一人でふらっと電車で遠出をする。駅を降りて、見知らぬ街をふらりと歩く。
私は、そういう小旅行が好きだ。でも、そうしていると時々「今、自分が誰かに連れ去られた時、知人や家族は自分を見つけ出してくれるのだろうか?」という不安に襲われることもある。――そう、安部公房の名作、『砂の女』を思い出してしまうのである。
でも、最近になって、この小説への印象はがらりと変わった。『砂の女』に登場する「囚われの男」は、新型コロナウイルスの感染拡大によって外出自粛を迫られた我々ではないのか……という感想を抱くようになったのである。
『砂の女』あらすじ
記事の性質上、ネタバレが含まれるのでご了承いただきたい。
この物語の主人公は、仁木順平という男(物語中では「男」と表記される)である。
男は、新種の昆虫を見つけることに執念を燃やしている。そんな彼が目をつけていたのが、砂地に生息するハンミョウである。彼はそのためにS駅に降り立ち、バス終点の砂丘の村に行った。
――この村が、変な村なのである。
すべての家が、砂の斜面を掘り下げ、そのくぼみの中に建てたように見えてきた。
(中略)
このあたりでは、屋根のてっぺんまで、すくなく見つもっても、二十メートルはあるだろう。
要するに、アリジゴクの穴に家があるようなものである。
そこで、彼は漁師風の老人に会う。
老人は、男を何やら疑いの目で見る。
「いや、調査でなけりゃ、かまわないんだがね……」
(中略)
「すると、あんた、本当に県庁の人じゃないんですね?」
どうやら、老人は男を、県庁の役人ではないかと警戒していたようである。
――しかし、その疑いが解けると、老人はやけに親切になる。
老人は男に、すでに終バスが終わってしまったことを告げ、集落の中に泊まることを勧める。
「ごらんのとおり、貧乏村で、ろくな家もないが、あんたさえよけりゃ、口をきくくらい、わたしがお世話してあげるがね。」
男が紹介された家には、寡婦が一人で住んでいた。女は、眼病で目が赤いことを除けば、魅力的でないとも言えないような女である。
女は、そうしなければ家を押しつぶしてしまう砂を掻くことに、精を出していた。
男は、女に風呂に入りたいと聞く。
そうすると、女は答えるのである。
「わるいけど、明後日にして下さい。」
男は、この答えに大声で笑う。
「明後日? 明後日になったら、ぼくはもういませんよ。」
しかし、女は、またしても不可解な答えをするのである。
「そうですか……?」
……
一夜明け、男はその意味を知る。
「おい、梯子がないんだよ! 一体どこから上がればいいんだい? 梯子がなかったら、あんなとこ、登れやしないじゃないか!」
男は穴の下に閉じ込められた。
村人も、女も、承知の上で、男を穴の中に閉じ込めたのである。
この試みを悟った男は動転し、脱出を試みる。
しかし、すぐに男は脱出が計画通りにいかないことを悟る。
――反逆して砂を掻かないと、水が配給されないのである。
集落では、村長が支配する社会主義に似た制度が採られ、物資は配給制となっていた。村にとって、砂こそが村の収入源であったのであり、砂を掻くという行為は自分たちが生き延びるために必要不可欠だったのである。
男は、女と同居生活をつづけながら、再び脱出の機会をうかがう。
縄梯子を、何とか自作したのである。そして砂の穴から脱出することに成功する。
しかし、集落の人間に見つかり、追い回される。
一見、不器用そうにみえた、彼等の追跡は、じつは、彼を海の方に追いつめようという、きわめて計画的なものだったのだ。
(中略)
いや、あきらめるのは、まだ早い。
(中略)
さあ、もう一と息、次の丘までつっ走れ!
……
急に、走りづらくなった。やたらに、足が重い。
(中略)
なんとか、脱け出そうと、もがいてみるのだが、もがけばもがくほど、ますます深く、めり込んで行く。
男は罠にはまったのだ。
「助けてくれえ!」
「たのむ、助けてくれ!……どんなことでも、約束する!……おねがいだから、助けてくれよ!……おねがいだ!」
ついに男は、泣き出してしまった。
そこで、男は村人たちに救出される。
――村人たちは、やけに優しいのである……
そして、男は女のいる穴に戻される。
男は、以前にも増して従順に生活を送る。
しかし、男は一つの《希望》を持っていた。
カラスを捕まえる罠を仕掛け、捕まえたカラスに手紙を括り付けることで、助けを呼ぼうとしたのである。
――しかし、そんなある日、カラスを捕まえる罠が、実は砂丘の中では水を得るための装置になることに気づく。
男は、この溜水装置の改良に、熱中する。
そして、水を効率的に得るために、気候を知る手段であるラジオを欲する。
――ラジオを共通の目的として、男と女は仕事に励む。
春になり、女は妊娠した。
だがある日、女は子宮外妊娠の診断を受け、街の病院へと運ばれていく。
男は、縄梯子が架けたままになっていることに気づく。
男は梯子を上り始めるが、溜水装置が、女を運び出したときの騒動で壊れたことに気づき、穴の中に戻る。
べつに、あわてて逃げたりする必要はないのだ。
(中略)
考えてみれば、彼の心は、溜水装置のことを誰かに話したい欲望で、はちきれそうになっていた。話すとなれば、この部落のもの以上の聞き手は、まずありえまい。
そして男は思う。
逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。
――そして、小説の最後のページは、男の失踪から7年後、男(仁木順平)を失踪者として宣告し、 (もとの世界での)死亡の認定を下す文書となっている。
男は、もう逃げようとはしなかったのである。
『砂の女』感想・考察
以上に書いたあらすじで十分に伝えられたのかはわからないが、この作品は非常に怖い作品である。いわゆる「怖さ」はないのだが、背筋が寒くなる展開ばかりである。
村人の怖さ
その中でもこの作品で第一に怖いのは、村人の存在である。
村人たちはサイコキラーのようなことをしでかすわけではない。
だが、村人に罪の意識がないのが怖いのである。
村人は、自分たちの生活を維持するために、男のように外部から来た人間を常習的に閉じ込めている。そうしなければ、村人たちは生きていけないのである。
生きるために仕方なくやっている――だから、村人たちには罪の意識がない。
仁木は、自分たちが掻いている砂がコンクリートの材料になることを知り、驚愕する。
こんな塩気を含んだ砂をコンクリートに用いたら、鉄筋が錆びてしまって大変なことになる。このことについてどう思っているのか、仁木は女を問い詰める。
だが女は、急に声を荒げて答える。
かまいやしないじゃないですか、そんな、他人のことなんか、どうだって!
