《戦後80年》日本を代表する戦争文学『野火』(大岡昇平)を読む【あらすじ・読書感想】

日本の軍人を描いた戦争小説の中で最も有名な作品は何かという問いの一つの答えは、大岡昇平の『野火』であろう。

『野火』は、作者のフィリピンでの戦争体験をもとにした小説であり、作者自身の戦場での体験が色濃く反映されている。

作品自体はフィクションだが、日本軍とフィリピンの住民との関係、軍人の持つ二面性、戦争のPTSDともいえるような描写、そして人肉食など、さまざまなテーマを包含しながら「人間とは何か」「戦争とは何か」を描いた、日本文学の歴史上に大きな存在感を放つ小説である。

『野火』は決して読みやすい小説ではないが、戦後80年を迎えたいま、興味を持った方がいたらぜひ読んでみてほしい。

『野火』作品概要

はじめに『野火』という作品について、概要を紹介したい。

作品名:「野火」
作者:大岡昇平
発表年:1951年

『野火』は、作者大岡昇平自身のフィリピン戦線での従軍体験と捕虜体験をもとに描かれている。

作者・大岡昇平(1909-1988)は京都帝国大学文学部仏文科を卒業し、戦前も中原中也や小林秀雄と親交を結んだインテリだったが、1944年に陸軍に召集される。そして従軍先のフィリピンで、1945年にマラリアで昏睡状態に陥っていたところ米軍の捕虜となり、終戦まで収容所で過ごした経験を持つ。その体験が、この作品のリアリズムの源泉となっている。

大岡昇平は戦後日本を代表する小説家の一人であり、恋愛小説なども残したが、作家としての基本的な関心は戦争にあったといえるだろう。

『野火』あらすじ

では、この作品のあらすじとはどのようなものなのか。

主人公・田村一等兵の体験を追いながら、この作品のあらすじを紹介していきたい。

軍隊から見捨てられる

物語は、結核を患った田村一等兵が、所属していた部隊から見捨てられるところから始まる。

「わかりました。田村一等兵はこれより直ちに病院に赴き、入院を許可されない場合は、自決いたします」
……
「よし、元気で行け。何事も御国のためだ。最後まで帝国軍人らしく行動しろ」
「はいっ」

田村一等兵は野戦病院に送られるよう指示されるが、野戦病院も既に機能しておらず、田村は行き場を失う。そして、安田という男(そして物語終盤で重要になるが、彼の付き添いをしている永松という男もいる)などの敗残兵たちと奇妙な共同生活を送るようになる。

孤独な彷徨

しかし、この共同生活もアメリカ軍の砲撃に遭ってすぐに終わりを告げる。

私は哄笑を抑えることができなかった。
愚劣な作戦の犠牲となって、一方的な米軍の砲火の前を、虫けらのように逃げ惑う同胞の姿が、私にはこの上なく滑稽に映った。彼らは殺される瞬間にも、誰が自分の殺人者であるかを知らないのである。

田村一等兵の彷徨

こうして田村一等兵はフィリピンの森を孤独な彷徨をすることになる。その中で、十字架を目撃する。

私は戦慄した。その時私のおそれていた孤独にあっては、この宗教的省庁の突然の出現は、肉体的に近い衝撃を与えた。

そして十字架を掲げた会堂のある村に行く。そこは、日本兵の屍体が積みあがったある廃村だった。

私は漸くこの村の情況を理解した。
これらの屍体の前身たる日本の敗残兵は、恐らく米兵の通過した後にこの村に現れ、掠奪して住民の報復を受けたのである。……そしてその後も、多分頻繁なる日本の敗残兵の出没によって、住民は再び村を棄てたのであろう。

十字架に導かれた主人公だったが、ここで田村一等兵は村に戻ってきたフィリピン人の若い男女に遭遇し、悲鳴を上げた女を殺す。そして、若い男女が探していたと思われる、塩を手に入れる。

いくら女が不要慎で、私が理由なく山を降りたにしても、もしあの時私の手に銃がなかったら、彼女はただ驚いて逃げるだけですんだであろう。

こうして主人公は銃を棄てる。

日本兵との合流と降伏への葛藤

20日近く孤独にさまよい続けた田村一等兵だったが、日本兵と合流する。

そして、フィリピン人女性を殺した村で手に入れた塩(戦場では貴重品だった)を持っているということにより、伍長らとかりそめの「友情」を得る。しかし、アメリカ軍の攻撃に遭い、この「友人」たちとも別れることになる。

ここで田村一等兵は、日本の負傷兵がアメリカの赤十字のマークをつけたトラックに救護されるのを見る。

私は息を詰め、この情景を見続けた。あの同胞は生きていた。負傷しただけで、生きていた。そして今後も米軍の病院で生き続けるであろう。それから祖国の土に松葉杖を突いて、いつまでも、多分死ぬまで生き続けるであろう。

田村一等兵は、降伏を本気で考えるようになる。

しかし、田村一等兵は降伏できなかった。

私は忘れていた。私は一人の無辜の人を殺した身体であった。

主人公は降伏のタイミングをうかがうが、その時、ある日本兵が「こーさーん」と言って米兵たちの前に躍り出る。すると、米兵と行動を共にしていたフィリピン人女性ゲリラが、この日本兵を撃ち殺すのだった。

そして極限状態へ

再び田村一等兵は、孤独にフィリピンの森を彷徨い始める。

少し前から、私は道傍に見出す屍体の一つの特徴に注意していた。海岸の村で見た屍体のように、臀肉を失っていることである。

田村一等兵は、敗残兵が人肉を食べていたことを悟る。そして、ある死にかけの将校に出会う。

「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」
彼はのろのろと痩せた左手を挙げ、右手でその上膊部を叩いた。

