アチェベ『崩れゆく絆』が絶対に読んでほしい海外文学である理由【あらすじ・感想】

崩れゆく絆

海外文学や古典的作品の醍醐味は、その物語の舞台が私たちの日常とは異なる「異世界」でありながら、そうした世界は現実に存在していた、あるいはしているというところにある。

個人の好みではあるが、私はそうした「まったく知らないけれど、現実に存在していた世界」との邂逅が好きである。

こうした海外文学を読む喜びを感じさせてくれた一番の作品の一つは、ナイジェリアのイボ人の作家チヌア・アチェベの『崩れゆく絆』である。

この作品の舞台は、1900年前後の、白人が原住民たちの世界にどんどん侵食していく時代のアフリカを、原住民の男を主人公として描いた作品である。『崩れゆく絆』(原題:Things Fall Apart)というタイトルからもわかるように、アフリカで伝統的な生活や価値観が崩壊していくさまを描いた小説である。

作品の概要としてはこんなところで、この紹介だけで興味を持っていただけた方には、ぜひこの時点で『崩れゆく絆』を読んでほしいが、私もこの作品については書きたいことが多いので蛇足ながら以下に感想等を記したい。

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

『崩れゆく絆』あらすじ

冒頭でも少し書いたが、ここで『崩れゆく絆』のあらすじを軽く紹介したい。

『崩れゆく絆』の主人公は、オコンクウォという人物である。

オコンクウォはウムオフィア村の九つの集落の隅々、そのかなたまで名を馳せていた。彼がつかんだ名声はたしかな個人の功績によるものだった。

十八歳という若さで「猫」の異名をとるアマリンゼを投げ飛ばし、集落に名誉をもたらしたのだ。

まさかこの男の背が地につくことなるあるまい、そんなわけで「猫」という名がついた。オコンクウォはそれほどの相手を倒したのである。

二人の勝負ときたら、かつてこの村の創始者が、七日七晩、荒野の精霊と格闘して以来、もっとも熾烈な闘いとなった。老人たちは口々にそういった。

上に引用したのは、『崩れゆく絆』の冒頭の文章である。

冒頭で示されるように、オコンクウォは勇猛な戦士であった。

一方で彼の父親(ウノカ)は弱弱しく怠惰な人物であり、「称号」も何一つ持たなかった。しかし、「幸いにもこの土地の人びとは、男の評価を父親でなく本人の価値で決める」ため、オコンクウォは自分の力で出世することができたのである。

オコンクウォは集落の伝統的価値観を重んじ、実践していた。つまり、勇猛で剛健であるといういわゆる「男らしさ」こそが勝ちだと考えていた。

そしてオコンクウォは若くして2つの「称号」を手に入れ、尊敬を集めていた。

オコンクウォは、いずれは集落の指導者となることを目標に日々励んでいたのである。

しかし、ある事故によって、オコンクウォは7年間の流刑を課せられることになってしまう。オコンクウォは、生まれ育った村を離れ、別の村で暮らさなければならなくなったのである。

冒頭にも述べたように、子の作品の舞台は1900年前後のアフリカである。つまり、ヨーロッパから白人が入植しつつあり、アフリカに西洋の文化が入り込みつつあった時代である。(奇しくも、オコンクウォが流刑となった原因となったのも、西洋から持ち込まれたある器物である)

オコンクウォが流刑になっている間、ウムオフィア村の九つの集落は、次第に西洋の価値観に侵食されていく。

もとの村に帰還したオコンクウォは、集落の現状に憤る。オコンクウォの運命は……。

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『崩れゆく絆』を読む意味

以上が『崩れゆく絆』という物語の概略である。

「アフリカ文学の記念碑的傑作」として

ところで、現在『崩れゆく絆』を読むとしたら普通は光文社古典新訳文庫版を読むことになるだろうが、私が持っている光文社古典新訳文庫版の帯には「アフリカ文学の記念碑的傑作」とある。

『やし酒飲み』を紹介する記事にも書いたが、実は「小説」という形式で欧米で出版された「アフリカ文学」というものは、1958年に出版された『崩れゆく絆』以前は存在しなかったのである。

もちろんアフリカには口承文芸などは存在していただろうが、「小説」という形式ではなかった。だからこの作品は「記念碑的」であり、さらに「初めての小説」であるにもかかわらず作品のクオリティが非常に高い。

しかし、「小説」が存在しなかったからと言って『崩れゆく絆』以前のアフリカを「未開」であるとするのは、違う。

そもそも『崩れゆく絆』という作品自体も、アフリカが「未開」であるという見方に対抗して書かれたものであるといえるだろう。

描かれるイボ族の文化

『崩れゆく絆』を読むと感じるのは、そこにたしかに息づいていたイボ族の文化や風習である。

もちろん、現代的な価値観だと、そこに非科学的であったり非人道的であったりするような風習は多い。しかし、そこには確かな社会システムが存在し、現代に生きる私たちと変わらない人々が生きていたのだ。

主人公オコンクウォの野望は、現代社会を生きる政治家や会社員と何ら変わりのないものであるし、「パラダイムシフトに直面した人々のあり方」としてこの作品をとらえれば、現代にも置き換えることができると思う。

『崩れゆく絆』は、私たちと全く違う場所と時代に生きた人々を描いた一種のファンタジーであり、そして普遍的な純文学でもある

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おわりに

重ねて述べるが、海外文学の楽しみの一つに、その物語の舞台が私たちとまったく違うものでありながら、現実に存在していた社会を描いているというギャップがある。

そういった異世界体験をすることができ、かつ小説としても最高に(純文学として)面白いのが『崩れゆく絆』という小説である。

アフリカを舞台にする小説を読む気がまったくない、という方でなければ、ぜひ一度読んでみてほしい。全員が感銘を受けるという保証はできないが、絶対に印象に残る読書体験になるはずである。

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