バーナード・ショーの『ピグマリオン』といえば、あのオードリー・ヘップバーンが主演した映画「マイ・フェア・レディ」の原作としても有名である。
だが、この二つの作品は、実は全く違う結末の作品なのである。
「マイ・フェア・レディ」はいわゆるシンデレラストーリーのようなラブストーリーであるが、原作の『ピグマリオン』は稀代の皮肉屋である作者バーナード・ショーが書いた、アンチラブストーリーともいえるような作品である。
今日はバーナード・ショーの誕生日(の翌日)ということで、この作品が持つ面白さについて書いていきたい。
皮肉屋バーナード・ショー
まず、作者のバーナード・ショーという人物について少し紹介しよう。
バーナード・ショーはノーベル文学賞も受賞したことのある劇作家であるが、非常な皮肉屋としても知られている。「バーナード・ショー 名言」などのワードで検索すれば、彼のウィットに富んだ言葉の数々を知ることができる。
陸軍大臣・荒木貞夫との対談
ここで一つ、バーナード・ショーが来日した時の逸話を一つ紹介しよう。
バーナード・ショーは1933年に来日したが、その際に荒木貞夫陸軍大臣と会談している。当時の新聞(『東京朝日新聞』1933.3.8朝刊)も
「てんでチグハグだろうと思われたが、会ってみると両者の話は意外にある意味でぴったり来」たと書いている(これは記者の皮肉かもしれないが……)。
その際にバーナード・ショーが発した言葉は、現代的視点から見ても面白い。
近代戦には個人的勇気など必要ない
といって、これに荒木が「人と人の闘いだから」と反論したり
人を殺さずに戦争するには化学兵器をうんと発達させて機会と機械だけで戦争すれば人を殺さないでよい
と100年近く前にすでに述べていたり、未来を見通したバーナードショーの慧眼には恐れ入る。
だが、彼の皮肉屋としての資質が最大限発揮されているのは、この別れ際のセリフだろう。
約束さへなければ支那兵が東京へ攻めてくるまで話したいのだが……
――中国の兵が東京に攻めてくるという仮定を、冗談でも日本の陸軍大臣の前でするショーに、新聞も「最後の挨拶にも皮肉を述べる」と評している。
バーナードショーが稀代の皮肉屋であることを、わかっていただけただろうか。
『ピグマリオン』あらすじ
前置きが長くなったが、『ピグマリオン』のあらすじを紹介しよう。
貧しい花売り娘イライザは、ロンドンの下町生まれで、ひどい下町訛りの持ち主であった
そんな中、言語学者ヒギンズと出会い、イライザは下町訛り(コックニー訛り)をヒギンズにさんざんに馬鹿にされ、屈辱を味わう。
しかし、イライザはヒギンズが喋り方を矯正できることを知り、自分の喋り方も矯正してくれるようヒギンズの家に押し掛ける。
ヒギンズは当初はイライザに興味を持たないが、イライザの熱意に動かされ、また「イライザの喋り方を矯正し、半年後に舞踏会でイライザに公爵夫人として振舞い通させる」ことに成功するかどうかの「賭け」を友人ピカリング大佐とすることで乗り気になり、イライザを家に住まわせて徹底的に喋り方を鍛える。
半年間のイライザの血のにじむ努力もあり、イライザは高貴な話し方を身に着け、美しく変貌する。
そして、舞踏会で高貴な身分の娘として振舞い続けることに成功するのである。
しかしその夜イライザは、結局ヒギンズが彼女のことをを実験対象、あるいは貧しい花売りとしてしか見ていないことを知り、家を去る。
ヒギンズは、イライザが姿を消したことに、狼狽を隠すことができない。
しかし、ヒギンズと再会したイライザは、彼女に思いを寄せているフレディと結婚することを仄めかす。
これを聞いたヒギンズが空虚な笑いを上げながら、幕が下ろされる。
『ピグマリオン』の結末の考察
このような『ピグマリオン』の結末に対し、マイフェアレディの方は、イライザとヒギンズが結ばれることを仄めかしながら終幕する。
この終わり方の方が、「王道」に思えるのは確かだろう。
しかし、当然ながら皮肉屋である作者バーナードショーは、このようなエンディングを認めなかった。そして『ピグマリオン』の「後日譚」として次のような文章も書いている。
ただイライザがロマンスのヒロインになったからというだけの理由で、物語の主人公と結婚したに違いないと決めつけてきた。これには我慢がならない。浅はかな思い込みで演じられたのでは彼女のせっかくのドラマが台無しにされてしまうからというだけではなく、広く人間性というもの、特に女性の本能というものが分かっている者にとっては、物語が真に向かう方向は歴然としているからである。
――なぜ、バーナードショーは、ヒギンズとイライザが結ばれない結末にこだわったのか?
ピュグマリオンとしてのヒギンズ
ここで、この戯曲のタイトル「ピグマリオン」についてさらっておこう。
ピグマリオン(ピュグマリオン)とは、ギリシャ神話に登場する男性の名前である。彼は、生身の女性に失望し、理想の女性の彫刻を彫って愛したのある。
もちろん『ピグマリオン』においては、ヒギンズが「ピグマリオン」である。
彼が、ゼロから「(高貴な女性としての)イライザ」を作り上げた。
――しかし、それゆえにヒギンズとイライザは、恋愛という対等な場には立てないのである。
彼女にとって彼はあまりにも神のごとき存在であり、到底つき合えるものではないのである。
これが、バーナード・ショーの言う「人間性」ないし「女性の本能」というものだろう。
自分を作り上げたような人物と恋人になったとしても、イライザは絶対に「元の自分」(=花売り娘)としてのポジションを脱することができない。特にヒギンズのような高慢な男性の前では。
ヒギンズとイライザが恋人同士になっても、イライザはヒギンズに一生従属し続けることになる。これをバーナード・ショーは認めなかったのである。
自立した女性としてのイライザ
だが、もちろん近代以前においては、男性が神であり女性が被造物であっても問題なかったのである。
考えてみてほしい、『源氏物語』で、光源氏は紫の上のピグマリオン(造物主)であったことを。
バーナード・ショーは、『ピグマリオン』を通して、自立した女性の姿を描いたのである。
そこに、バーナード・ショーが主人公とヒロインを結ばせないというプロットを書いた理由がある。その点では、単にバーナードショーがひねくれていたからイライザとヒギンズをくっつけなかったわけではない。
だが、この作品は身分を超えた恋などを主題とする「シンデレラストーリー」のようなラブストーリーへの、強烈な皮肉なのである。
おわりに
『ピグマリオン』は、以上のように、現代でも新鮮なヒロインを描いた作品である。フェミニズム的といってもいいのかもしれない。
そこに、この作品やバーナードショーが色褪せない理由がある。
またここまで特に触れなかったが、バーナード・ショーの言葉遊びも随所にちりばめられていて、表現を楽しむこともできる作品である。特に、イライザの学習途上でのちぐはぐな言葉遣いなんかには、ショーのユーモアが存分に出ていると思う。
現在最も入手が容易な『ピグマリオン』は光文社古典新訳文庫版であるが、これは石原さとみさんがイライザを演じた時の脚本であり、非常に読みやすく、また戯曲ということで飽きずに読むことができる長さになっているので、ぜひ海外文学になじみがない方にもお薦めしたい。
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