最近読んだ新書の中で面白かったのが、青木健氏による講談社現代新書の『ペルシア帝国』である。
軽妙にして深遠、今年の世界史ジャンルの新書では今のところ一番面白いかもしれない。ということで、今回はこの本について紹介をしたい。
本書が描く対象
まず、この新書が描く対象について紹介しておこう。
世界史上には、ペルシア帝国と呼ばれた国家が二つある。
一つ目がアケメネス朝ペルシア(紀元前550年~紀元前330年)
二つ目がサーサーン朝ペルシア(紀元226年~651年)
である。
どちらの国家も、ペルシア(イラン)を中心に、西は今のインドまで、東は今のトルコまでを支配した大帝国であった。
アケメネス朝ペルシア
アケメネス朝は、古代オリエントを最初に統一した王朝である。
さらにアケメネス朝は、ギリシアに侵攻し「ペルシア戦争」を起こした国としても知られている。後年伝説的な存在になったスパルタのレオニダス王が寡兵を率いて玉砕した「テルモピレーの戦い」や、マラソンの語源となった「マラトンの戦い」が起きたのがペルシア戦争である。
また、アケメネス朝は紀元前330年に滅亡するが、これはアレキサンダー大王の東征に敗れたからである。
アケメネス朝の有名なところを教科書的に紹介すると、以上のようになるだろう。
だが、ここに記したようなよく知られた内容というのは、基本的にギリシア側の視点である。
だから、例えば「アケメネス朝」という名前も、ギリシャ語なのである。
しかし、この本は、ギリシャ側の視点からアケメネス朝を描くということはしない。
あくまでペルシア側の視点から、この王朝を描く。
だから、この本ではこの王朝を「アケメネス朝」とは呼ばず、古代ペルシャ語に準じて「ハカーマニシュ朝」と表記される。
サーサーン朝ペルシア
サーサーン朝(ササン朝)も、ペルシアを基盤にオリエントを支配した王朝である。
教科書的には、ビザンツ帝国と抗争し、最終的に新興勢力であったイスラム教徒に敗れて滅亡した王朝として知られている。
この本は、ササン朝に関しても、ササン朝自身の史料・遺物から丹念に政治の様相を解き明かす。
このように、従来他者の視点から見られることが多かったペルシア帝国を、主役として描いた概説書という点で本書は画期的である。
古代ペルシアのロマン
本の内容についてであるが、かなり図版が豊富であることが特徴として挙げられる。
これは、古代ペルシアの遺跡が今でも多く残っていることがそもそもの理由かもしれない。そのおかげで、本書は視覚的にも楽しめるものとなっている。
例えば下に載せたのはアケメネス朝の宮都ペルセポリスの遺跡の写真であるが、ロマンを感じないだろうか?
美しく広大な宮都の遺跡を見ると、古代ペルシアを身近に感じないだろうか?
本書が扱うのは、基本的には王朝の政治史である。
遥かなる古代帝国で、どのように宮廷政治が繰り広げられたのか……? そして古代の組織力の実態とはどのようであったか……?
古代世界に無限大の想像力を膨らませてくれるのが、本書である。
多彩なエピソードと軽妙な筆致
内容の魅力としては、皇帝の個々のエピソードが描かれているところである。
単にマニアックな知識を知ることができるというだけでなく、筆致も軽妙で読んでいて非常に面白い。
マニアックだが興味深いエピソード
個人的に一番面白かったのが、このエピソード。
サーサーン朝の皇帝、シャーブフル2世のエピソードである。
まだ生まれてもいなかったシャーブフルが、大貴族たちに擁立され、第10代皇帝シャーブフル2世として即位した。伝説によれば、シャーブフル2世の戴冠式は、妊娠中の母親の腹の上に帝冠を置いて(妊婦にとってはさぞ重かっただろうが)挙行された。
シャーブフル2世(教科書ではシャープール2世と表記されることが多い)は、結構有名な皇帝である。
たとえば辻邦生の大作『背教者ユリアヌス』でも知られるビザンツ皇帝ユリアヌスは、キリスト教を弾圧した(=背教者)ビザンツ皇帝としても知られているが、ユリアヌスと抗争して彼を戦死させたのがシャープール2世なのである。
日本でも応神天皇が、神功皇后のおなかの中にいた時から天皇位につくことが定められていたため「胎中天皇」と呼ばれるが、まさかシャープール2世は胎内で即位までなしとげているとは(応神天皇は胎内にいながらにして即位したわけではない)。
こういう例って世界史上ではよくあることなのだろうか?
(日本でも「胎中天皇」の扱いについては皇室典範制定時などにも議論されていたようであるが、問題となるのは、生まれてきた子どもの性別が男性であるか女性であるかわからないことだったようである。と考えると、胎児が即位することができるのは女帝が存在する国に限られそうである。サーサーン朝には女帝も存在するらしいので、おそらくシャープール2世は女性でも男性でも問題なく即位できたのだろう。)
軽妙な筆致と著者のツッコミ
さて、先ほど引用したエピソード中でもこの本の筆致の特徴をよく表している文章は、
妊婦にとってはさぞ重かっただろうが
というツッコミである。
お堅い学術書などではこんなツッコミは絶対にありえないのだが、この本は一般書ということもあって筆者によるツッコミがところどころに登場する。
このようなツッコミが、本格派の名用の新書でありながら、読みやすさと面白さを担保している。
どんな人にお薦めか?
さて、ではどんな人にこそこの本をお薦めしたいか?
答えはもちろん、世界史に興味のある人すべてである。
だが、この記事で何度か述べているように、この本は表記が古代ペルシャ語に準じており、教科書などの表記と異なっている(特にアケメネス朝(ハカーマニシュ朝)で)。
初回に登場する場合は教科書の表記(ギリシャ語表記)が紹介される場合も多いが、そうでない場合も多い。私も最初かなり混乱した。
例えば、アケメネス朝の歴代皇帝の名前の表記の揺れを示すと、以下の通りである。
教科書の表記 → 本書の表記
キュロス2世 → クールシュ2世
カンビセス2世 → カンブージヤ2世
ダレイオス1世→ダーラヤワウシュ1世
クセルクセス1世→クシャーヤルシャン1世
アルタクセルクセス1世→アルタクシャサ1世
etc…
(サーサーン朝に関しては大きな乖離はあまりない)
ダレイオス1世などは模試などでも頻出の人物であるが、ダーラヤワウシュ1世と書いて〇をつけてくれる採点官がどれほどいるだろうか…… 試験本番でももしかしたら〇にならないかもしれない。
また逆に、問題文に例えば「キュロス2世」が出てきたときに、それがせっかく本書を読んでも本書に登場するクルーシュ2世であることに気づかない可能性もあり得る。そうなったら勿体ない。
――と考えると、世界史の本ではあるが、あまり受験生にはおすすめできない本かもしれない。
おわりに
受験勉強用にはおすすめできないかも…… と書いたが、そもそも受験勉強用に新書を読む高校生などほとんどいないだろうから、新書としてはまったくマイナスのポイントがない(なお、もし世界史の受験勉強用に本を読むなら、やや古いが中公文庫の通史がお薦めである)。
『ペルシア帝国』という、このシンプルなタイトルに惹かれた人は、本書を買って絶対に損はないと思う。