『捜神記』こそ、面白い漢文教材である―三国時代の不思議な逸話集

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私は漢文がものすごく好きなのだが、世の中には漢文が嫌いな人も多いようで悲しい。

この原因は、おそらく句法の暗記などのめんどくささがあるだろう。確かに句法の暗記というものは面倒である。

 

しかし、そのような「めんどくさい」技能を少し頑張って習得すれば、多くの中国の古典を読めるようになるというのが漢文の一番の魅力ではないのか

 

個人的に、漢文教育は句法なんかよりも「いかに中国の古典は面白いのか」を伝えることの方が大事だと思うのである。

漢文の持つ独特のリズムに触れていけば、自然と句法も習得できる

 

習うより慣れろ、という観点から漢文の教材としてお薦めしたいものは色々あるが、その中で一番読んで面白く、漢文学習の効果も高いと思われるのがこの干宝『捜神記』である。

捜神記 (平凡社ライブラリー)

『捜神記』とは?

『捜神記』というのは、4世紀の東晋時代に干宝という人が編纂した志怪小説である

志怪小説というのは、神であったり不思議な力を使う仙人、生き物の化けた妖怪などが多く登場する「不思議な話」のことである。このような話が多く詰まっている

 

以前同じような趣旨で、同じような怪異小説集である『聊斎志異』について紹介した。

 

『聊斎志異』も非常に面白い作品ではあるのだが、これは明清時代の作品であり、通例、日本の漢文教育では「新しすぎる作品」であるため扱われない。

しかし、『捜神記』は、非常に古い作品であるため、日本の漢文教育の対象となるのである。

『捜神記』からは、大学入試や模試などにも多く出題される

 

受験生が読んで損はなく、しかも面白い作品なのである。 


 
 

三国志ファンにも薦めたい書

もちろん『捜神記』は受験生にしか薦められない本ではない。

 

『捜神記』は、三国志ファンにも薦めたい本である。

『捜神記』は東晋時代の書であると言った。もちろん、東晋というのは、司馬家の王朝――司馬懿仲達の孫・司馬炎が魏を滅ぼして建てた王朝である。

 

だから、非常に三国時代の逸話が多く含まれている。当然『三国志演義』にも『捜神記』は影響を与えている。

 

そのことがわかる好例である、小覇王・孫策の最期について書かれた『捜神記』の一話を試みに紹介してみよう。

 

なお、書き下しと現代語訳は私が適当に書いたものであり、書き下しなどは保証できないことは断っておく。

『捜神記』巻一22「于吉」書き下し

孫策欲渡江襲許,與于吉俱行。

孫策江(長江)を渡り許(許昌)を襲わんと欲し、于吉と俱に行く。

 

時大旱、所在熇厲。

時大いに旱なり、所に熇厲在り(どこも焼けつくような暑さであった、という意味か)。

 

策催諸將士、使速引船、或身自早出督切。

策(孫策)諸将士を催して、速やかに引船せしめ、或いは身自ら早く出て督切す(朝早くから自ら甲板に出て督促した)。

 

見將吏多在吉許。

將吏の多く吉(于吉)の許に在るを見る。

 

策因此激怒、言「我為不如吉耶?而先趨附之。」

策(孫策)此に因て激怒し、言わく「我は吉に如かずや?(俺は于吉より下なのか?)先ず之に趨附す(お前たちはまず于吉に付き従うとは)」と。

 

便使收吉至、呵問之曰「天旱不雨、道路艱澀、不時得過、故自早出。而卿不同憂慼、安坐船中、作鬼物態、敗吾部伍。今當相除。」

便ち吉を収めしむるに至り(すぐさま于吉を捕まえて引き出させ)、之に呵問して曰く、「天旱にして雨ふらず、道路艱澀たり、時を得ずに過ぎ(干ばつで進軍がままならず、機会を得ることができない)、故に自ら早く出る。而るに卿は憂慼を同じからずし、船中に安坐し、鬼を作し物を態し(鬼道をなして幻を見せている)、敗吾部伍(?)。今當に相除くべし(今成敗してくれよう)。」

 

