20世紀のイタリアの作家ディーノ・ブッツァーティは、代表作の長編『タタール人の砂漠』も有名だが、多くの優れた短編を残した小説家としても知られている。
ブッツァーティの短編は非常に面白いが、星新一のショートショートのように奇抜な設定やオチの秀逸さを楽しめるものでも、オー・ヘンリーの短編のように心温まるラストを楽しめるものばかりでもない。
個人的には、ブッツァーティの短編の面白さとは何かというと、「なにがなんだかよくわからない恐怖」を描いているところだと思う。ブッツァーティは「イタリアのカフカ」と呼ばれるように「不条理」をテーマにする作家と評されるが、短編でも不条理さや抗えないものへの恐怖を描いている。
このようにブッツァーティはストーリーが面白いタイプの作家ではないのだが、好きな人は好きになると思う。
ブッツァーティの短編集はいくつも邦訳されているのでどれを読んでもいいと思うが、ここでは岩波文庫から出ているブッツァーティの短編集『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』をもとにブッツァーティの魅力を紹介したい。
ブッツァーティのおすすめ短編
では具体的なブッツァーティの短編を紹介しつつ、その魅力について書いていきたい。
「水滴」
「よくわからない恐怖」を描いた作品としてもっともぴったりくるのは、「水滴」という短編である。
この短編では、「アパートの階段を、毎夜毎夜水滴がのぼってくる」ということをひたすら描いている。
もちろん、水滴が階段を上るなんてことはありえない。だが、この短編では水滴が階段を上る。だから怖いのだ。しかし、階段を上がるのは、たったの水滴である。アパートの住民たちは、普段から水滴が怖いわけではないだろう。では、アパートの住民が怖がっているものは何なのだろうか?
この短編は、「恐怖」について考えさせる短編である。
ストーリーとしてはただ水滴が階段を上る、ほんとうにそれだけなのだが、ブッツァーティの筆力によって非常に面白く印象的な作品になっている。
「なにかが起こった」
ところで私が思うに、「水滴」が怖い理由の一つは、「何も手出しできないまま何かが起こり、進行していく」ことへの根源的な恐怖なのではないかと思う。
「なにかが起こった」はまさに象徴的な短編で、主人公たちは特急列車に乗っている。列車の乗客は、窓の外を眺めて、列車の外の世界で「なにかが起こった」ことを察知する。
しかし列車は止まらない。列車の乗客たちは、何も外で何が起こっているのかを知ることができないまま、列車が目的地につくまでの時間をひたすら浪費していくのである。
「七人の使者」
ブッツァーティの作品は「時間の浪費」をテーマにした作品もある。時間の経過は不可逆なもので、私たちは時間が過ぎること・つまり老いることに対してどうすることもできない。その不条理さは、ブッツァーティの作品でしばしばテーマとなる。
岩波文庫版の表題作品の一つになっている「七人の使者」は、ブッツァーティの長編『タタール人の砂漠』と雰囲気が似た作品で、時間の経過を一つのテーマにしている。
『タタール人の砂漠』は別の記事で紹介したが、「人生とは、有限で、老いとともに色々な可能性を失っていくもので、短く、たいていの人は何かを成し遂げることさえできずに終幕を迎えるものである」ことをテーマにした作品である。
人生とは、有限で、老いとともに色々な可能性を失っていくもので、短く、たいていの人は何かを成し遂げることさえできずに終幕を迎えるものである。 そのようなことをテーマにした世界文学の名作として、イタリアの作家ディーノ・ブッツァーティの『タ[…]
「七人の使者」は、王国のさいはてを目指して旅する主人公たちが、王国の中心から途方もないほど離れていく話だ。
ストーリーはただそれだけだが、読んでいると人生の有限さを感じる作品である。
「神を見た犬」
岩波文庫版で「七人の使者」とともに表題作となっている「神を見た犬」は、これまた「よくわからない恐怖」を描いた作品である。
「神を見た犬」というタイトルが秀逸だが、神を見た犬とはなんぞやと思われる方も多いであろう。
あらすじのようなものを軽く説明すると、「神を見た犬」というのは、町の外れに住む隠者の飼い犬のことである。隠者はあるとき亡くなるが、そのとき隠者のもとには天から「光」が舞い降りた。町の人たちは、隠者が神に召されたのだと噂しあう。
隠者が神に召されたのだとしたら、隠者のもとをいつも離れなかった飼い犬は、「神を見た犬」になるのではないか。神を見た犬は、いったいどのような霊性を獲得したのか……。
町の人々は、野良犬と化した「神を見た犬」を見かけるたびに、心の底でおびえる。
「神を見た犬」が描くのは、「得体のしれないものへの恐怖」なのである。
おわりに
重ねて書くように、ブッツァーティの短編は「なんだかよくわからない恐怖」を描くことに特徴がある。「なんだかよくわからないもの」を描いているから、「なんだかよくわからないけど面白い」のである。もしこのブログのストーリー紹介だけではつまらなく思えたとしても、それは私の筆力の不足によるものである。ブッツァーティは「幻想作家」と呼ばれるように幻想的な描写も巧みなので、ぜひ気になったという方がいたらブッツァーティの作品を読んでみてほしい。
ところで岩波文庫は訳が古く堅苦しいというイメージを持っている方もいるかもしれないが、今回紹介した『七人の使者・神を見た犬 他十三篇』は訳も読みやすい。また個人的には、カバーもいちばん素敵だと思う。
もちろん岩波文庫版以外でも、ブッツァーティの短編は光文社古典新訳文庫などから出ているので、気に入ったものから読んでみてほしい。
私も読んだことのないブッツァーティの短編はまだまだあるので、いずれ読破したいと思う。
フィツジェラルドの『ベンジャミン・バトン』も不条理を題材にした短編だが、じつは「不条理」はテーマではない、と思う。
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