仕事をしたくない! ということで、仕事をしない奇人を描いた短編小説を紹介したい。
ハーマン・メルヴィルが1853年に発表した短編小説『書記バートルビー』(Bartleby)である。170年も前の、わずか100ページの作品でありながら、いまもなお多くの批評家に言及される小説である。そして、いま読んでも面白い。
メルヴィルといえば大作『白鯨』で知られる、アメリカ文学史上に屹立する大作家だが、『バートルビー』はどこかコミカルなところもあり、寓話的な短編小説で読みやすい。
『バートルビー』という作品には、この作品を貫く名台詞がある。それが、
「しない方がいいのですが」(I prefer not to.)
という台詞である。
『バートルビー』という小説は、簡単に言うと、「しない方がいいのですが」と言って何も仕事をしなくなっていく変人バートルビーの物語なのだが、いまも読み継がれているだけあって、非常に奥深い小説である。今回はこの小説の魅力を書いていきたい。
『書記バートルビー』あらすじ・概要
物語の舞台は19世紀半ばのニューヨーク、ウォール街の法律事務所である。
語り手である所長は、どこか生気がないが大人しいバートルビーという書記を採用する。
当初、バートルビーは、非常に多くの量の筆耕をこなしていく。
しかしある日、所長が筆耕以外の仕事を頼むと、突然「しない方がいいのですが」(”I would prefer not to”)と言って仕事を拒否する。
仕事の拒否は徐々にエスカレートしていき、次第に筆耕さえも行わなくなる。
「筆写はやめたのです」彼はそう答えて、すべるように離れていきました。
そして彼は今まで通り私の事務所の中で不動の姿勢をとり続けました。いやしもしこんなことがあり得るとすればの話ですがーー彼は以前よりもさらに動かなくなったのです。どうしたらいいのだろう? あいつ、事務所で何もしようとしない。
じゃなぜここに居続けるのだ?
所長はバートルビーに対し、いろいろな提案をするが、バートルビーはそれさえも「しない方がいいのですが」と言って拒絶する。
バートルビーは、「できません」とも「やりません」とも言わない。ただ「しない方がいい」「しない方が好ましい」とのみ主張する。これもこの作品のポイントである。
そして、ついには事務所を去ることも「しない方がいいのですが」と言って拒み……。
『バートルビー』とは何者なのか
『バートルビー』は簡単には以上のようなあらすじであり、物語の筋としては、事前にこの小説がどのような話かを知っていたら特に驚くところはない。しかし、だからといってあらすじだけを知ったら『バートルビー』という作品の魅力がわかるのかというと、そうではない。
はじめに述べたようにこの小説はかなり奥深く、それゆえ古典として読み継がれているのであり、今回はその奥深さについて書いていきたい。
バートルビー以外の登場人物
ここで少し本筋と逸れるが、この小説のバートルビー以外の登場人物たちについて紹介をしていきたい。
法律事務所にはバートルビー以外に二人の書記が働いている。一人は「ターキー」と呼ばれる主人公と同年代の年配の書記で、午前中は勤勉だが午後になるとミスを連発するようになる。もう一人は「ニッパーズ」という若い書記で、午前中は“消化不良”により癇癪とイライラを起こして機嫌が悪いが、午後には調子が良くなる。また「ジンジャー・ナット」という少年が使い走りとして働いている。
ターキーやニッパーズには、短編小説の雰囲気をコミカルにさせる効果もあると思う(午前と午後で相互補完的な彼らの描写は結構面白い)。
しかし、彼ら登場人物の小説としての効果を考えると、ターキーとニッパーズという登場人物も、バートルビー同様に人間は不完全な存在であるということ、そして人間の性質の不条理さを表しているのではないかと思う。
カフカを先駆けた作品としてのバートルビー
『書記バートルビー』は不条理文学という点で、しばしばカフカを先取りした作品だと評される。
特にカフカの作品の中でも強く類似点を感じるのは、代表作である『変身』(1915年)だろう。『変身』で、グレゴール・ザムザが虫に変身してしまう。この「変身」によってザムザが家族の重荷となってしまうように、バートルビーもまた所長にとって対処不可能な存在となっていく。
(ただし、ザムザは虫に変身してしまってからも仕事に行こうとする「社畜」なので、その点の方向性は対称的かもしれないが)
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カフカの『変身』については(『書記バートルビー』の光文社古典新訳文庫版の解説にも書かれているが)、現在では虫になってしまったザムザを家族を介護する「介護文学」と読まれることも多い。
バートルビーについても主人公である所長が「介護」をするのであり、こういったケアの文脈でも一種の現代性があるといえる。だが、なぜバートルビーはケアが必要な人物になってしまったのか。
バートルビーは何者だったのか
ネタバレになるが、この小説は、語り手がバートルビーの素性について聞いたという話で締めくくられる。
バートルビーはかつて、郵便局の「配達不能郵便物」(死信)を扱う課で働いていたという。
「配達不能郵便物(デッド・レターズ)」、それは「死者」のような響きを与えないでしょうか。
荷車一杯の分量でそれらの手紙は毎年焼かれるのです。あの青白い職員は、時には折りたたまれた手紙から指輪を取り出したことでしょうーーその指輪がはめられるはずだった指は、もしかするともう墓の下で桁ちているかもしれません。窮状を救うとして大急ぎで送られた紙幣ーーその紙幣が救うはずだった男はもはや食べることも飢えることもありません。
バートルビーが前職で目撃していたのは、人間の営みのむなしさであり、深い絶望だったのだろう。
その結果、バートルビーは生きながらにして死んだような存在になってしまい、死んでいく。
これは作品で提示されたバートルビーが廃人になっていった理由である。しかし、『バートルビー』という作品を読むと、もっと色々な現代の事象を想起する。うつ病や、現代の「働かない権利」についての議論、あるいは資本主義批判(この作品にはもともと副題として「ウォール街の物語」とつけられていた)など、この作品は多様な読み方ができる。だから、いまも読み継がれているのだ。
おわりに
『書記バートルビー』は19世紀の作品であり、非常に寓話的な作品なのだが、それゆえに現在も示唆に富んでいる。
なお、『書記バートルビー』の翻訳で最も入手しやすいのは光文社古典新訳文庫版だが、これはKindle Unlimitedという定額読み放題サービスで読める。
Kindle Unlimitedは他にもいろいろな古典的名作を読むことができるサービスである(このサービスで読める本については本ブログのKindle Unlimitedカテゴリをご参照いただきたい)。 KindleはスマホやPCのアプリでも読むことができるので、体験したことがない方は一度試してみてはいかがだろうか。
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