先日、映画『ドライブ・マイ・カー』を観た。この映画の中で重要なモチーフとなっているのが、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』であるが、この作品の内容が気になったので積読していたこの本を読んでみた。
今回は、『ドライブ・マイ・カー』で言及された点を重視しながら、『ワーニャ伯父さん』のあらすじや感想について書いてみようと思う。
もちろん、『ドライブ・マイ・カー』を観ていないという人にも伝わるように記事は書くつもりであるが、ぜひ気が向いた方は『ドライブ・マイ・カー』も観てみてほしい。
『ワーニャ伯父さん』概要
はじめに『ワーニャ伯父さん』の登場人物の相関とあらすじについて、大まかに紹介したい。
『ワーニャ伯父さん』登場人物
『ワーニャ伯父さん』の登場人物は、以下のとおりである。
セレブリャコーフ(アレクサンドル・ウラジーミロヴィチ)
……定年退職した年老いた大学教授。エレーナ(アンドレーエヴナ)
……セレブリャコーフの二番目の妻。27歳。ソーニャ(ソフィヤ・アレクサンドロヴナ)
……セレブリャコーフと先妻ヴェーラとの間に生まれた娘。ワーニャの姪。継母のエレーナとは折り合いが悪い。
ヴォイニーツカヤ夫人(マリヤ・ワァシーリエヴナ)
……ワーニャの母、ソーニャの祖母。
ワーニャ伯父さん(イヴァン・ペトローヴィチ・ヴォイニーツキー)……主人公。47歳。
アーストロフ(ミハイル・リヴォーヴィチ)
……医師。
テレーギン(イリヤ・イリイーチ。ワッフル)
……落ちぶれた地主。
マリーナ
……年寄りの乳母。
『ワーニャ伯父さん』あらすじ解説
第一幕
物語は、大学教授を定年になったセレブリャコーフが、ワーニャやアーストロフの暮らす田舎に越してきてしばらくたったころである。
ワーニャはセレブリャコーフに振り回され、セレブリャコーフに愛想をつかしている。
ワーニャ 二十五年のあいだ、あいつが喋ったり書いたりしたことは、利口な人間にはとうの昔からわかりきったこと、ばかな人間にはクソ面白くもないことなんで、つまり二十五年という月日は、夢幻泡沫に等しかったわけなのさ。だのに、やつの自惚れようはどうだい。あの思い上がりようはどうだい。
アーストロフ いやどうも、君はやっかんでるね。
ワーニャ ああ、やっかんでるとも。それでいて、やつの女運のいいことはどうだ。いかなドン・ファンだって、あいつほどの女運には恵まれなかったものなあ。あいつの先妻だったぼくの妹は、おとなしい、すばらしい女で……(中略)……おまけに、あいつの後妻ときたら、君もさっきごらんのとおりも、才色兼備の女性だが、その女までが、すでに老境に入ったあいつの嫁になって、あったら若さと、美貌と、自由と、輝きを、捧げてしまったのだ。妙な話さ。さっぱりわからん。
アーストロフ あのひとの身持ちはいいのかね。
ワーニャ 残念ながら、さよう。
アーストロフ なぜ残念なんだい。
ワーニャ なぜって、あの女の身持ちたるや、徹頭徹尾うそっぱちだからさ。うわべばかり飾り立てて、さっぱり筋が通っちゃいない。厭で厭でならない老ぼれ亭主だが、さりとて浮気するのも女の道にはずれる。そのくせ、みじめな我が身の若さと、生きた感情を殺すことは、決して不道徳じゃない。
アーストロフもワーニャも未婚であり、二人とも老いたセレブリャコーフが美しく若いエレーナを妻にしていることに毒づく。
第二幕
ワーニャはエレーナに言い寄ろうとするが、あしらわれる。
ソーニャはアーストロフに惹かれるが、アーストロフははぐらかす。アーストロフはソーニャではなく、エレーナに惹かれているからである。
一人食堂に残ったソーニャのもとに、エレーナがやってくる。
これまで、継母のエレーナと折り合いが悪かったソーニャは、ここで和解する。
エレーナ 葡萄酒もあるわ。……仲直りのしるしに、ひとつ飲まない。
ソーニャ ええ、いいわ。
ソーニャ ねえ、本当のところを聞かせてくださらない、仲良しになったんだから。……ママ、お仕合せ?
