ボーガンによる殺人事件というニュースを見た。亡くなられた方のご冥福をお祈りする。
不謹慎ながら、私がボーガンと聞いて思い出すのは、ドラマ『相棒』Season1 第5話「目撃者」という話である。
小学校周辺で起きたボーガンによる殺人事件を題材とした話なのだが、非常に印象深い登場人物が登場する。子役時代の染谷将太演じる小学生・手塚守という人物である。
彼は『相棒』シリーズの中でも最年少に近い証人なのではないかと思うが、非常にませている小学生なのである。
特に印象的なのは、カミュの小説『異邦人』の主人公・ムルソーはどのような人物だと思うか? と亀山たちに問うシーンである。
手塚守は、「主人公は正直者だと思う」と答える。――この言葉は、果たして何を意味するのだろうか?
今回は、この『異邦人』について書いてみたい。
カミュ『異邦人』あらすじ
まずは『異邦人』のあらすじを軽く紹介しよう。
第一章
きょう、ママンが死んだ。
という有名な書き出しから、物語は始まる。
養老院で生活していた主人公・ムルソーの母が亡くなったのである。
しかしムルソーは悲しまない。ムルソーは、淡々と葬儀を済ませる。
ムルソーにとって、死んでしまった人はもう価値を持たないのである。
葬儀の翌日、ムルソーは海に泳ぎに行く。そこで彼はかつての同僚マリイ・カルドナに出会う。
これを機にムルソーはマリイと仲を深め、海水浴の後にコメディ映画を観に行き、関係を持つようになる。
ムルソーとマリイは交際を始めたが、ムルソーはマリイに性欲は感じても愛することはない。
マリイは、あなたは私を愛しているかと尋ねた。
それは何の意味もないことだが、恐らく愛していないと思われる――と私は答えた。
その後、ムルソーの隣人・レエモンが女性と騒ぎを起こす。
ムルソーはレエモンに頼まれ、女性が浮気をしていたからだと証言し、おかげでレエモンは警告を受けるだけで済んだ。
しかしこの一件以降、レエモンは彼女の兄弟やその周囲のアラブ人から因縁をつけられるようになる。
ある週末、レイモンはムルソーとマリイを海に誘うが、そこでレエモンは件のアラブ人と喧嘩沙汰になってしまう。レエモンは、刃物でけがをする。ムルソーは、レエモンが騒ぎを起こさないように彼のピストルを預かる。
レエモンをヴィラに送り届け、ムルソーはまた浜辺へと向かう。その日は酷く暑かった。
ひかりと波のしぶきのために、眩くようなまろい暈に囲まれた岩の、小暗い影が、遠くから見えた。
私は岩かげの涼しい泉を思った。その水のつぶやきをききたいと思い、太陽や骨折りや女たちの涙から逃れたいと思い、それから、影と憩いとをそこに見出したいと願った。
ところが、そばまで行ったとき、私は、例のレエモンの相手がまた来ているのを見た。
(中略)
自分が回れ右をしさえすれば、それで事は終わる、と私は考えたが、太陽の光に打ち震えている砂浜が、私のうしろに、せまっていた。
例のアラビア人は、ムルソーに刃物を向ける。
刃物が日光を反射し、ムルソーの視界がゆらめく。
私の全体がこわばり、ピストルの上で手がひきつった。引き金はしなやかだった。
ムルソーはアラビア人を殺してしまう。
そして、ムルソーは動かないアラビア人の死体にさらに4発の銃弾を撃ち込んだ。
第二章
ムルソーは逮捕され、裁判にかけられる。
そこで検事から問題にされたのは、ムルソーは、アラビア人殺害にいっさいの半生の意を示さないこと――そして、母親の死に対しても一切の感受性を示さないことであった。
母の死に際してのムルソーの行動は問題視される。
検事は言う。
あの犯罪(注:ムルソーの裁判の次に裁判が開かれる父殺しの犯罪)のよびおこす怖ろしさも、この男の不感覚を前にして感ずる恐ろしさには、及びもつかないだろう
――そして、検事はムルソーに死刑を求刑する。
ムルソーは弁護人の弁護の前に、自分自身で殺人の動機を話すよう裁判長に求められると、こう答える。
それは太陽のせいだ
弁護士は肩をすくめた。
そして、ムルソーは求刑通りの判決を下される。
死刑囚となったムルソーのところに、司祭がやってくる。
司祭はムルソーに改悛を求めるが、ムルソーは「神を信じていない」と言い、司祭に対して「自分は正当である」という。
そして物語は次の一文で締めくくられる。
すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。
ムルソーは正直者か?