でも、極論すれば、私たちの生きる世界だって同じなのではないかと、私は思う。
自分たちが生きていくため苦しいのなら、生きていくために、他人にどんな不利益を与えようが構わない――それは確かにそうなのかもしれないが、考えさせる問題である。
そして、男が砂地に嵌ったのを助ける村人の反応も、非常に怖い。
妙に、優しいのである。
こういうことをされると、人間洗脳されてしまうものである。
安部公房は東大医学部卒の秀才だが、人間の心理というものにも深い洞察をしていたのではないかと思わせる。男を手玉に取る村人たちの計算高さは、マインドコントロールを想起する。
男はどうして、穴の中で生きていくことにしたのか?
このように『砂の女』は、ストーリーや描写だけでも十分に面白い小説である。
だが、コロナ禍を体験した私たちは、この作品を読んで次のことを考えなくてはいけないだろう。
それは、どうして男は逃げなかったのか? という問いである。
コロナの「自粛生活」と『砂の女』
この記事を執筆したのは2020年8月だが(2021年11月追記)、私はこの記事を書いていた時、砂の中にとらわれた男と、新型コロナウイルス対策で自粛していた私たちの姿は重なると考えていた。
もちろん感染拡大を防ぐためにも、医療従事者に負担をかけないようにするためにも自粛することは大事であったから、状況に違いはある。
しかし私は、このような私たちの状況に、砂の中に監禁された仁木順平の姿を重ね合わせることができると思う。
もちろん「自粛生活」に自由を見出している人がいることは否定しないし、自粛生活によって面倒ごとから改善された部分もあると私だって考えている。
男だって、もともと大した人づきあいがあったわけでもないし、教師生活に戻っても「学校」という狭い空間の中に閉じ込められて生きていくしかなかったのである。
その点、男にも、砂の中にとどまり続けるメリットはゼロではなかった。
――しかし、本当にそれでいいのだろうか?
自分から砂の中の生活を選ぶならまだしも、監禁されて、結局その生活に順応してしまったというのは、何も問題ないことなのだろうか?
私たちは、そんな「男」のようになってしまってはいなかっただろうか?
あるいは、
かまいやしないじゃないですか、そんな、他人のことなんか、どうだって!
と言い放った「女」のようになってはいなかっただろうか?
『砂の女』と私たちが体験した自粛生活を重ね合わせると、「人間らしく生きること」とは何なのだろうか?ということを考えさせられる。
ひとつの使命を得るということ
しかし結局、作中で男は逃走しないことを選んだ。
それは彼が、穴の中でも「人間らしい生活」をする方法を見出すことができたからであろう。
男が変わったのは、「溜水装置」の改良に生きがいを見出してからである。
自分の熱中できること、自分が世の中の役に立つこと、そんな目標を見つけることができた時、人間は極端に自由を制限されていたとしても、希望を持って生きることができるのである。
ーーしかし、それが本当に好ましいものであるのかは、私には判断ができない。
おわりに
夏といえば怪談で涼をとるという手もあるが、『砂の女』も背筋がぞくぞくする、8月を舞台にした名作である。
夏休みに、是非読むことを薦めたい名作である。
そして、「穴の中で暮らすこと」について、しっかりと考えてみてほしい。
きっとコロナ禍を経験した私たちは、「男」仁木順平に共感できる何かがあるはずである。
安部公房の芥川賞受賞作は『壁』所収の『S・カルマ氏の犯罪』。おすすめ度は必ずしも高くないが、興味のある方は読んでみてほしい。
「イタリアのカフカ」と呼ばれる作家ブッツァーティの『タタール人の砂漠』も、閉鎖的な空間で暮らす主人公を描いたという点で『砂の女』的な作品。こちらはとてもおすすめ。
『砂の女』の主人公が閉じ込められていく感じは、カフカの『城』に似ている。こちらはおすすめ度はやや低め。