親戚の影響で「マンガと言えばあだち充・高橋留美子」という環境で生まれ育った。
この小学館を代表する二大巨頭の代表作はどれも読んだが、小学生の時にはあまり面白さがわからない作品として記憶に残っていたのは、高橋留美子の『めぞん一刻』だった。
今思うと、小学生が読んで面白さがわからないのは無理もない。
しかし、これらの小学生の時に読んだ作品を大学生になって改めて読んでみると、いちばん感嘆し、笑えた作品が『めぞん一刻』だったのである。
『めぞん一刻』は、今もまったく色あせていないマンガ作品である。
『めぞん一刻』あらすじ
『めぞん一刻』の面白さの紹介に入る前に、まずはあらすじを軽く紹介しよう。
物語の舞台は時計坂という街にある、「一刻館」という古いアパート。
主人公・五代裕作は一刻館に下宿する貧乏浪人生だったが、毎日のように五代の部屋で宴会騒ぎをして問題を起こす住人たちに愛想をつかし、このおんぼろアパートから出ていくことを決意する。
だが、五代よりも先にアパートを出ていったのはアパートの管理人だったーーそして、新しく音無響子という女性が管理人としてやってくる。
アパートを出ていこうとした五代は、響子の美しさに惹かれてアパートに留まることを決意する。
そして、なんとかして響子の気を惹きたいと思うのだが、響子には想っている男性がいた。
――響子は未亡人であり、死別した夫・惣一郎のことが今も頭から離れないのである。
五代は無事(第一志望ではなかったが)大学にも合格し、大学生となる。
しかし、五代と響子の仲は進展しないばかりか、強力なライバル・三鷹瞬が現れる。物語は五代・三鷹・響子の三角関係になる。
さらに五代も、昔バイトの同僚だった七尾こずえと仲良くなって五代・響子・こずえの三角関係も生じていって……
『めぞん一刻』の魅力
ここからは、大学生の私が『めぞん一刻』を読み返して、どこに魅力を感じたのかを書いてきたい。
ヒロインが「未亡人」であること
小学生時代の私がこの作品を十分に理解できていなかった理由は、ヒロイン・音無響子が未亡人であるということにもあるかもしれない。
「未亡人」であることと登場人物の行動原理
未亡人というのは、ヒロインの属性としてはマイナスになってしまうことが多いかもしれない。小学生時代の私も、なぜわざわざヒロインが未亡人なのか、不思議に感じたものだった。
しかし、この作品で音無響子が「未亡人」であるということは、常に重要な要素となっている。
小学生のころに『めぞん一刻』を読んだとき、響子をはじめとする人々の行動原理はよくわからなかった。
だが、改めて響子が未亡人であることを考えると、色々な人の行動に共感できるようになったのである。小学生の私は理解できなかった場面も多かったが、成人してから読むと物語の筋がくっきりとしていて、驚いたことを憶えている。
例えば、響子の父と母は、作中でことあるごとに響子や五代の邪魔をし、読者をいらつかせるような行動をとる人物ではあるが、実は両者とも娘を心から気遣っている。
その行動は父と母で全く異なるが、その心情はどちらも響子が未亡人(=愛する人を喪った)ことを気にしているのである。
そして、五代に思いを寄せる女子高生である八神いぶきも、ある時響子が未亡人であることを知る。それ以来、いぶきの行動もーーそしてそれに影響されて響子の行動も変わっていく。
「未亡人である」ということが、多くの登場人物の行動を変えていくのである。
「三角関係」のミスリード
だが、響子が未亡人であるということは、たまに読者も読んでいて忘れてしまうことがある。しかし、これは作者高橋留美子の巧妙な罠なのである。
たとえば作中、響子をめぐって、主人公・五代は、恋のライバル三鷹と争うことになる。
小学生の時の私は、『めぞん一刻』を「響子と五代と三鷹の三角関係の話」と認識していた。
だが、この読み方は、少し間違っている。この響子を巡った五代と三鷹の三角関係はミスリードなのである。
実際には五代や三鷹は、響子の死別した元夫・惣一郎との三角関係に打ち勝つ必要があるのであり、響子が未亡人であることは常に物語に影響しているのである。
作品をテーマづける「未亡人」属性
そして、響子が未亡人というのは単なる物語を進めるための道具ではない。
作品自体の最終的なテーマも、響子が未亡人であるからこそなのである。
ここではネタバレは避けるが、ラストに近いシーンで響子が五代に告げた名セリフが、それを端的に表している。
高橋留美子がこの作品を通じて描きたかったメッセージや愛の形は、響子の「未亡人」という属性なしにはありえなかったのである。
