すべての読書人には、何かしらの読書の方向性を持っているだろう。
この方向性は十人十色である。
全く他人に強制する気はないし、理解されなくても良いが、私は基本的に「古典」と呼ばれる本に価値を見出し、そのような本をできる限り多く読むことを目標としている。
このような読書を私が行うのは、ひとえに「古典」こそ「コストパフォーマンス最強」だと思うからである。
以下、どうして私がこのように思うかについて述べていきたい。
なぜ「ベストセラー」を読むのか?
「ベストセラー」を読む意味とは何か。
ベストセラーは内容が優れているからこそ、よく売れて、話題となっているものが多いのは確かである。
しかし残念ながら、現代においては、本の質が必ずしも高くなくても、話題性さえあれば「ベストセラー」になりうるのが現状である。
しかし、それでも人々がそのような「話題書」を買う。この理由は、一つには話題書を読むことによって友人知人との共通の話題としているからだろう。
そうすれば、その作品を通じて他の人と対話することができ、その読書体験は有意義なものになるだろう。確かに話題書を読む理由も理解できる。
とすると、ベストセラーを読むメリット・デメリットは次のようになるだろう。
ベストセラーを読むメリット・デメリット
メリット
◎共通の話題を多くの人と作れる
デメリット
△質が高いとは限らない
現代の「ベストセラー」を読むことの利点は、古典についてもあてはまる。
なぜなら、古典こそが、古今を通じた最強の「ベストセラー」だからである。
古典こそが、過去の多くの人にも読まれた本であり、古典を読むことによって過去の人々と対話することができる。
多くの人に読まれてきた知識、多くの人が影響を受けてきた「共通の知識」を習得することこそが「教養」であると私は考える。
その「共通の知識」を得ることができるのは、古典なのである。
古典は「教養」として、現代においても多くの知識人に共有されているものである。
少しでも高い社会的地位の人々と付き合おうとするならば、古典を読むべきである。
とすると、古典を読むメリット・デメリットは次のようになろう。
古典を読むメリット・デメリット
メリット
◎過去の偉人たちと知識の前提を共有できる
〇現実世界でも教養人の話題についていける
◎質が高い
デメリット
△ややハードルが高い
とすると、古典作品というのは現代のベストセラーの上位互換的存在に思えてこないだろうか?
「時間の試練」を超えて
ここでもしかすると、現代においては本の質が必ずしも高くなくても、話題性さえあれば「ベストセラー」になりうると述べたのにもかかわらず、「ベストセラー」としての古典に無条件の価値を認めていることに矛盾があると思われるかもしれない。
だが実際に、「古典」には「ハズレ」がないのである。
「話題書だから」という理由で価値のない本を読んでしまうことはあっても、「古典だから」という理由で読んだ本に全く価値がないということは、ほとんどないと、断言できる。
その差は、作品が評価を受け続けてきた時間の違いである。
例えば、「佐村河内守」の作品であっても、かつての一時期は評価されていた。
しかし、今やその作品が評価されることすらない。
この最大の理由は「ゴーストライター」が発覚したからであるのは言うまでもないが、もう一つの理由としては、作品が「話題性」(この場合、作者性とほぼ同義)によって過大に評価されていたからだろう。
おそらく、仮にゴーストライターが発覚しなかったとしても、「佐村河内守の作品」は、100年後には評価されていなかったのではないかと思うのである。
(もしこの説が誤りであるのなら、日本の芸術界は佐村河内守もとい新垣隆作品を、かつてのように評価するべきである。だが、どうやら新垣氏自身も片手間に作った作品であるようなので、それはあり得ないことだろう。)
ここに、話題書と古典の絶対的な違いがある。
英語に「Test of Time」という言葉がある。訳せば「時間の試練」である。
古典は、この「時間の試練」を乗り越えて、現代までその価値を認められてきた作品であるからこそ、現代まで受け継がれているのである。
佐村河内守の話ではないが、過去に評価されていたのに現代では一顧だにされない作品は星の数ほどある。
現代において「古典」とされているものは、価値があるとされているから今でも残っているのであって、そうでないものは残っていないのである。
われわれは、盲目的に過去のものを「古典」として崇拝しているわけではない。
古典は読めば読むほど楽しくなる
古典を読み始めているうちは、その意義がわからないかもしれない。
しかし、古典の「共通の知識」は、古典を多く読めば読むほど集積されていく。
古典はのちの時代の作品に影響を与え、その作品が古典となり、今は現代の作品に影響を与えている。
その理解の過程こそが、古典を読むことの一番の楽しさでないかと思うのである。
現代の作品も、古典なしにはあり得ない
古典的な作品を色々読んでいると、どんな作品を読んでいても「この作品はこの作家に影響を受けているのかな」「そういえば、あの作品はこの作品に影響を受けているのかな」という気づきがある。
ーーこの感覚がめちゃくちゃ楽しいのである。
たとえば、マンガ好きを名乗る人は、少なくとも鳥山明、普通なら藤子不二雄、手塚治虫くらいの過去のマンガ家まで遡って読んでいるのではないか。
その理由の一つは、そこに「元ネタ」ないしマンガの源流があるからだろう。
マンガ好きなら「53万」という数字を聞いただけで、流れるように「フリーザの戦闘力かよ!」とツッコミを入れられるはずだ。
古いマンガを「教養」として読んでおくことで、現代のマンガも一層楽しむことができるのである。
それは本でも同じである。
たとえば、ディストピアものに影響を与えたジョージ・オーウェルの『一九八四年』という小説があるが、この作品のオマージュを散りばめている現代の作品は多い。
たとえば、『STEINS;GATE』というアニメ(ないしゲーム)では、「ある人物」が敵なわけだが、その構図は『1984年』と類似している。(ネタバレになるので、あまり多くは書かないでおこう)
そしてここでは小説ばかり例に出してしまったが、哲学書なども同様である。
ちょっと哲学の概要がわかると、小説や新聞などの記述に意外と哲学の影響があったりすることに気づくし、それに人生に深みが出る。
また哲学を学ぶことは、高校生なら大学受験などでもストレートに役立つ(倫理政経はもちろん、世界史、国語、小論文でも)。
雑学的な楽しさがある
古典を読むと古典を読むのが楽しくなるのはわかったけど、他に役立つことはないの?
