【コミックと原書の違い】『戦争は女の顔をしていない』解説・感想

戦争は女の顔をしていない

2015年にノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの代表作であるノンフィクション『戦争は女の顔をしていない』は、岩波現代文庫からも出ているが、KADOKAWAからコミック版(作画・小梅けいと)も出ている。

ここでは、原書とコミック版とを比較しつつ、二つの『戦争は女の顔をしていない』についての感想を記すこととしたい。

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

『戦争は女の顔をしていない』概要

はじめに、『戦争は女の顔をしていない』の概要について紹介したい。

本書はベラルーシのジャーナリストであるスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチによるノンフィクションである。

ベラルーシがまだソ連だったころの1978年から、雑誌記者であったアレクシェーヴィチは500人以上の戦争体験者に聞き取りを行い、その聞き取った内容を原稿にした。

本作の特徴は、聞き取りの対象が従軍女性であることである。

女性は看護婦や衛星隊員としての仕事にも従事したが、ソ連では女性も砲兵などで最前線に駆り出されていた。またパルチザンとして活動した女性たちもいた。

そのような戦争に携わった女性たちのオーラルヒストリーを集めたのが『戦争は女の顔をしていない』である。

「従軍女性」を取り扱ったこの作品は、男性兵士に聞いても絶対にわからないようなことが多く描かれている。当然ながら女性と男性の間には、戦場での生活も差異が出る。具体的なエピソードとしては女性特有の生理などといった問題は生々しく言及されている。

このような事象については従来、戦争関連の本で言及されることはほとんどなかっただろう。

これまで焦点をあてられることのほとんどなかった従軍女性の証言をすくいあげたこの作品は、高く評価され、2015年には先述の通りアレクシェーヴィチにノーベル文学賞が授与された。

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『戦争は女の顔をしていない』感想

アレクシェーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』は以上のような作品である。

導入としてのコミック版

個人的な話で恐縮だが、私はずいぶん昔に『戦争は女の顔をしていない』の原書を買ったのだが、なかなか読み進めることができなかった。この本は岩波現代文庫一冊であるとはいえ、相当厚く、内容が豊富だということ主なが理由である。

しかしコミカライズ版を読んだところ、以前よりもすんなりと原書を読めるようになり、一応読破することができた。

コミカライズ版の『戦争は女の顔をしていない』を読んだ方はお分かりだと思うが、『戦争は女の顔をしていない』は、従軍女性一人一人のエピソードを集めたドキュメンタリーであり、原書に記されたエピソードをほとんど忠実になぞっている。

(コミック版『戦争は女の顔をしていない』は、Twitterでも公開されている。)

描かれるのは、戦場の悲惨さとたくましく生きた従軍女性であり、この点は原書もコミック版も変わらない。

しかし、あえて原書とコミック版の違いを挙げるとすれば、次のようなところが挙げられるだろう。

『戦争は女の顔をしていない』の原書の特徴

『戦争は女の顔をしていない』で私が感銘を受けた部分の一つは、アレクシェーヴィチ自身の書いた「まえがき」にあたる「人間は戦争よりずっと大きい」という文章である。

アレクシェーヴィチがなぜ『戦争は女の顔をしていない』を書いたのか、また聞き取りと執筆を行っていた当時に何を考えていたのか、そして検閲されたところはどこだったのかということが書かれている。

もちろん、この「まえがき」は、コミック版の『戦争は女の顔をしていない』とも共通するものであり、コミカライズ化もされている。

ただ「人間は戦争よりずっと大きい」に関しては、コミカライズ版では原書全てを反映することはできないという事情があり、コミカライズ版だとやや物足りなさもあるのは事実である。

ぜひコミック版『戦争は女の顔をしていない』の読者は、原書のまえがきである「人間は戦争よりずっと大きい」を読んでみてほしいと思う。

わたしが憶えているだけでも、歴史は三回書き換えられました。

(中略)

