私は現在、文系の大学院修士課程の学生であるが、なかなか厳しい道であることを自覚している。
そうというのも、一般に文系で修士・博士まで進んだ学生というものは、一部が大学教授の職を得られるほかは、社会的栄達と全く無縁の生涯を送ることになるからである。自殺率も非常に高まることが知られている。
文系よりは多少ましだと思うが、研究職を目指すならば理系でも同じことである。
――私も大学院卒になってまで「ワーキングプア」にはなりたくないが、そうなる可能性が高いのが現状である。
そのようなわけで、自戒を込めて水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書)を読んだ。
この本は2007年の本であるが、2020年5月に同著者の『「高学歴ワーキングプア」からの脱出』が発売されているのを記念して、ちょうど光文社新書のnoteで公開されているのを機に拝読させていただいたので、感想を記したい。
大学院をめぐる構造的問題
筆者はこの本で、修了後の職がないのにもかかわらず、(国の政策のもと)むやみに大学院に進学させてきた各大学や、また国の政策を批判している。
――「本来大学院に行くはずのなかった学生」が、甘い言葉に踊らされて大学院に進学し、結局職を得られずにワーキングプアになるということである。
これには就職氷河期の問題も関係する。就職活動に失敗した場合に大学院に行き、そのままずるずると大学院に在籍しているパターンである。
筆者は、そのような学生に対して「自己責任だ」というのは簡単であるが、構造的な問題を解決する必要があるとする。
この主張はその通りである。むやみに大学院生を増やしてきた側には責任があるだろう。大学院を出れば民間への就職は厳しくなり、また少子化で大学教授のポストは減る一方で、また研究費もろくにもらうことができないこの国で、本来であれば大学院進学者は減るはずであった。
――しかし、国は大学院の学生を増やすことを各大学に望み、各大学も経営のために大学院生をとったのである。
要は学生たちは、大学院に学費を収めさせられ(さらに大学は大学院を拡充したとして国から補助金も交付され)、「餌食」とさせられた。
そしてさんざん学費を払わせたのにもかかわらず、大学院は就職の面倒を見ることなく学生たちを追い出すも同然に修了させる、ということが頻発していたのである。
「こんなはずじゃなかった」と人生を狂わされた大学院生は、数多くいるのである。
そのような人々を生んできた構造には、確かに欠陥がある。
大学院進学は「自己責任」か?
しかし、これは自戒を込めて言うのであるが、大学院進学者の自己責任という面は完全に否定されるものではないと思うのである。
本書を読んで思うのは、登場する「ワーキングプア」の方々は、研究職以外の人生に切り替える試みを(例えば20代中盤までに公務員試験を受けるとか、教員免許を取っておくとか、学芸員資格を取っておくとかである)どの程度してきたのだろうか? ということであった。
失礼かもしれないが、研究職に固執している方が多いのではないかと思うのである。
人間、いくら努力しても報われないこともある。
研究職は職業の性格上、努力した人が正当に報われる世界に思えるかもしれないが、実際にはそうでない。
例えば「学歴ロンダリング」などという揶揄に代表されるような「学歴差別」などである。
(ちなみにいうと、この本における「高学歴」というのは、「修士・博士を終了した学歴を持つ」という意味であり、名門大学を卒業したという意味ではない。)
「弱小大学院」の悲哀
「弱小大学院」を卒業した人々に残されている道は厳しい。
——これは、確かに日本の抱える問題なのだろう。研究職であれば研究内容で評価されるべきであることに疑いの余地はない。
しかし、実際にはどの大学の学部を出たかという問題の方が、研究内容よりも重視されているように思えることさえある、というのである。
この本の登場人物が実際に優れた成果を上げていたかは必ずしもわからないものの、そのような構造的問題は確かにあるのだろう。
しかし、構造的問題に責任を帰して、自分を「研究者」として扱えと主張し続けていてるだけでは、結局自分の人生を好転させることはできない。
生きていくための諦観
大学院生の民間就職を非常に厳しいものにしている日本の新卒採用文化なども「おかしい」とは思うのだが、簡単に変わるものではないので、難しいものがある(今後新型コロナウイルスの影響で変わっていくかもしれないが)。
大学3・4年生や大学院生であれば、各自でリスクヘッジするという意識は持っていなければならない。
このことは、今から大学院に進もうとする者、今大学院生をしている者は自覚する必要があるだろう。
おわりに
大学院卒に世の中は厳しい。
大学院に進学するものはそのことを十分自覚した上で、どのような人生を歩むかのオルタナティブをいくつか用意しておく必要があるのだろう。
恐らく現実的なのは、教員のほかに、試験の要素が多い公務員ではないかと個人的には思っている。といっても30歳近くで受けた場合に、どの程度採用される見込みがあるのか私にはわかっていない。この点は、私自身ももっと調べる必要があると思っていることである。
大学に入学してすぐのころ、教育学の先生が「私の大学院の同期は半数がすでに死にました」と言っていて戦慄したことを思い出す。
研究の世界は、いくら努力しても報われない時もある、という割り切りを持っている必要があるのではないかと思う。そうでないと、いつか心が壊れてしまう。
▼2020年5月発売の同じ著者による新書
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同じ光文社新書の前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』を読んだときに、この本はポスドク(≒高学歴ワーキングプア)問題を描いている本でもあるのではないか? と思ったが、どうやら『高学歴ワーキングプアからの脱出』では前野氏との対談も掲載されているようである。