ヒロイン・響子の「面倒くささ」
だが「未亡人」という属性を抜きにしても、響子は物語のヒロインとして魅力的である。
端的に言えば、響子は「面倒くさい」女なのである。
もちろん、響子の煮え切らない態度は未亡人ゆえのところが大きい。
しかし、響子が自分の行動を棚に上げて五代を嫉妬したりするのは、多くは響子自身の性格ゆえだろう。
すぐに五代のことを誤解して不機嫌になるしーーいろいろと面倒なのである。
(五代と響子は交際していないのにもかかわらず。今ではあまり考えられないシチュエーションだが……)
このような「嫉妬」「やきもち」という感情を、高橋留美子という天才が描き切った女性が音無響子なのである。
だが、このような以心伝心というわけにはいかない男女関係の描写、そして面倒くささこそ『めぞん一刻』を名作たらしめているのではないかと思う。
このような男女関係の描写は、やはり成人してから読むと印象が全く違った。
大学生こそ『めぞん一刻』を読んでほしい理由
また、この作品を読み返して思ったのは、長いスパンで物語が描かれていることへの驚きである。
主人公・五代裕作は、第一話では19歳(高校を卒業した浪人生)であるが、最終的に大学を4年間かけて卒業し(20~24歳)、その後就職浪人を経て、2年近く専門学校に通って保育士資格を取り、就職するまで(26歳)が描かれる。
青春時代の総決算
つまり、この作品で描かれるのは8年間である。
『めぞん一刻』自体も、1980年から1987年までの8年間連載がされていた作品である。この作品は連載されていた当時、作中の時の流れと現実の時の流れが一致していたということなのだろう。
ここまで長い時の流れを書き切ったラブコメは、なかなかないのではないかと思う。
永井連載にもかかわらず作中の時間が1ヵ月程度のラブコメは世の中に数多くあるが(高校生の夏休みを描いた作品などは好例である)、8年という時の流れを書き切った作品はなかなかない。
そして、作中の中で五代や三鷹も、家庭を持つ大人へと成長してくのである。
それぞれのライフステージ
このように長いスパンを持つ作品なので、20代の読者は、作中のどこかの場面では五代や響子とライフステージが一致する。
これは『めぞん一刻』の魅力の一つである。
私は、今、大学生~就職浪人をしていたころの五代と同じ年齢である。
だから、五代の人生と私の人生を重ね合わせることができる。(私に響子さんはいないが……)
このように、登場人物の年齢のレンジが広いため、この作品は比較的幅広い層の読者が、自身と登場人物を重ね合わせることができる。
この作品は、19歳~27歳の間に出会ってほしい作品である。
『めぞん一刻』はラブコメだが、そこには大学進学、就職、結婚といった人生のライフステージが描かれている。
若者が人生を進めるにあたって悩んでいるときは、『めぞん一刻』で描かれる五代の苦悩などを読んでみてほしい。私も進路に悩んでいるときにはこの作品を読んだ。
時の流れの速さと遅さ
だが、もちろん20代を過ぎてしまったら『めぞん一刻』を楽しめない、というわけではない。
ある意味でこの作品が描き出しているのは、時の流れの速さである。
そして逆に、過去を克服するのにかかる時間の長さでもある。
『めぞん一刻』は、この「8年間」という時間を存分に活用している。
曖昧な関係が、気づいたら何年も続いていることーーそして、愛する人を喪った悲しみを克服するのには時間がかかることーーを存分に生かしている。
そのようなテーマは、歳を重ねてからこそ深く感じられるのではないだろうか。
だからこそ『めぞん一刻』は、年を取ってから面白く感じることができる作品なのではないかと思う。
おわりに
ここまで、「小学生の時に面白いと思わなかった『めぞん一刻』の魅力に、大学生になって気づいた」という話を主にしてきたが、もちろん『めぞん一刻』は小学生にも楽しめる作品でもある。
高橋留美子作品に共通する健全なギャグやコメディの高いセンスは、『めぞん一刻』でも遺憾なく発揮されてる。
そもそも五代の隣人・四谷という謎の人物の存在自体が面白いし(結局四谷は何者なんだろうか)、三鷹の弱点はコメディであるとともに、物語終盤への強烈な伏線となっている。
そして、個別の話でも「ギャグ回」は高いレベルのものが多い。五代が、アルバイトしている保育園の園児キョンキョンに告白された話などは捧腹絶倒である(詳しくは原作を見ていただきたい!)。
永遠に読み継がれてほしい名作である。
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