私は大学院生である。それも、世にも珍しい文系大学院生である。
文系大学院生になってから、いつになったら定職に就けるのか不安で不安で仕方がない。ならば大学院など行かなければ良いではないかといわれそうだが、そういわれるとしんどい。
大学院生は大半が研究者(研究職、大学教授など)を目指すわけだが、その競争は熾烈を極める。ポストを得るためならなんでも体を張るという世界である。そんな世界に足を踏み入れてから、前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社新書)が、全く「荒唐無稽な本」とは思えなくなってきた。
そんな個人的なバイアスがかかった感想文であるが、書いていこうと思う。
作者・前野ウルド浩太郎とは何者か?
文系大学院に入る前の私は、この本を単なる「おもしろ研究者によるおもしろい本」としてしかとらえていなかった。
もっとも、それは事実である。
この本、まず表紙からして突っ込みどころが多い。
本書の表紙の突っ込みどころであるが、まずタイトル「バッタを倒しにアフリカへ」からして興味をそそる。「バッタを倒しにアフリカへ」行く行動原理が、一般人には理解できないからである。
では、この本は誰が書いているのか、というと前野ウルド浩太郎という人物である。
誰だよ!! ウルドってなんだよ!! 写真に写ってる人、アフリカ系の血を引いてるようには見えないんだけど!! っていうか、そもそも何でバッタの恰好してるの???
ーーという突っ込みを、咄嗟に入れたくなるだろう。少なくとも私はエア突っ込みを書店で入れた。
そんな突っ込みどころは、全て綺麗に本書で解決される。
そして、晴れて読者は「前野さんは、別に「変な人」というわけではなかったのだな」、と思いながら本を閉じ、この本を本棚に仕舞うことができるのである。
だが、大学院生がこの本を読むと、時として陰鬱になる場合があるかもしれない。
なぜ「アフリカ」に行くのか
というわけで、そろそろ本題に入っていきたい。
前野氏は、れっきとした博士号の学位を持っている「博士」である。
そんな彼は、実は、もともとはフィールドワークのフの字も知らないような「ガチガチの研究室人間」だった。
だが、なぜ研究室とは正反対のアフリカに行ったのか?
答えは、就職のためである。
アフリカに職があるわけではない。だが、誰もやっていない研究をそこですることによって、研究者としての成果を上げ、日本で研究者として定職に就く必要があったのである。
それができなければ、安定した職には一生つけない。
著者の場合、職に就くまでにアフリカで3年もの間を過ごす必要があったのである。
そして、名誉ある「ウルド」という名前を授けられるほど、現地モーリタニアの生活に習合し、認められた。これが「ウルド」という名前の答えである(これについてはもっとたくさんのエピソードがあるので、ぜひ本書で確認してほしい)。
さて、この話は普通に見てしまえば「美談」なのだが、裏を返せば、そこには日本のポスドクの厳しさがある。
失礼かもしれないが、前野ウルド浩太郎氏の無尽蔵の活力の源は、他でもない、「生活苦」なのではないかと邪推してしまう。
ポスドクの人生の厳しさは、こんな本が出ていることからもわかるが、「溺れる者は藁をもつかむ」ように、研究者として生きていくためには体を張らなくてはいけないときがある。
前野氏の場合、研究者として生きていくための研究成果を上げるためには、アフリカにまで行ってバッタを追い続ける必要があったのだ。
ある意味「バッタを倒しにアフリカへ」は、ポスドクという地位の危うさを最も理解できる本でもある。
おわりに
「バッタを倒しにアフリカへ」は、そんなポスドクの奮闘記である。
しかし、やはりこの本の魅力は前野氏の語りにあるのであって、この本は多くの人々が感想として挙げているように、めちゃくちゃ面白い。
書き出しなんて、なんというか、ズルい。面白すぎる。
100万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。まずは、空が真っ黒になるほどバッタの大軍を、人々に向けて飛ばしていただきたい。人々はさぞかし血相を変えて逃げ出すことだろう。
その狂乱の中、逃げ惑う人々の反対方向へと一人駆けていく、やけに興奮している全身緑色の男が著者である。
だが、その前野氏の語りの裏には、どことない悲壮感があるのだ。
冒頭にも述べたように、著者がアフリカ行きを決めた裏にはどんな「悲壮な覚悟」があったのかーーそんなことを想像すると、この本は純粋に笑える本ではないという風に思ってしまう。
▼作中にも登場していたが、前野ウルド浩太郎氏は、アフリカ滞在中はてなブログを書いていた。この点も親近感がわく。
▼こちらの単行本版は、やや専門的な内容を含む。「バッタを倒しにアフリカへ」に興味を持った方にお薦め。
▼「バッタを倒しにアフリカへ」同様、研究生活をつづったエッセイとしては、講談社現代新書のベストセラー「生物と無生物のあいだ」がある(文体などの趣向は異なるが)。
▼2020年5月22日追記
『バッタを倒しにアフリカへ』は児童書にもなった。この本は非常に面白いし子どもたちに夢を与える本だと思うので、児童書化は素晴らしいことだと思う。
しかしながら、この記事で述べたような「ポスドクの悲壮感」という観点を見過ごしてウルド氏の話を「美談」としてしまうのはどうなのだろう、という気もしなくはない(余計なお世話だったら非常に申し訳ない)。