と言われそうなので、もう少しこれについて書いておこう。
小説に影響を受けるのは、小説だけではない。
あらゆるものがそうである。
たとえば、「スタバ」でお馴染みの「スターバックス」も、店名の由来はアメリカの大作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』という小説にちなんでいる。
(さらに尾田栄一郎のマンガ『ONE PIECE』のファンなら、この作品に登場する「白鯨」の名前であるモビー・ディックが、『ワンピース』中で白ひげ海賊団の船の名前になっていることも知ることができる。)
日常的に使用している単語だって、文学由来のものは多い。
私たちが使っている「カチューシャ」という言葉だって、実はこの名前はトルストイの小説『復活』にちなんでいる。
(ちなみに英語圏では、不思議の国のアリスにちなんで「アリス・バンド」Alice Bandと呼ぶそうだ。こちらも文学由来である。)
ーーこんな雑学を日常的に披瀝していたら嫌われそうだが、豊かな知識を得るということは無条件に良いことである。何かの拍子に役に立つこともあるかもしれない。
例えば、スタバで周囲の客にイラついたときに「こいつらスタバでカッコつけて仕事してるけど、どうせスターバックスの語源の『白鯨』を読破したことがあるのは俺だけだろうな……」などと思うことで精神的安寧を得ることもできる。……というのはただの戯言だが、古典的作品を読むことで知識が深まり、精神が穏やかになることは保証できる。
また、先ほども同じようなことを書いたが、古典的な小説を読んでいれば、高校生なら受験で役に立つ。2021年の共通テストの世界史Bでは先ほどの『一九八四年』が出題されたが、すでに『1984年』を読んだ受験生なら、問題文を誤読したり時間をかけすぎたりすることを回避できただろう。
また、単純に世界史の知識という点でも、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を読んでいれば「プラハの春」について理解できるし、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を読んでいれば、ダンツィヒという街が奇特な状態に置かれていて、それが第二次世界大戦の遠因になったことを学ぶことができる。
世界史の話ばかりしてしまったが、当然日本の古典を読んでいれば古典ができるようになるし、中国の古典を読んでいれば漢文ができるようになる。
これは、必ずしも原文で読む必要はない。日本や中国の古典を、現代語訳でもいいから読んでみれば、自然に読解センスがつくはずである。
おわりに
古典的作品を読むメリットは他にもいろいろあるのだが、読みやすい現代の作品を読むより、多少苦労してでも古典を読む方がリターンが大きいだろう。
それが、以上に書いた
・過去の偉人、世界の知識人と対話が可能になる
・現代の作品は古典の影響を受けている
・時間の試練を経た古典には「ハズレがない」
・雑学的な楽しさがある
・(高校生なら)受験に役立つ
という理由である。そして、古典は読めば読むほどつながっていき、面白くなる。
自分には合わないと思っていても、少し読んでみると案外はまるかもしれない。
もちろん現代の作品を読まなくては、現代のセンスについていくことはできない。だが、古典的作品を全く読まないのは、得られる面白さを損しているかもしれない。
少しでも気が向いたら、古典的作品を読んでみることをお薦めしたい。
光文社古典新訳文庫のすすめ
最後に余談だが、古典的作品を初めて本格的に読むなら、読みやすいのは「光文社古典新訳文庫」だと思う。
光文社古典新訳文庫は、Amazonの定額読み放題サービスであるKindle Unlimitedにもそれなりに読めるのが含まれていて、記事投稿時点で読める中でのおすすめはバーナード・ショー『ピグマリオン』(映画『マイ・フェア・レディ』の原作)とか、ツルゲーネフ『初恋』(ロシア文学を初めて読むなら一番お薦め)などである。
Kindle Unlimitedは初回30日無料(記事投稿時点)。KindleはスマホやPCのアプリからも読めるので、一度試してみてはいかがだろうか。
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