海外文学の名作と言われるものは、確かに難解なものは多いけれど、たいていどこか興奮できるような箇所があるものである。
でも、率直に「つまらない」と思った作品もあった。
私の中でのその代表が、フランツ・カフカの『城』である。
この作品を読んでいる時は平坦で、つまらなかった。——でも、逆にものすごく印象に残ったし、名作と言われるのも頷けると思った。
そして、今ではやっぱりこの作品を読んでよかったと思っている。
カフカ『城』あらすじ
一応、この作品のあらすじを紹介していこう。
主人公の測量士Kは、ある伯爵家の「城」に雇われて、はるばる「城」のある村へやってくる。その村は、深い雪の中に横たわる村であった。
深夜にやっとの思いで村に到着したKは、宿をとろうとするが、宿屋の主人は部屋が空いていないので酒場で寝てほしいという。Kも異存はなく、酒場で寝ることにする。
するとそこに、城の執事の息子を名乗る男がやってきて、寝ているKを起こしてこう言う。
この村は、城の所領です。ここに居住する者や、この村に泊る者は(中略)伯爵さまの許可がかならず要ります。
ところが、あなたは、その許可証をおもちでない
――この村では、何をするにも「城」の許可が必要なのであった。
「城」は、謎の官僚機構であり、村はその城に支配されていた。
村人たちは「城」についてよく知らないが、支離滅裂な論理で「城」のことを絶対的に擁護するのである。
翌朝、Kは城を目指すが、雪の中たどり着けない。
そして宿屋に戻ると、2人の見知らぬ男が、Kの助手を名乗る。
「お前たちは、あとから来るようにと言いつけておいて、おれが待っていた昔からの助手だというのか」
ふたりは、そのとおりだと答えた。
――Kは、助手に後から村に来るように言っておいたのだが、実際に来た「助手」はKの知らない男だった。
Kは城に到達することができない。
そのような中、Kは、自分自身を担当する「城」の役人が、クラムという役人であることを知る。
村人たちは、クラムに会おうとすることを禁忌としているが、Kはクラムに会おうとする。Kは、クラムの情婦として例外的に彼に会うことができる酒場の娘・フリーダと懇ろになることでクラムに接触しようとするが、結局クラムに会うことはできない。
そしてフリーダとKの関係もうまくいかなくなるなど、Kに周りには色々な騒動が起きる。
騒動が起きるたびにたらいまわしにされることもあって、Kは城に到達することができないのである。
カフカ『城』感想・考察
あらすじのネタバレを書いてしまうと、結局Kは城に到達することはできないのである。
完結しないストーリー
だが、この作品は「未完」ではないのかもしれないとも、読み返して思った。
『城』という作品が示したかったのは、要はKは城に到達できないということである。
だとしたら、どうしてこの作品が「完結」する必要があっただろうか?
むしろ、「未完」という形こそが、この作品の最良の終わり方にも思える。
何度も書くように、『城』にストーリーとしての面白さを期待すると期待外れになるにかもしれない。
ストーリーの面白さを期待するなら、「未完」というのは途方もないマイナスポイントである。
だが、『城』については、未完であることは一切のマイナスポイントにならないのである。
では、カフカは「城に到達できない」ストーリーを通して何を描きたかったのだろうか?
「城」への盲従と同調圧力
正直、『城』については古今東西の文学者が考察を行っているので、私の感想は蛇足だろう。
でも、私の正直な読後感をここに書いておきたい。
『城』の登場人物は、不愉快な人物が多い。
論理的でない言動をする人物が多いのである。
ある意味で、主人公のKもその筆頭である。いくらやっとのことで村にたどり着いたからと言ってこんな村に居続ける必要もないだろうに、と正直な読者は思うだろう。
だが、村人たちとKは、ある部分で絶対的に異なる。
この「ある部分」とは、一つには定住できないことや職業が事実上ないことであるが、やはり着目したいのは「城」に対する姿勢である。
村人たちは、「城」のことを決して悪く言わない。
そして、「城」のことを何かと正当化するのである。その論理は破綻しているように見えることもあるが、村人たちは絶対的に「城」を擁護する。
そして、「城」に逆らった村人は、いわば村八分のようになるのである。
アマーリアという女性
あらすじでは割愛してしまったが、物語の重要な登場人物の一人が、アマ―リアという女性である。
彼女は、「城」の役人から卑猥な言葉で誘惑されたのを拒絶する。
しかし、その行動が「城に逆らった」とみなされ、彼女は不遇な生活を送ることになる。
このエピソードからもわかるのが、村人の「権力への盲従」という一体性である。
そのような村人たちと一線を画すのが、「異邦人」であるKであり、Kは執拗に村人たちが禁忌とする「城」との接触を試みるのである。
「反権力」のようなものでなくても、『城』は、「自分だけがおかしいと思っている社会の不条理」のようなものを描き出しているのではないかと思う。
そこには、多くの批評家が指摘してきたように、作者フランツ・カフカのユダヤ人という属性や(正確には「西方ユダヤ人」であり、ユダヤ人の中でも少数派だという)、チェコ人でありながらドイツ語話者であるという属性(余談だが、このブログでもカフカはドイツ文学のカテゴリーに分類している一方、チェコ出身のミラン・クンデラなどは東欧文学のカテゴリーに分類している)といった、「境界に属する人」としてのカフカ自身の性格が投影されているのだろう。
自分はおかしいと思っているのに、社会の多くの人は気にも留めないどころか、それを何かと正当化しようとする――そして、それは決して解消されることはない。
そんな無力感を『城』は書いているのではないかと、私は思った。
おわりに
カフカの『城』は、悪く言えば作品自体が魅力を持っているというよりも、多くの人々が多くの考察をしてきたという蓄積がこの作品を不朽のものにしているのかもしれない。
しかし、それだけ人によって違う受け取り方がある作品なのであると考えれば、読み継がれる価値はあるのだろう。私の中も『城』は、読んでから時間がたってから、読んでよかったと思うようになってきた作品である。
一度、手に取ってみてほしい。
ちなみに『城』は 青空文庫で無料で読めるので、「お金を出すのはちょっと……」と思う方は、とりあえず青空文庫で電子で読んでみてほしい。青空文庫を読むのはスマホでもPCでもKindleアプリがおすすめ。
さらに『城』の青空文庫版は、Audibleで「聴く」ことも可能なのでおすすめ。寝る前に聴いたらきっと眠くなるだろう。
カミュは「不条理」を、カフカより分かりやすい形で描いた
『城』の不気味な雰囲気が気に入ったなら、 安倍公房の『砂の女』はお薦め。こちらは主人公が得体のしれない村に迷い込んでしまう話である。
同郷の作家ミラン・クンデラも、私の好きな作家なのでついでにお薦めしたい。
海外文学ランキング