最近(2021年)「黒い雨訴訟」が話題となった。
「黒い雨」というのは、原爆投下後に降り注いだ、原爆投下時に生じた煤や放射性物質を含んだ、言葉通り黒色をした雨のことである。
つまり、原子爆弾によって直接被爆しなかった場合であっても、放射性物質を含む「黒い雨」を浴びてしまった人は、放射性物質に被曝し、健康被害が出ていたのである。
前述の「黒い雨」訴訟がなぜ起こったのかというのは、「黒い雨」の降った地域について従来国は一部分しか認めておらず、「黒い雨」を浴びてしまったにもかかわらず被爆者と認定されなかった方が多かったことに起因する。そのため、被爆者の方は国の認定を求めていた。
「黒い雨」の恐ろしさや原爆の悲惨さを描いた文学作品としては、井伏鱒二の『黒い雨』が挙げられる。
「黒い雨」訴訟のニュースを見聞きしていても思うのは、被爆者の方々が高齢化し、原爆の記憶を後世に残すことが難しくなっていることである。そうした中で、この1966年に刊行された『黒い雨』は、原爆の記憶を伝えるものとしてこれからも意味を持ち続ける作品になるだろう。
『黒い雨』あらすじ解説
はじめに、『黒い雨』のあらすじを紹介したい。
物語の舞台は、終戦後しばらくした広島市東部の神石郡小畠村である。
物語の主人公・閑間重松(しずま・しげまつ)は、妻・シゲ子と姪・矢須子と一緒に暮らしている。
重松には、2つの悩みがあった。
一つは、原爆で被曝して以来、自分の体に健康上の影響が出ていることである。重松は原爆症によって無理がきかない体になってしまい、重労働ができないことである。
肉体労働をすることができない重松は、時にほかの村人から陰口をたたかれており、そのような中で新しく鯉の養殖事業を始めようとする。
そしてもう一つは、一緒に暮らしている姪・矢須子の結婚話がまとまらないことである。
矢須子は結婚適齢期を迎えていたが、縁談の話が来るたびに、彼女が被爆者であるという噂が立ち、縁談が流れてしまっていたのである。
そのような折に、矢須子にまたとない縁談が舞い込む。
なんとしてでも矢須子の結婚の話をまとめたい重松は、広島に原爆が投下された1945年8月に自分や矢須子がつけていた日記を取り出し、その日記を清書することにする。
つまり、当時の自分や矢須子がつけていた日記を縁談の相手に送ることによって、矢須子が被爆者でないことを証明しようとしたのである。
こうして、重松の清書という形で、物語の舞台は原爆が投下された1945年8月6日へと移っていく。
矢須子は、原爆が投下されたときには、爆心地から離れた場所にいた。矢須子は、原爆の放射線を直接浴びたわけではないのである。
だが、重松が当時の日記を清書するうちに、矢須子は原爆投下後に、重松や妻シゲ子の安否を確かめるために爆心地付近へ行き「黒い雨」を浴びてしまっていたことが明らかになる。
また、原爆投下後の爆心地付近で避難していたため、その過程で残留放射線も浴びてしまっていた。
重松は、このことを清書に書くべきか悩む。
そうした中で、これまでは健康と思われていた矢須子の身体に異変が起きてしまう。
重松は、原爆症が奇蹟的に治った例などにすがるが、効果は出ない。縁談も破談になってしまう。
「今、もし向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気は治るんだ」
どうせ叶わぬことと分っていても、重松は向うの山に目を移してそう占った。
『黒い雨』解説
感想および考察に入る前に、この作品の成立について少し触れておきたい。
あくまで『黒い雨』という作品を書いたのは井伏鱒二だが、この作品は、主人公の名前のモデルにもなっている重松静馬が書いた『重松日記』がもとになっている。
また物語終盤は、被爆軍医だった岩竹博による『岩竹手記』も参考にされている。
つまり、『黒い雨』の原爆投下直後の悲惨な情景などは、実際の被爆者の日記を参考に書かれているのである。
だから、『黒い雨』の描く原爆の悲惨さは、驚くほどにリアルなのである。
なぜなら、それは実際に見られた光景だったからである。
ちなみに『重松日記』は、2013年に筑摩書房から刊行されている。