ーー田村一等兵は、どのような行動をとったのか。

そして、物語最終盤、田村は安田永松と再会し、クライマックスに向かう。

この小説の難解だが怒涛の結末は、ぜひ実際に文庫などで読んでみてほしい

Sponsored Link

大岡昇平『野火』が描いた戦争

以上が『野火』のあらすじだが、上記のあらすじでは紹介することのできなかった要素も非常に多いので、興味を持った方はぜひ読んでみてほしいと思う。ここでは、いくつかあらすじ紹介でも触れたテーマに絞って、大岡昇平が描いた戦争について深堀りしていきたい。

フィリピンの住民との関係

田村一等兵は、フィリピン人女性を殺す。この殺人について田村一等兵はその後葛藤するわけだが、しかし、田村が悔悟しているからといって、この殺人は決して肯定できるものではない。

そもそも田村は、彼女が悲鳴を上げたことによる「怒り」によってフィリピン人女性を殺害しているのである。田村がフィリピン人に「怒り」を覚えるシーンは他にもある。

物語冒頭、田村はあるフィリピン人の男性と出会う。

(この男達の間にまじって、まだ生きられるかも知れない)と私は思った。

しかし、この男性も田村に殺されないように体面良くしていただけであって、もちろん田村に好意など抱いていない。

そしてフィリピン人男性は田村のもとから逃げる。

(逃げたな)と思うと怒りがこみ上げてきた。

この瞬間、田村が覚えた感情は「怒り」なのである。結局田村は、仕方ないことだと苦笑するのだが(武器を持って自分たちの村に押し入る外国人が、好意的に受け入れられるわけがない)、この「怒り」という率直な感情は、戦場を経験した者でないと書けない感情なのではないかと思う。

『野火』は小説であり必ずしも史実を描いているわけではないが、戦場を経験した者にしか書けない、戦争犯罪人の心理が描かれていると思う。

降伏の心理

この田村一等兵の殺人の報復は、ある意味で別の日本兵が受けることになる。それが「こーさーん」と叫んで投降した日本兵である。

田村は結局自分から降参することはできなかったが、どうやったら降伏し生き延びることができるかを考える。そして興味深いのは、田村が一時は日本兵を殺してでも降伏しようと考えていたということである。

歩きながら、私はむしろ日本兵に遇うのを怖れた。彼等に遇えば、現在私の唯一の生きる道を選ぶことができなくなる。この時なら、私は私の遇う最初の日本兵を殺したかもしれない。

軍人の両面性

田村一等兵にも、ほかの日本兵を殺してでも助かろうという利己的な一面が極限状態で生まれるわけだが、こうした利己的な一面は別の登場人物も見せる。

あらすじではあまり紹介できなかったが、その代表例が、田村が塩を通じて親交を結んだ伍長である。伍長は最初は友好的な人物に見えるが、田村らが密談をしているかと思うと、田村たちに銃口を向ける。

「やい、てめえ等」
と伍長の声で振り向くと、銃口が向いていた。
「投降できるもんなら、してみろ。そんな真似、させねえんだぞ。恥を知れ。わざと落伍しようたって、そうは行かねえ。いやでもパランポンまで、引っ張ってくから、そう思え。変な顔をするねえ。はっはっはっはっは」

結局これも、極限状態における人間の利己的な一面が表出した事例だといえるだろう。

大岡昇平は、田村一等兵を、平凡な人物として描いている。そして私は伍長も悪人だとは思わない。だが、彼らは人を殺すし、仲間うちでも自分だけ助かろうとする人間は容赦なく粛清しようとするのである。

これも戦場を生きる人間(というよりも敗残兵)のリアルなのだろう。人間一人一人のリアルさは、実際に戦場を体験した作家にしか出せないものではないかと思う。だからこそ、『野火』は次の世代にも読み継がれるべき名作なのである。

Sponsored Link

おわりに

ここまで紹介してきたように、『野火』という作品は、実際に戦場を体験した著者によってさまざまな戦争における心理が描かれていいて、考えさせられる小説である。

そして、ここまでこの記事では触れなかったが、やはり『野火』という小説の核心は人肉食にかかわる物語最終盤である。この衝撃的なラストはさすがに記事で書いてしまうと、これからこの本を読む人の読書体験を損なうことになるだろうから、ここでは書かない。

ぜひ興味を持った方は、実際に『野火』を読んでみてほしい。

▼Kindle版は角川書店から出ている。

関連記事

2025年という、戦後80年という節目の年を迎えた。私は戦時下の記憶を持つ祖父母に接して育ち(祖父母も当時はほんの子どもだったのだが)、戦時下の体験というものを、ある程度身近に感じて育ってきた。しかし、私より下の世代にとって、戦争はもっと遠[…]

いま読みたい日本の戦争文学
関連記事

この記事を書いたのは、「黒い雨訴訟」が話題となった時期である(2021年)。「黒い雨」というのは、原爆投下後に降り注いだ、原爆投下時に生じた煤や放射性物質を含んだ、言葉通り黒色をした雨のことである。つまり、原子爆弾によって直[…]

黒い雨
関連記事

戦争は残酷なものであり、非人間的な行為である。戦争の悲惨なところの一つは、普通の人間でさえも、残酷な行為に手を染めてしまうことだ。そのようなことをテーマにした作品に、遠藤周作の『海と毒薬』という作品がある。米軍兵への生体解剖[…]

海と毒薬
>このHPについて

このHPについて

このブログは管理人が実際に読んだ本や聴いた音楽、見た映像作品について書いています。AI全盛の時代ですが、生身の感想をお届けできればと思っています。