あたしたちが死んだらあとは何が残るんでしょう? あたしたちが生きているうちに訊いておいて。あたしたちがいなくなってから作り事をいわないで。今のうちに訊いてちょうだい。

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『戦争は女の顔をしていない』の叙述の特徴

また、これはコミカライズ版も非常にうまく演出していると思うのだが、『戦争は女の顔をしていない』の原書の叙述の特徴は、語り手の「沈黙」が三点リーダーで示されていることである。

言葉も沈黙も、わたしにとってはテキストだ

とアレクシェーヴィチが言うように。

このような「沈黙」が再現されていることもあってか、原書の『戦争は女の顔をしていない』の叙述は、ソリッドではなくふわふわとしている印象を受けることが多い。

(ただし、語り手による)

私は夫と一緒に出征していったんです、二人一緒に。

毎日思い出しているくせに、いろんなことを忘れてしまった……

基本的に『戦争は女の顔をしていない』は、30年以上前のことを回想する女性たちの語りであり、読者からすると語りは生々しいものの「悪い夢」のような感覚が抜けきらない

これについても、コミカライズ版は巧みに再現していると思う。

コミカライズ版のどこか淡々としている絵柄は、いわゆる「戦記マンガ」ではないが、原書の雰囲気とマッチしている

しかし、語り手によって「語りの強度」が違うことはさすがに再現できないので、このあたりは原書を読まないとわからない部分だと思う。

コミック版『戦争は女の顔をしていない』の構成

一方、語り手の心が揺れ動いているせいで時にふわふわとした印象を受ける原書に比べるとコミカライズ版が読みやすいのは、コミカライズ版の構成が非常に巧みだからである。

個人の感想ではあるが、コミカライズ版は読みやすい構成になっていると思う。

ただ、逆に言えば、コミカライズ版は上手く構成しすぎていると言えるのかもしれない。

たとえば、コミカライズ版最初のエピソード『従軍洗濯部隊政治部長代理ワレンチーナ・クジミニチナ・ブラチコワ‐ボルシチェフスカヤ中尉の話』は、ラストは次のような台詞で締められる。

私はうれしかった

本当に幸せだった 私ができるせめてものことでした

しかし、原書を読めば、本来ワレンチーナ・クジミニチナ・ブラチコワ‐ボルシチェフスカヤの話は、コミック版冒頭の台詞である次の言葉で締められていることがわかる。

みな家に帰りたがっていましたが、戻るのは恐ろしかったんです。

何が待ち受けているか誰もわかりませんでしたから。

つまり、彼女は結局のところ「幸せ」だったのではなく、「不安」だったのだ。

読者としては、コミック版の構成の方が読んでいて救われた気分になる。しかし原作では、少し話が違うのである。

もちろん原作の『戦争は女の顔をしていない』も作者スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの手によって編集された編纂物であるが、コミカライズ版の『戦争は女の顔をしていない』にも、若干原作の構成から手が加えられていることを読者は留意すべきかもしれない。

(誤解していただきたくないので一応書き記すが、私はコミカライズ版が戦争を矮小化しようとしていると糾弾しているわけではない。むしろ原書で語られるエピソードも、多くの語り手は反戦とはいえ、戦争を懐かしむ語り手も多い。ここで述べたいは、あくまでコミカライズ版の構成ではふるい落とされているニュアンスもあるということである。)

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おわりに

最後に少しだけコミカライズ版の難点のようなものを書いてしまったが、最初に書いたように、私も(読んだのは)コミカライズ版が先である。

コミック版『戦争は女の顔をしていない』は、原書の雰囲気もそのままに原書のエピソードを伝える非常に良いマンガだと思う。

原書の『戦争は女の顔をしていない』をいきなり読むのは骨が折れるので、コミック版を先に読むのはおすすめである。それでもし内容に興味を持ったら、ぜひ原書にもを出してみてほしい。

すべての物事において、原典にあたるのは大事なことだから。

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