ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』あらすじ・感想ー現代小説の傑作

灯台へ

死後80年近く経っているにもかかわらず、最近今まで以上に注目を集めている作家がいる。イギリスの女性作家、ヴァージニア・ウルフだ。

ウルフは「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分一人の部屋を持たねばならない」とした講演『自分ひとりの部屋』が有名でフェミニズム的な観点でも重要であり、またウルフはレズビアン小説も書き、自身も性的少数者でもあったといわれることから、LGBTの観点でもその生き方が現代において注目されている。

しかし、そのような意味合いを抜きにしても、ヴァージニア・ウルフの作品は面白く刺激的だ。ここでは、ウルフの『灯台へ』について魅力を紹介したい。

ヴァージニア・ウルフに関心を持った方は、ぜひ読んでみてほしい代表作である。

灯台へ (岩波文庫)

『灯台へ』あらすじ解説

はじめに『灯台へ』の概要とあらすじを紹介したい。

『灯台へ』概要

『灯台へ』という小説を一言で表すとしたら、「絶対に映画化できない小説」である。

もしできたとしても、非常につまらない小説になるだろう。

ヴァージニア・ウルフは文学史上では、非常に洗練された「意識の流れ」と呼ばれる技法を用いたことで有名である。

「意識の流れ」というのは名前の通り、登場人物の感情を流れるように描写する手法である。たとえば、私はパソコンに向かい合って何か作業をしている間にも、部屋で流しているテレビの天気予報を耳にして「ああ、明日は雨が降りそうなのか。何の服を着ようか。」などとふと考えてしまうわけであるが、そういうような細かい意識の流れというものを描写しているのである。

そのような、登場人物の意識というものを描写したのが『灯台へ』という小説である。

だから、作中において目まぐるしくくイベントが起きることによって物語が展開するわけではないので、展開がはっきりとした小説を求める人にはつまらない小説だと思う。

しかし、『灯台へ』は「絶対に映像化できない」、つまり小説にしかできない技法によって書かれた小説であり、私としては未読の方はぜひ一度読んでみてほしい作品である。きっと、読み終わったころには「こういう小説もあるのか」と充実した感覚を得られるはずである。

こんなことを私が書いてもよくわからないだろうから、実際に象徴的なシーンを引用したい。

『灯台へ』の主人公ラムジー夫人が、夫が「愛している」と言われたがっていることを察知しつつも、それを口に出さない、でもラムジー夫人は夫を愛している……というまどろっこしい場面なのだが、それを作者ウルフはこう描写する。

この人は何かを求めている、いつもわたしがとても与えにくいと感じている言葉をーーつまり、「あなたを愛していますわ」と言って欲しがっている。

でも、だめ、どうしてもそれは言えない。夫は思ったことを口にするのに、何の苦痛も感じないらしい。彼は何でも話せるようだけれど、わたしはまったくだめ。それで自然に、普段よく話をするのは夫の側になるのだが、時折どういうわけか彼はそれを不満に思い、わたしをなじりだす。

君は冷たい女だな、と彼は言う。愛してますと一度も言わないからだ。

でもそれは違う、そうではないわ。わたしは本当に感じていることを決して口には出せないだけ。上着にパンくずがついているのでは? 何かしてあげられることはないかしら?

……

ラムジー夫人の愛は、行動によってではなく、感情によって描写されるのだ。

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『灯台へ』あらすじ・登場人物

前置きが長くなったが、『灯台へ』の物語の内容について少し紹介したい。

(ネタバレしても楽しめるはずだが、気になる方は飛ばしていただきたい)

