小川洋子『博士の愛した数式』は最高の野球小説でもある【書評・感想】

博士の愛した数式

プロ野球の日本ハムに、来季から新庄剛志が監督として就任することが決まった。

新庄剛志というと、メジャーリーグからの復帰先に日本ハムを選び、野球の実力もさることながら、華やかなパフォーマンスで注目を集めた選手である。エンターテイナーとして随一の才能を持っており、最近も現役復帰を目指して話題を呼んだ。

私も、日本ハム時代の新庄は、幼かったものの一応覚えている。新庄の早すぎる引退を悲しんだ記憶もある。だから新庄の監督就任は素直に嬉しい。

だが、新庄がメジャーリーグに挑戦する前の阪神タイガース時代は、知らない。

しかし、私は阪神時代の新庄も、人気のある選手であったことを、なんとなく知っている。なぜかというと、小川洋子の『博士の愛した数式』に新庄は登場するからだ。

こんなことを考えて、第一回本屋大賞にも輝いた名作『博士の愛した数式』を読み返していたのだが、この作品は野球小説としても優れている、という感想を抱いた。

博士の愛した数式(新潮文庫)

『博士の愛した数式』の作品のテーマ

『博士の愛した数式』のあらすじは、ご存じのように、事故のせいで記憶が80分しかもたなくなってしまった数学者の博士のもとに、主人公が家政婦として通い交流を深めていくというものである。

この物語の文学としての大きなテーマは「記憶」であり「時間」であり、また「数学」である。

しかしもう一つの主題は、博士との交流を通した主人公の息子ルート(ルートというのは博士がつけた愛称)の「成長」だろう。

野球小説としての『博士の愛した数式』

ここで、博士とルートをつなげるものとして登場するのが、野球である。

野球と数学の親和性

最近はあらゆるスポーツに数的解析が導入されているが、野球は数学と最も親和性の高いスポーツの一つである

野球はチームスポーツだが、基本的には打者と投手の一対一の戦いであり、あらゆる統計がとりやすい。

たとえば『博士の愛した数式』と同時期に話題になったノンフィクション『マネー・ボール』は、統計学的見地で選手を評価したり戦略を立てたりして(=セイバーメトリクス)、弱小チームを改革する話であった。

もっとも博士は現代的なセイバーメトリクスなどは知らないのだが、博士は野球に対するあらゆる数字を知っている。ここで、数学と野球、博士と野球がつながりあう。

そしてルートは、野球をプレイする少年である。

さらには、二人とも阪神タイガースの大ファンである。

ここに、数学者である博士とルートが、野球を媒介したつながりを得るのである。

博士は往年の名投手江夏豊の、ルートは当時駆け出しの若手外野手であった新庄剛志の大ファンであった。

(ちなみに『博士の愛した数式』の舞台は1992年で、実は新庄はこの年の時点では出始めの若手であり、まだ看板選手とは到底いえない。ルートは新庄の古参ファンなのだ。)

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博士との交流とルートの成長

話をストーリーに戻すと、すでに述べた通り博士の記憶は80分しか持たない。

しかし、主人公とルートは、博士との思い出を作ろうとする

作中でそのような機会は何度かある。たとえば博士をプロ野球観戦に連れていくことである。また、博士が大ファンである江夏豊のプロ野球カードを博士にプレゼントするために、ルートは奔走する。

主人公とルートと博士は、1992年6月2日に岡山で開催された、広島対阪神の試合を観戦することになる。

このプロ野球観戦シーンこそ、私が今まで読んできた小説の中で最も印象深いプロ野球観戦シーンである。

『博士の愛した数式』のプロ野球観戦シーン

野球観戦中も、博士は数学的な蘊蓄を述べる。

博士は自分とルートの座席番号が7-14と7-15であるのに気づくと、二つの数字について語りだす。

「714はベーブ・ルースが一九三五年に作った通算ホームラン記録。一九七四年四月八日、ハンク・アーロンはこの記録を破る715本目のホームランを、ドジャースのアル・ダウニングから放った.

714と715の積は、最初の七つの素数の積に等しい。

(数式略)

あるいは、714の素因数の和と、715の素因数の和は等しい。

(数式略)

こうした性質を持つ、連続する整数のペアはとても珍しい。20000以下には二十六組しか存在しない(後略)」

「うん、分かった分かった。ねえ、見て、あれ新庄だよ」

博士は球場の中で、明らかに浮いた存在にはなるが、周囲の心優しいファンから合いの手を入れられたりして、講釈を続ける。

また、このプロ野球観戦シーンには、いかにも球場にいそうな「亀山ファンの男」が登場したり、また試合展開の描写も克明で、プロ野球ファンには読んでいて非常に面白い。

先述したとおり、このプロ野球観戦シーンは、実際の試合に基づいている

(また、作中にしばしば登場する1992年の阪神タイガースの戦績も、史実に即している)

この部分は脚色されたノンフィクションのようにも楽しめるのである。

プロ野球観戦シーンの哀愁

だが、プロ野球ファン以外はこのシーンを楽しめないのかといわれると、そうではない。(もっとも、野球ファンの方が楽しめるのは間違いないが。)

なぜなら「野球観戦」というイベントは、『博士の愛した数式』の最も象徴的で印象的なシーンの一つだからだ。

『博士の愛した数式』を貫いているのは、哀愁である

このプロ野球観戦シーンも、『博士の愛した数式』特有の哀愁が付きまとう。

果たして博士は、六月二日の広島対阪神戦を楽しんだのだろうか。

後年、私とルートは折りに触れ、あの特別な一日について語り合ったが、博士が実物の野球を心から好きになってくれたかどうか、二人とも自身が持てなかった。もしかしたらお節介を働いただけで、善良な病人を無闇に疲れさせただけかもしれないと、後悔の念にとらわれるこのもしばしばだった。

ただ、三人で共有したささやかな風景の数々は色褪せず、むしろ時間が経てば経つほど鮮やかに浮かび上がり、私たちの気持ちを温かくした。(中略)野球場の思い出を語っている時は、今でもすぐ隣に博士がいるような錯覚を感じることができた。

『博士の愛した数式』のプロ野球観戦シーンの背景には、博士との付き合い方に悩みつつも、博士との時間を大事にしたいと思う主人公やルートの気持ちがある。また、主人公が決して豊かではないことも、『博士の愛した数式』やこのシーンの哀愁の所以かもしれない。

そんな不確かさに揺れるシーンでもあるから、私は文学的にも、『博士の愛した数式』のプロ野球観戦シーンは特別なものではないかと思うのだ。

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おわりに

『博士の愛した数式』のルートがもし現実にいれば、きっと新庄剛志がプロ野球の監督になっていることを喜んでいるのではないかと思う。なにしろ新庄が一軍に出るようになって間もないころから応援しているファンなのだから。

『博士の愛した数式』は野球小説というわけではないので、野球小説と見られることはないと思うが、私はこの作品の描く野球が好きである

その中でも、江夏豊の背番号である「28」が「完全数」であるというモチーフが『博士の愛した数式』で使われていることは比較的有名だと思うが、私は『博士の愛した数式』のプロ野球観戦シーンも素晴らしいということを、多くの人に知ってもらいたい。

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