悪童日記

アゴタ・クリストフ『悪童日記』という圧倒的な傑作文学【書評・解説】

読み終わった後に茫然自失になるほどの衝撃を受ける文学を読みたいのであれば、アゴタ・クリストフの代表作『悪童日記』をおすすめしたい。

アゴタ・クリストフは、1935年にハンガリーで生まれ、子どもの頃に第二次世界大戦を体験する。その後1956年、クリストフが21歳の時にハンガリー動乱が起き、オーストリアを経てスイスのフランス語圏への亡命を余儀なくされる。そこで1986年に、クリストフが自らの母語ではない言語であるフランス語で執筆した小説が、『悪童日記』である。

『悪童日記』という小説は(作中では明言されないものの)第二次世界大戦中を描いた小説であり、アゴタ・クリストフが置かれた運命を反映したような、過酷な状況を強かに生きる双子を主人公にした小説である。

主人公たちの置かれた辛い状況としばしば登場する卑猥な描写ゆえに、この小説は読む人を選ぶかもしれないが、間違いなく他の本にない読書体験ができる小説であると自信を持ってお薦めしたい。

私は古典的名作と呼ばれるような小説はネタバレしていても楽しめると考えている人間だが、『悪童日記』はネタバレがない方がより楽しめると思うので、もし興味を持った方はすぐにでもこの本を買っていただきたいが、この記事ではあまりネタバレをせずにこの小説の魅力を伝えつつ、すでに『悪童日記』を読んだという方にも読んでいただけるような考察を書いていきたいと思う。

だがもちろん、『悪童日記』には小説としてものすごい力があるので、ネタバレを知っても絶対に楽しめる小説であることも保証しておきたい。

悪童日記

『悪童日記』あらすじ・概要

『悪童日記』登場人物・舞台設定

はじめに前置きとして、『悪童日記』という作品の概要について簡単に説明したい。

『悪童日記』の主人公は、双子であり作中では「ぼくら」と呼ばれる。「ぼくら」は一心同体であり、二人はつねに一緒であり、2人の名前は明かされない。

実は『悪童日記』には続編があり、第2作が『ふたりの証拠』、完結作である第3作が『第三の嘘』という作品で、それぞれ堀茂樹訳で早川epi文庫から出ている。その続編では2人の名前が明かされるのだが、この記事では書かないでおこう。

双子の名前が明かされないのと同様に、この小説の他の登場人物にも名前がなく、あだ名や役職名で呼ばれる。

『悪童日記』という小説は、明らかに第二次世界大戦中のハンガリーを舞台にしているのではあるが、そのことは作中では明記されない。小説の舞台は〈小さな町〉と呼ばれる(この町はアゴタ・クリストフが戦時下を過ごしたクーセグという町がモデルだという。また同じく登場する〈大きな町〉は首都ブダペストだと思われる)。

さらに、この小説ではナチス・ドイツやソ連軍、そしてナチスによるユダヤ人の迫害をモデルにしたと思われる登場人物や出来事が起きる。

こうした匿名性がこの小説の特徴であり、以上を踏まえたうえで簡単にネタバレしすぎない程度に『悪童日記』のあらすじを紹介したい(ちなみに早川epi文庫の『悪童日記』には訳註がつけられているので、分かりやすい)。

『悪童日記』あらすじ

では、簡単に『悪童日記』のあらすじのサワリの部分を紹介したい。

物語の舞台はハンガリー(と思われる国)、舞台は第二次世界大戦のまさに終戦の前後である。

物語冒頭、双子たちはおかあさんによって、〈小さな町〉にある、おかあさんの母である「おばあちゃん」の家に連れてこられる。

おかあさんとおばあちゃんには確執があったが、戦火が広がるにおよび、子どもたちを預けにきたのだ。

しかし、おばあちゃんは町では〈魔女〉と呼ばれるような人物だった

おかあさんは、ぼくらを抱き寄せて接吻する。そして、泣き顔で去っていく。

おばあちゃんは高らかに笑い、ぼくらに言う。

「敷布に毛布じゃと!真っ白いシャツに磨き上げた靴じゃと!わしゃ、これからおまえたちに、生きるっていうのはどういうことか教えてやるわい!」

ぼくらはおばあちゃんに、べろを出して見せる。すると彼女は、自分の腿を叩いて、いっそう高らかに笑う。

(※ここだけ読むと、いじわるな祖母に双子がいじめられるだけの物語のように思われるかもしれないが、小説を最後まで読むと〈おばあちゃん〉への印象は変わるはずである。)