物語は第一章~第三章で構成される。

物語の軸となるのはラムジー(旧訳だとラムゼイ)一家という家族である。

第一章は、ラムジー一家が夏を過ごす、イギリスのある島にある別荘が舞台である。

ラムジー一家は、賓客を招いて、一緒に夏を過ごしており、第一章で描かれるのはある一日である。

本作の主要な登場人物は、以下のとおりである。

登場人物紹介

・ラムジー夫妻

・ラムジー氏

……60歳の哲学者。性格は気難しく、また唐突に詩を詠唱する癖がある。

・ラムジー夫人

……50歳、称賛される美貌の持ち主。第一章の主人公格。

・ラムジー家の子どもたち(8人)

・ラムジー家の息子:アンドリュー(長男)、ジャスパー、ロジャー、ジェイムズ(末息子)

・ラムジー家の娘:プル―(長女)、ローズ、ナンシー、キャム(末娘)

・客たち

チャールズ・タンズリー……皮肉屋の哲学者。独身。

リリー・ブリスコウ……30代中葉の女性画家。独身。

ウィリアム・バンクス……植物学者。独身。

カーマイケル……老詩人。妻に家から追い出されている。

ミンタ・ドイル……女性客。ポールと…?

ポール・レイリー……男性客。ミンタと…?

ミルトレッド……ラムジー家の家政婦

マカリスター……漁師

登場人物の多さに読む気を失ってしまった方もいるかもしれないが、8人の子どもたちは全員覚える必要はないので(とりあえずジェイムズだけ覚えておけば問題ない)、この登場人物紹介をメモしていただければ登場人物の面で読むのに苦労することはないと思うので、臆せず読んでみていただきたい。

物語は、次のように始まる。

「そう、もちろんよ、もし明日が晴れだったらばね」とラムジー夫人は言って、つけ足した。「でも、ヒバリさんと同じくらい早起きしなきゃだめよ」

ラムジー夫人は、末っ子で6歳のジェイムズに、明日が晴れであれば灯台に行くことを約束する。

明日が晴れであればーー。

「でも」と、ちょうどその時客間の窓辺を通りかかった父親が足を止めて言った、「晴れにはならんだろう」

幼いジェイムズは、父に怒りと失望を覚える。

物語は、「明日晴れて、灯台に行くことができるか」という話題がラムジー家の中で話題になり、さざ波を引き起こしたところから始まる。

この「灯台問題」は、物語の各所でキーとなり、ラムジー夫妻のほか、客人たちの感情が描かれる。この一日は晩餐会で締めくくられるが、それまでの間に断片的にさまざまな出来事が起きる。

第二章は短い章の間に、第一章から10年が経過したことが示唆される。この間に第一次世界大戦が起きて兄弟の一人が戦死したほか、ラムジー夫人は急逝する。また姉妹の一人も命を落とす。

第三章は、第一章の10年後、1920年のある一日が描かれる。

ラムジー氏たちは、久しぶりに別荘へ行き、客も招く。

ラムジー氏の突然の提案により、ラムジー氏とキャムとジェイムズは、十年越しに灯台に行くことになる。ジェイムズは、専制的な父親に反抗するが、次第に父と打ち解けていく。

リリー・ブリスコウは、第一章から十年がたっても独身のままであった。

リリーは、ラムジー氏らを乗せた帆船が灯台に向かうのを見ながら、ラムジー夫人の面影を思い出し、絵を描く。

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『灯台へ』感想

はじめに述べたように、『灯台へ』の作品としての特徴は「意識の流れ」である。

第一章はたった一日の出来事第三章もたった一日の出来事である。

また、第一章から第三章までの間に10年が経過しているのにもかかわらず、まるで嵐の一晩を経た翌日の出来事かのように描写されているのは、この作品の特徴であり、面白く感嘆させられるところである。

しかし技法的な話を抜きにすると、ヴァージニア・ウルフは「意識の流れ」を用いて、何を描きたかったのだろうか。

感情のすれちがい

私が思うに、この作品のテーマの一つは、「感情のすれ違い」だと思う。

この作品では、登場人物の感情が細かに描かれるわけであるが、面白いのは、それぞれ意図が伝わっていなかったり全く捉え方が違ったりすることである。

たとえば「明日は雨が降り、灯台には行くことができない」ことを主張する人間として、ラムジー氏のほかに客のタンズリーがいる。

タンズリーは「少なくともラムジー夫人に敬意を表して、ある程度優しく」灯台行きはないことをジェイムズに伝えるのだが、ラムジー夫人はタンズリーのことを「まったくいやな人ね」と思う。