令人縛置地上暴之、使請雨「若能感天、日中雨者、當原赦。不爾、行誅」

人をして縛り置き、地上に之を曝し、雨を請わしめ(孫策は部下に命じて于吉を縛らせて、雨乞いの儀式をさせて言うことには)「若し天の感ず能い、日中(正午)に雨ふれば、當に原に赦すべし(もしお前の祈りが天に通じて雨が降ったら、許してやろう)。爾にあらずんば、誅を行わん(できなかったら殺してやろう)。」

 

俄而雲氣上蒸、膚寸而合。比至日中、大雨總至、谿澗盈溢。

俄に雲氣上蒸し、膚寸而合(解釈できず、雲が立ち込めたという意味か)。日中に比至(及ぶの意。正午に近づくに及んで)し、大雨總て至り(大雨が一気に不利)、谿澗盈溢す(谷川はあふれるほどであった)。

 

將士喜悅、以為吉必見原、並往慶慰。策遂殺之。將士哀惜,藏其屍。

將士喜悅し(将兵は大喜びで)、以為らく吉は必ず原さるべし、並て往きて慶慰す(于吉が許されると思って、連れだってお祝いしに行った)。策遂に之を殺す。將士哀惜し、其の屍を蔵す(孫策はすでに卯吉を殺してしまっており、将兵たちは于吉を惜しんで埋葬した)。

 

天夜、忽更興雲覆之。明旦往視、不知所在。

天夜、忽ち更に雲興り之を覆う(深夜、突然にもう一度雲が興って于吉の死体を包んだ)。明旦視に往く、在る所を知らず(翌朝見に行ったが于吉の死体はなかった)。

 

策既殺吉、每獨坐、彷彿見吉在左右。意深惡之、頗有失常。

策既に吉を殺し(孫策は于吉を殺してからというものの)、獨り坐る毎に、吉の左右に在るを見るを彷彿す(于吉がそばにいるように覚えた)。意深惡之(訓読できず、心の底から怯えてという意味か)、頗る常を失う有り(孫策は正気を失ってしまった)。

 

後治瘡方差、而引鏡自照、見吉在鏡中、顧而弗見。

後に治瘡方差(訓読不明、傷を負ったが治ろうとしていた)、鏡を引きて自ら照らす、吉の鏡中の在るを見る、顧るも見えず(鏡で自分を見ようとしたが、鏡の中に于吉が見える。しかし、振り返っても于吉は見えない)。

 

如是再三。撲鏡大叫、瘡皆崩裂、須臾而死。

是の如き再三(これを何度も続けた末に)、鏡を撲し大いに叫ぶ。瘡皆崩裂す(体中の傷口が裂けて崩れてしまった)、須臾にして死す(たちまちにして死んでしまった)。

――こういう話がいくつも入っているのが、『捜神記』である。

 

三国志ファンにとっては、面白いのではないだろうか。

また、三国志ファンでなくても、怪異小説が好きな人なら楽しめる話は多いと思う。

「蚕馬伝説」などの有名な神話的伝説も、捜神記を出典とすることが多い。

 

上に示した漢文については、適当に書き下していて、私には少し難しいと思ったが、 世の中の中学高校の国語教員の方は、ぜひ「面白い漢文教材」を取り上げることによって生徒の漢文への興味を引き立ててほしいと思う。

漢文教材を発掘するには、この『捜神記』は非常にいいものではないかと思う。

おわりに

まとまりに欠ける記事になってしまったが、私が言いたいのは、「漢文の細かい点の面倒くささに気をとられて、面白さを忘れないでほしい」ということである。

 

句法や再読文字を集めた教科書なんて読んでも、漢文は全然面白くない。

それよりも、中国古典を読んで漢文のリズム感を覚えておき、「なぜか自然に書き下せるようになっている」という状態を作り出しておくことの方が漢文学習の近道ではないかと思うのである。

 

▼『捜神記』現代語訳。原文は掲載されていないので注意。原文は当然著作権が切れているので中国語版ウィキソースなどで読める。

捜神記 (東洋文庫 (10))

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  • 作者:干 宝
  • 発売日: 1964/01/01
  • メディア: 文庫
 
捜神記 (平凡社ライブラリー)

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  • 作者:干 宝
  • 発売日: 2000/01/24
  • メディア: 文庫
 

▼ちなみに最近現在進行形で漫画化もされている。『捜神記』自体は断片的な逸話集だけど、この作品では捜神記をもとに脚色して話を作っている

 

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