エレーナ いいえ。
ソーニャ やっぱり、そうだったのね。
第三幕
アーストロフに惹かれているソーニャは、義母エレーナに相談をする
相談を受けたエレーナは、アーストロフの胸の内を訊く(しかしエレーナは、アーストロフが自分に好意を持っていることを知っており、まんざらでもない)。
エレーナ お話というのは、あたしの義理の娘、ソーニャのことですの。あなた、あの子お好き?
アーストロフ ええ、尊敬しています。
エレーナ 女としてお好きですの?
アーストロフ いいえ。
この場面で、アーストロフはエレーナに迫り接吻するが、拒絶される。
またここで物語に、土地の問題が登場する。
セレブリャコーフは慣れない田舎の土地を売り払い、フィンランドに別荘を買おうとする。
しかし、この土地はセレブリャコーフの先妻(ワーニャの妹)の嫁入り際に買われた土地であり、長年ワーニャが汗水たらして世話をしてきた土地であった。
ワーニャは、この土地を買うためにワーニャの父がした借金を長い間返し続けてきたが、その一方でセレブリャコーフが与えるワーニャへの送金はまったく見合わないものだった。
激怒したワーニャはセレブリャコーフに向けて銃を発砲するが、弾丸は外れる。
絶望したワーニャは倒れこむ。
ワーニャ 一生を棒に振っちまったんだ。おれだって、腕もあれば頭もある、男らしい人間なんだ。……もしおれがまともに暮してきたら、ショーペンハウエルにも、ドストエーフスキイにも、なれたかもしれないんだ。……ちえっ、なにをくだらん! ああ、気がちがいそうだ。……お母さん、僕はもう駄目です! ねえ、お母さん!
第四幕
セレブリャコーフとエレーナは土地を離れる決断をする。
ワーニャとセレブリャコーフは若いし、セレブリャコーフはワーニャへの送金を続けることを約束する。
アーストロフとエレーナは最後の別れをする。
ワーニャとソーニャは土地に残る。
ワーニャ ソーニャ、わたしはつらい。わたしのこのつらさがわかってくれたらなあ!
ソーニャ でも、仕方がないわ、生きていかなければ! ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるともしらない夜また夜を、じっと生きていきましょうね。……
『ワーニャ伯父さん』感想
少しわかりにくいあらすじ紹介だったかもしれないが(しかし言い訳をするならば『ドライブ・マイ・カー』を観た方には比較的わかりやすかったとおもう)、つまるところ、『ワーニャ伯父さん』は次のような話である。
ラブロマンスとしては、基本的にはアーストロフとエレーナの話である。
ソーニャはアーストロフに惹かれているが、報われない。またワーニャもエレーナに言い寄ろうとするが、拒絶される。
ラブロマンス以外の話としては、土地の問題である。
セレブリャコーフが土地を売りに出そうとしたことを発端とする騒動が、物語後半の軸である。
ワーニャが一生をささげてきた土地は、セレブリャコーフの手によって売られることになってしまうのだ。
いずれにしても、主人公ワーニャは恵まれない結末を辿る。
だが、ワーニャは絶望の中で生きていくのである。
おわりに
『ワーニャ伯父さん』は、まったくもってハッピーエンドではない。悲劇である。
しかし、物語最後でソーニャがワーニャを慰めるシーンからは、絶望の淵でも生きていく人間の崇高さを感じさせる。
でも、もう少しよ、ワーニャ伯父さん、もう暫くの辛抱よ。……やがて、息がつけるんだわ。……ほっと、息がつけるんだわ!
ハッピーエンドを物語に求める人にはおすすめできないが、しかし色々と胸に残る作品であることは確かである。興味を持たれた方は、ぜひ一度読んでみてほしい。
なお、この記事は新潮文庫版に準拠したが、映画『ドライブ・マイ・カー』が準拠している光文社古典新薬文庫版はKindle Unlimitedで読めるので、このサービスもおすすめしておきたい。
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