購入するのは難しいかもしれないが、「実際の被爆者の日記」が読みたい方は、ぜひ図書館などで借りて読んでみてほしい。『黒い雨』はフィクションだが、『重松日記』はれっきとした一次史料である。
『黒い雨』感想・考察
以上のような成立過程を持つ作品であるがゆえに、作者井伏鱒二自身は『黒い雨』について「小説ではない」というような意識も持っていたという。
しかし、『黒い雨』を(『重松日記』とも比較しながら)読んでみると、『黒い雨』が参考資料である『重松日記』の内容を損なわないノンフィクション的な作品でありながら、小説家・井伏鱒二の力量が遺憾なく発揮された文学作品であることがわかる。
日常と非日常の交差
『黒い雨』が、小説として非常に巧みだと思うのは、戦後の広島市郊外という日常と、原爆投下直後の広島という非日常を、違和感なく交差させているところである。
さきに紹介したように、この作品は、日記という形をとって原爆投下直後の広島の回想が始まる。「日記」というツールを用いたことによって可能となった、巧妙な時間の行き来の描写は、小説家ならではの技法だと思う。
こうして物語は、「非日常」と「日常」を行き来して進行する。
だが、物語が進むにつれて、矢須子の原爆症の発症という「非日常」が「日常」を侵食し始めるのだ。
ところで、井伏鱒二は当初この作品を『姪の結婚』として連載していた。
しかし、連載中に新潮社の「天皇」と呼ばれた重役・斎藤十一の鶴の一声で『黒い雨』に改題されたという(『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』)。
このエピソードからは、編集者・斎藤十一の凄さというものも伝わるのだが、一方で井伏が「姪の結婚」という題材に込めた意味というものも感じさせる。
「原爆文学」として
『黒い雨』という「原爆文学」がほかの戦争文学と違ってやや異質なのは、終戦から何年か経過したのにもかかわらず、戦争によって日常を奪われているということではないだろうか。
作品に通底するのは、この不条理さとやるせなさである。
戦争は終わったのに、重松や矢須子の戦争はまだ終わっていないのだ。
井伏鱒二が、当初「姪の結婚」をテーマとして小説を書こうとしたのは、こうした「戦後に起きた不条理」をもっと描きたかったからなのではないだろうかと、私は感じた。
原爆は、一度は戦争から逃げ延びたはずの矢須子の、平和な日常を突如奪った。矢須子は、普通に生活していた庶民であるにもかかわらず。
矢須子の日常を奪ったものこそ「黒い雨」であったのである。
庶民の感情の吐露
また、『黒い雨』は、重松のような戦争に翻弄される庶民の心情を描写した作品としても優れている。
『黒い雨』作中で最も有名と思われるのは、重松の次の台詞だろう。
戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。
いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。
正義の平和が最も望ましいのはもちろんだが、「不正義でも平和がいい」という重松の言葉は、庶民の気持ちを代弁した名言である。
繰り返すように『黒い雨』はフィクションであるが、被爆者の実体験をもとにしている。また、当然ながら作者・井伏鱒二も被爆者ではないにせよ、戦争に翻弄された時代の人間である。
戦争を体験したことのない人が戦争体験を語ることができないとは言わないが、やはり実際に体験した人に比べるとリアリティは及ばないだろう。
戦争に理不尽に翻弄される民衆を描いたこの小説は、戦争を実際に体験し戦争に振り回されたた人々の悲劇であり、読み継がれるべきものであると思っている。
おわりに
思うに、日本文学に特有の小説のテーマがあるとしたら、それは「原爆小説」なのではないだろうか。日本は現状唯一の(そして、絶後であることを願うが)、戦争での被爆国なのだから。
原子爆弾という存在は、あまりにも大きく、不条理なものである。
そのような体験談を語り継ぐことこそ、日本人としての使命なのではないかと、私は思う。『黒い雨』は「世界文学」としても、疑いなく価値を有している作品である。
夏の読書感想文の課題図書としても、次世代へ読み継がれてほしい本である。