になっていた。
ベンジャミンは、幼少期は疎まれていた父親と親密になる。
このころベンジャミンは社交界でのデビューも果たし、若いミス・ヒルデガルド・モンクリーフとの結婚を果たす。ヒルデガルドは「熟男好き」であり、ベンジャミンはぴったりだったのだ。
しばらくして、ベンジャミンの金物卸業は一層の成功を収める。
しかし、読者が危惧していたことが起きる。
どんどん若くなっていくベンジャミンと、年老いていくヒルデガルドのあいだに、徐々に亀裂が入っていったのである。
自宅にいることに飽きた38歳(=身体の年齢は32歳)のベンジャミンは米西戦争(スペインとアメリカのあいだに1898年に起きた戦争)に従軍し、戦功を立てる。
50歳になったベンジャミンは、事業を息子ロスコ―に継承し、自分はハーバード大学に入学する。大学のフットボールで彼は大活躍し、スターとなる。
しかし、彼の栄光の時間もそこまでであった。ベンジャミンは大学生活後半には身体は幼児化して衰えていく。
ついにベンジャミンの脳は幼児のようになり、息子ロスコ―は彼を疎ましく思う。そしてベンジャミンはゆっくりと記憶を失っていき、やがて真っ暗になった……。
『ベンジャミン・バトン』感想・考察
以上が『ベンジャミン・バトン』のあらすじである。
『ベンジャミン・バトン』は短編ということもあり、必ずしも多くのテーマが盛り込まれている作品というわけではない。
表面的に読めば、「老人の姿で生まれて、どんどん若返っていく主人公」という発想の奇抜さが最も印象深い、いわば「出オチ」の作品ともいえるかもしれない。
だが、実際に『ベンジャミン・バトン』を読んでみると、その物語の短さとは違って深く感じるものがあった。
ベンジャミンへの冷たい目線
『ベンジャミン・バトン』の作中で、若返っていくベンジャミンは、妻ヒルデガルドたちから次のような言葉を浴びせられる。
「あなたがもしほかの人たちと違う生き方をしたいというのなら、それを止める権利はないけれど、わたしにはこんな状態を受け入れられるとは思えないのよ」
ベンジャミンは答える。
「でも、ヒルデガルド、ぼくにはどうしようもないんだ」
だがヒルデガルドは言う。
「できるわよ。あなたはただ頑固なだけ。他人と違う人間になりたいと念じている。いままでだってずっとそんな調子だったし、そう望んで生きてきた。でも、みんながみんな、あなたのような姿をするようになったらどうなったら考えてみてーーこの世世界はどうなってしまうと思う?」
ヒルデガルドの言葉は、言いがかりだろう。ベンジャミンは好きでこういう体質になっているわけでないのだから。
だが同時に、ヒルデガルドの言うことも一理あると思うのである。
ベンジャミンは50歳になってから、かつてできなかった恨みを晴らすかのように大学へ入学する。ベンジャミンが「実年齢相応」の行動をしようとしないのは事実なのである。
『ベンジャミン・バトン』のテーマとは
この会話からは『ベンジャミン・バトン』のテーマを読み取れるのではないかと思う。
私たちは、それぞれの年齢やライフステージに合った行動をすることが、一番幸せなのである。
周りの友達たちと遊ぶべき時に遊び、学ぶべき時に勉強し、スポーツに励むべき時に励み、そして仕事、恋愛、家庭生活などをしていく。
「何かをすべき時」にそれをしなかったら、それを別の年齢ですることは難しいのだ。
もちろんこういったことはできなくはないし、むしろ現実の世の中では、色々なことがもっと年齢に縛られずにできるようになるべきことかもしれない。
しかし、ベンジャミンが妻や息子から度々言われるように「その年齢」を生きることは、私たちの人生で重要なことなのではないかと思う。
周囲と違う人生を歩んだとしても、20歳であれば20歳の人生を、30歳の人生であれば30歳の人生を歩むことが大事である。これが『ベンジャミン・バトン』のテーマなのではないかと思う。
ベンジャミンの場合、それができなかった。それは悲劇なのである。
おわりに
以上が、F・S・フィツジェラルドの短編『ベンジャミン・バトン』についての紹介であった。
冒頭で述べたとおり、この短編は角川文庫の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』に収められている。興味を持った方は、ぜひ読んでみてほしい。
ただ、この短編集は、映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』が公開されるのに合わせて、日本では未邦訳だったフィッツジェラルドの原作に、他の未邦訳だった短編を加えて短編集として出版されたものであるであることは書き添えておかなくてはならない。
つまり、フィツジェラルドの短編集としては、新潮文庫の『フィツジェラルド短編集』などの方が一般的である。もちろん『ベンジャミン・バトン』に収録された短編も素晴らしいのだが……。フィッツジェラルドは多くの短編を残したので、ぜひ他の短編も読んでみてほしい。ちなみにフィッツジェラルドは村上春樹も敬愛する小説家である。
▼新潮文庫の『フィツジェラルド短編集』。このほか、岩波文庫からも『フィッツジェラルド短篇集』が、光文社古典新薬文庫からも短編集の『若者はみな悲しい』が出ている。