さて、冒頭に紹介した『相棒』での手塚守の発言である「ムルソーは正直者である」という解釈について検討してみたい。
ムルソーは「不条理」な人物である。
――しかし、「太陽がまぶしかったから」という有名な台詞のせいでしばしば誤解されがちなのであるが、ムルソーは支離滅裂な行動をしているわけではない。
ムルソーは、彼自身の中は、筋の通った行動をしているのである。
ただしそれは一般常識とはかけ離れているから、この小説は「不条理小説」とされるのである。
身体に忠実なムルソー
ムルソーの性格の一つの特徴としては、身体的感覚に忠実であることが挙げられる。
あらすじでも述べたように、ムルソーはマリイに欲情するが、そこに愛情はない。
そして、暑ければけだるさを感じて周囲に関心を払わなくなる。
結局のところムルソーは涼しい場所に行きたくてアラブ人を殺害したのである。
ここには一貫した行動原理がある。
ムルソーはたとえ相手に怪訝に思われようとも、「正直」に行動する。
そう、ムルソーは正直者なのである。
母の死に涙を流さないムルソー
ムルソーが死刑になった理由は、アラビア人を射殺したことだけにはよらない。
ムルソーが、アラビア人を殺した後に4発の弾丸を撃ち込んだ残虐性が問題となっているのである。
最初の一発を撃ち込んだだけでは、正当防衛としてみなされたかもしれない。だが、ムルソーはその後さらに弾丸を死体に撃ち込む。この行動をムルソーは説明できない。そこから、ムルソーの「残虐性」が問題とされていくのであるーーたとえば、母の死に際して涙を流さなかったことなどが。
なぜムルソーはこのような行動をとるのか?
答えは簡単である。
ムルソーは、死体にはなんの意味も見出さないからである。
『寄生獣』における寄生生物とムルソーの類似性
岩明均による青年漫画の傑作『寄生獣』の主人公・泉新一は、人類とは全く違う価値観を持つ寄生生物に自身の右腕に寄生される。そこで、次第に自分の価値観が寄生生物の価値観に染まっていってしまっている(=脳も奪われつつある)のではないかと恐れる。
その象徴的な場面が、新一が交通事故に遭った犬を身を挺して車道から助け出し、看取るにもかかわらず、犬が死んでしまったらその死体をゴミ箱に捨てる、という場面である。ヒロイン・村野里美は、この新一の行動に恐怖し、新一も自らの変化に戸惑うことになる。
このような、『寄生獣』における寄生生物の価値観(およびそれに侵食された新一の価値観)は、非常にムルソーの価値観に近い。
ムルソーは、母が死んだことは残念に思う。だが、死んでしまったものにはもはや一切の価値を感じない。
そこに一貫した価値観はある。だが、その価値観は普通の人間には受け入れられない。
死刑を受け入れるムルソー
ムルソーは何も自分についての虚飾を行わない。ゆえに死刑になる。
ムルソーは、後悔の念を少しでも示しさえすれば死刑になることは絶対になかったであろう。
あるいは死体に4発の弾丸を撃ち込んだ理由を少しでも説明しただけで、死刑を免れたかもしれない。
それに、死刑囚となった後も改悛すれば減刑されることも十分にありえただろう。
だが、ムルソーは死刑を受け入れるのである。
まるで自己の哲学の元に死刑を受け入れた哲学者・ソクラテスのように。
自分の死が迫っても、ムルソーはいとも単純にあきらめる。
「確定した死」を最も残虐なものとしたドストエフスキー
自分自身死刑直前に恩赦を受けたという体験を持つドストエフスキーの小説『白痴』で言及されているような、時の決まった「死」へ向かうことが一番残酷だとされている一般的な感覚と、全く異なるのである。
ドストエフスキーが『異邦人』を読んだら、どう思ったのだろうか
だからムルソーは「異邦人」である
以上で見てきたように、ムルソーは、自分自身の論理に従って行動していている。
ムルソーはサイコパスだとよくいわれるが、一応彼の行動原理が理解できないこともない。
しかし、ムルソーの行動原理が世間一般の常識と適合することは断じてない。
だからこそ、ムルソーは社会から見て、得体のしれない「異邦人」(The Stranger)なのである。
おわりに
最後に、冒頭で述べた『相棒』Season1第5話で、『異邦人』が果たした演出上の役割を考えてみたい。
この話で『異邦人』が出てくる役割は、何なのだろうか?
手塚守の「ムルソーは正直者である」読みは、確かに一面としては正しい。小学生ながら正しく筋の通った読みをできるということを表し、劇中の手塚の知能水準の高さを示す小道具になっている。
だが、別に知能の高さを表すだけなら、他の本でもよい。『異邦人』である意味は何か?
――そこには、やはり『異邦人』の内容が関係あるだろう。
一つの解釈として考えられるのは、「他人と全く違う感受性を持っていることを悪びれない」ことの危険性を示しているのではないか、という考察だと私は思う。
ムルソーのように、一般常識で測れない「不条理」な生き方に憧れ、共感しても良い。だが、そのような生き方をしていたら、遅かれ早かれムルソーのような運命をたどる――そんなことを示唆していたのではないかと、私は思う。
「相棒」を見ていない方にはピンとこないまとめになってしまったかもしれないが、相棒1期第5話「目撃者」、相棒シリーズ屈指の名作回です。
ぜひ、『異邦人』と一緒にご覧になっていただきたい。
『相棒』Season1第五話「目撃者」
『異邦人』(新潮文庫)
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