漢文が嫌いな人は多いらしい。きっと中学・高校の漢文の授業がつまらなかった、という人が多いのだろう。
だが、中国の古典にはものすごく面白いものも多いと私は思っている。
その最たる例が、この「聊斎志異」である。今回は、もし読者の方が漢文にネガティヴな印象を持っているならばそれを払拭し、「面白い漢文」としてこの稀代の短編集である、「聊斎志異」の魅力をお伝えしたい。
なぜ漢文は「つまらない」のか
中国には孔子の「怪力乱神を語らず」という有名な言葉がある。
すなわち、孔子の説くような儒教的価値観では「怪異、不思議な力、乱れた行為、鬼神・幽霊などの現実的・道徳的でない言葉を語るべきではない」ということである。
もしかすると、だからこそ漢文の授業で使われるような題材は、つまらないと思われてしまうものが多いのかもしれない。
しかし、そのような儒教的価値観があるといっても、中国に「怪力乱神を語る」ようなフィクションが全く存在しないということは、もちろんない。
中国にもフィクションをたしなむ文化は存在していた。ただ、詩文に比べると「格下」の存在という風に見られてしまっていただけなのである。
ゆえに、中国のフィクションは「小さい説」と書いて「小説」と名付けられているのである。
そのような「小説」の中でひとつのジャンルとして、長い間中国で支持を集めてきたのが「志怪小説」と呼ばれるジャンルである。
いわば、中国版「世にも奇妙な物語」みたいなものである。
この「志怪小説」こそ、中国古典の一番面白いところではないかと私は思う。
志怪小説の最高峰「聊斎志異」
「志怪小説」は、非常に長い歴史を持っている。
4世紀に成立した「捜神記」という作品は、4世紀に成立したとは思えないクオリティの怪異小説である。単純に漢文学習という意味では、実際に大学受験に出題されることもあるこの「捜神記」がおすすめである。
(お茶の水女子大などで出題の実績あり)
ただ、「捜神記」は4世紀成立ということもあり、あまりに話の内容が簡潔すぎるものが多い。
そのため、ストーリーを楽しむという意味では、後世の作品の方がより完成度の高い作品が多い。
そのような完成度の高い物語作品として推したいのが、清代(17世紀中ごろ)に成立した、この「聊斎志異」なのである。
「聊斎志異」の魅力ー妖艶で幽玄な世界観
「聊斎志異」の魅力の一つは、幻想的な世界観である。
物語の舞台は明末清初の中国であり、さらに世界観として次のような共有された「設定」がある。
【「聊斎志異」 中国伝奇小説の世界観】
〇登場人物
・主人公…科挙の受験生であることが多い
・道士…道教の修行をしている。何かしらの術が使えることが多い。
・鬼神…幽霊のこと。若い美女であることが多い。
・狐…人に化ける。女狐や老狐が多い。
・死神…寿命をつかさどっている。
・その他の生物…何かしらの能力が使える。
〇世界観
・「輪廻転生」がある。幽霊が転生する。
・「科挙」(官僚の試験)に合格することが一番の名誉とされている。(主人公に受験生が多いのもこのせい)
当時は、例えば「狐が化ける」というのはよくある話だっただろうし、特段このような世界観は特別なものではなかったかもしれない。
しかし、現代的な観点からこの「聊斎志異」の世界観を見てみると、かなりファンタジックである。
もしかしたらこの世界観は、「ありがちな設定」と思われるかもしれない。
しかし、そのような「ありがちな設定」の基礎をなしたような古典としての「聊斎志異」は、古典にインスピレーションされたような作品を読んだり、二次創作などを書いたりするならば、読んでおいて損はないのではないかと思う。
「聊斎志異」あらすじ
「聊斎志異」は短編集なので、全体の「あらすじ」を記すことはできない。そのため、代表例を紹介したい。
聊斎志異「蓮香」
「聊斎志異」の短編の一つ傾向として、男が女の幽霊か女狐と交わる話が多い。
この「蓮香」は、男が幽霊とも狐とも交わる欲張りセットである。
主人公は、「桑」という男である。その男が
「君獨居不畏鬼狐耶?」(お前は独居していて、幽霊や狐が怖くないのか?)
と聞くと、桑は笑って
「丈夫何畏鬼狐?雄來吾有利劍、雌者尚當開門納之。」(大の男がどうして幽霊や狐を恐れようか。雄が来たら俺には鋭利な剣があるし、雌が来たら門を開けてやっていただいてしまおうじゃないか)
……というところから物語はスタートする。
そして、桑は狐(蓮香)とも幽霊(李)とも関係を持つようになる。
人間、幽霊、狐の奇妙な三角関係がこの物語の面白いところである。
結末は、聊斎志異〈上〉 (岩波文庫)か原文(Wikisource)でお楽しみいただきたい。
聊斎志異「王六郎」
個人的に好きなのがこの話。
主人公・許は釣りで生計を立てていたが、釣りの前には必ず溺死者のために川に酒を捧げるのを常としていた。
そのうち、許には不思議な釣り仲間「六郎」ができるようになった。
……もちろん、六郎は幽霊である。
だが、幽霊とも別れの時が来た。六郎は罪業が満ちたことにより転生できるようになり、川で代わりの者が死ぬことによってようやく地縛霊としての役割から解放されることになるという。
そして、六郎の身代わりとなる女が入水自殺に来るが…
という物語。
結末は、これも聊斎志異〈上〉か原文(Wikisource)でお楽しみいただきたい。
幽霊との交流を通した心温まるストーリーで、短編の傑作である。
まとめ
あらすじは以上で少しだけ紹介したが、ほかにも、「実は主人公が幽霊だった」というようないわゆる叙述トリック的な物語もあったり、単純に怖い話、勧善懲悪の物語もあったりと、多種多様な物語が幻想的な世界観のもとで織りなされる。
短編集、異世界ファンタジーが好きな人には、ぜひお勧めしたい。
漢文をつまらないと思っていた人にもぜひお勧めしたい。
そのように思っていた人が、この「聊斎志異」から少しでも中国の古典に興味を持っていただければ幸いである。
▼抄録だが、岩波文庫版はよくまとめられている(上下巻)。
▼もし全部揃えたいのなら、平凡社ライブラリー。いつか揃えたい……と思っているうちに品切れになってしまっていたので、早く買い集めないと……
▼Kindleで読むなら
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教材として使うなら、聊斎志異よりも昔の『捜神記』などがおすすめ。