タンズリーは配慮したつもりであったが、それはまったく配慮になっていなかったのである。

この例はわかりやすいから紹介しただけであるが、この作品ではしばしば「すれ違い」や、あるいは相手の意向を読めていても意図的に相手の意向に従わない行為が描かれる。人間のコミュニケーションとは複雑なのである。

ところで『灯台へ』は、作者ヴァージニア・ウルフの家族をモチーフにした作品といわれる。ウルフの兄弟も8人であり、ラムジー家の子どもたちも8人である。この場合、性別は異なるものの、作者ヴァージニア・ウルフは作中のジェイムズに対応すると思われる。

ただ重要なのは、ウルフとジェイムズの対比関係ではなく、ウルフの父母とラムジー夫妻の対応関係である。

岩波文庫版の解説に詳しいので具体的な説明は譲るが、ラムジー夫妻(特にラムジー夫人)の人物造形には作者の父母への思いが込められているのか、非常に力が入っている。

ただしラムジー夫妻(≒作者の父母)は無条件に愛されているわけではなく、愛すべき部分はあるにしても専制的で気難しい人物として描かれるラムジー氏には、父への愛憎があるのだろう。

また、作者の母をモデルにしたラムジー夫人にも、やはり愛憎のようなものがある。

女性の生き方

ラムジー夫人の生き方は、あまりにも旧時代の「良妻賢母」的である。

自分を振り回す夫や子供の対応に献身し、自らを犠牲にする女性としての姿である。また、独身者同士を結婚させようとするお節介な側面もある。

このようなラムジー夫人と対比されるのは、客人のリリー・ブリスコウである。

第三章では、ラムジー氏の喪失感やジェイムズの父への反発も描かれるが、リリーも同じくらい重要な人物であり、主人公格と言っても過言ではない。

第一章でラムジー夫人は、リリーを結婚させようとするが、リリーは結局結婚しなかった。

わたしたちには、夫人の望みを踏みつけにしたり、その狭くて古くさいい考え方を乗り越えてみせたりすることもできよう。

(中略)

歳月という長い廊下の向こうの端に夫人が立って、この期に及んでもなお「結婚しなさい、とにかく結婚するのよ!」などと見当はずれなことを叫んでいるのが見えるようで、(中略)リリーは少しからかってみたくさえなった。

リリーの見せる「ラムジー氏のような女性」への愛と反発が混じった感情も、ウルフが母に抱いていたものと相似するのだろう。

必ずしも物語のメインテーマではないものの、リリーの苦悩(作中のラムジー氏やタンズリーは女性蔑視的である)などは、女性作家として生きたヴァージニア・ウルフの苦悩が投影されているように思う。

(先述の通り、ウルフは女性作家の自立について述べた『自分ひとりの部屋』という講演が有名である)

広い意味では、こうしたテーマも「感情のすれ違い」と表現することはできるだろう。

この作品は、コミュニケーションは複雑であり、他者を理解することは難しいということを再確認する作品ではある。

しかし作中でも描かれるように、「わかりあえない」からこそ、「わかりあえた」時の喜びがあるのではないだろうか。

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おわりに

もう一つこの作品のテーマを挙げるとすれば、それは「喪失」だろう。

人生とは不可解で、嵐のように過ぎ去ってしまうものなのかもしれない。

短い人生の中で、何が自分にとって幸せなのだろうか?ーーそんなようなことも、この小説を読んでいて考えてしまった。

『灯台へ』は、儚く美しく、また文学として稀有な小説である。多くの人に、人生の中で一度は出会ってみてほしい小説だ。

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