双子たちは、おばあちゃんの家で、生き方を自分たちなりに学んでいく。「体を鍛える」「盲と聾の練習」「残酷なことの練習」をしたり、隣の家に住む兎口(口唇裂)で誰にも愛されない少女「兎っ子」や、司祭などの人物と交流し足りする中で、苛酷な世の中を生きる術を学んでいくのである……。

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『悪童日記』が名作である理由

『悪童日記』が小説として面白いのは、一つには作者本人の体験をもとにした、極限状態を生きるという描写の圧倒的な迫力である。また構成としての面白さとしては、序盤で何気なく描かれた出来事が、後に重要な意味を持って蘇ってくる伏線回収の見事さも指摘できる。

しかし、やはりこの小説が面白いのは、その独特な形式だろう。

『悪童日記』という小説の形式

ところでこの小説には『悪童日記』という邦題がつけられているが、原題は『Le Grand Cahier』というものである。私はフランス語はわからないのだが、「大きいノートブック」という意味だという(ちなみに英語版は『The Notebook』というタイトルがつけられている)。

この小説は、戦時下という状況で、平時では倫理的とは到底言えない行為も行う「悪童」を描いており、私は『悪童日記』という邦題は素晴らしいものだと思う。

しかしこの小説が「日記」「ノートブック」であることも忘れてはいけない

先述の通り、アゴタ・クリストフは亡命作家であり、『悪童日記』執筆当時も晩年になってからも、フランス語を自由自在に扱うことはできなかった。『悪童日記』という小説も、そういったクリストフの言語的背景のもと、少年らしい簡潔な文体が特徴だといわれている。その意味でも、この小説の「日記形式」には意味があるのだろう。

だが文体以上に特徴的なのは、この小説は双子が記したノートブックという形式をとっており、そのノートブックの記述には、以下のようなルールがあると作中で明言されていることである。

ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない

たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「人びとはおばあちゃんを〈魔女〉と呼ぶ」と書くことは許されている。

……

感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

(アゴタ・クリストフ『悪童日記』(堀茂樹訳)p.42-43)

つまり、双子は自分たちの感情を、このノートブックに記入しない。だから、双子が起こした出来事の結果が描かれても、その過程の感情は描かれないのだ。この特徴は、一種のミステリー的な特徴を小説に生み出していて、非常に面白い。

語られない双子の感情

作品中では、双子の感情が語られないことによって、より衝撃的なエピソードになっているシーンがいくつかある。

その代表例は、物語のラストを除けば、以下の2つだろう。

・とある人物が大怪我を負うシーン
・ある人物のお願いを双子たちが拒むシーン

(漠然と書いているが、『悪童日記』を読んだ方には、100パーセントこの書き方で伝わるはずだ)

この2つのシーンで、双子の心情は語られない。だから読者は、その理由について考える中で、どんどん小説の世界に引き込まれていくのである。

これらのシーンで双子が何を思っていたのか、一意に解釈することはできない。(もちろん、私はこうだと思う、という意見はあるが)

しかしそれゆえに、この小説は色々な議論ができる、深い小説なのである。

そしてこの小説のラストも、謎に満ちた圧巻の結末である

双子は心情を決して語らないし、さらに彼らには語らない権利もあるのだ。そして実は、『悪童日記』の続編である『ふたりの証拠』『第三の嘘』では、語り手は果たしてどれくらい真実を述べているのか、ということがさらに重要な小説としてのテーマになってくるのだが、それはまた別の記事で紹介することにしたい。

おわりに

なかなか『悪童日記』の魅力を伝えるのは難しいが、とにかく言いたいのは、この小説は世界文学史上に輝く傑作だということである。

物語中に登場する、歴史を背景にした悲惨な出来事。過酷な世の中をしたたかにわたっていく「悪童」たち。そして双子の内面の謎。『悪童日記』は、「文学」としての圧倒的なパワーを持っている

万人受けするかというと保証はできかねるが、私にとって『悪童日記』は、ページを読む手が止まらない「徹夜小説」だった。興味を持った方はぜひ手に取ってみてほしい。

『悪童日記』の次におすすめの小説
『ふたりの証拠』
続編は『悪童日記』よりも“王道の小説”という感じなので、衝撃の度合いは下がるかもしれないが、『悪童日記』が面白いと思った方は絶対に読んでほしい。もちろんその次は第三作、完結作の『第三の嘘』を。
『マイケル・K』
内戦中の南アフリカを舞台に、口唇裂の主人公が生きるところが、どこか『悪童日記』(「兎っ子」という口唇裂の少女が登場する)を彷彿させる。(本ブログの紹介記事はこちら
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