【感想・考察】『aftersun/アフターサン』父の苦悩を暗示するプレイリスト

アフターサン

映画『aftersun』の評判が(私の観測した範囲で)非常に高い。なので観たのだが……。

観終わって、かなり私は混乱した。ストーリーと呼べるべきストーリーがほぼなく、はっきりと言えば「これで終わるのか」という感想を受けた。本来私は、映画というメディアには一定の娯楽性を求めているのだが、この映画は大衆受けするような娯楽性を兼ね備えてはいないのは確かである。

ただあらかじめ書いておくと、この映画は見れば映像がすごくいいことはすぐにわかるし、映像の満足感はとても高い。目がちかちかする演出に個人的に閉口したところはあったけれど、カメラアングルは素敵だし(それについては後述する)、俳優陣の演技もアカデミー賞主演男優賞ノミネートだけあって素晴らしい。ソフィー役は演技経験がないというのが信じられないほど。

だが、最初に述べた通り、この映画は娯楽映画ではない。観た直後の感想を正直に述べれば、「私は決してこの映画を人前で絶賛はしないだろう」という感想である。

しかし、もちろん一度見たときに、この映画のテーマはわかった(それは、もしかしたら監督が意図した受け止め方ではなかったかもしれないし、私の思い込みもあるのかもしれないけれど)。

だから、「この映画を絶賛する人は、こういった部分に感銘を受けたんだろうな」というような面ももちろん感じてはいたのだが、でも、映画を観終わってからはかなりもやもやした気持ちでいた。

しかし映画を観てしばらく時間をおくと、この映画は素晴らしい映画であるとともに、かなり面白い映画でもあったような気がしてきたのである。そして、「この映画を多くの人に見て、気持ちを共有したい」という気持ちになった。そして、この映画を絶賛する気持ちもわかったような気もした。

とにかくこの映画は、見た感想を他人に語りたい映画なのかもしれない

というわけで(見返したわけではないので多少の誤りや読み違いがあるのは避けられないかもしれないのはご容赦いただきたいが)、この映画の感想についてやや脱線を挟みつつも書いていきたい。

※ほぼストーリーはないのである意味ではネタバレでないのだが、ネタバレが気になる人は、映画を観てから読んでくれたら嬉しいです。もっとも、映画を観て後悔したとしても一切の保証はしません。あと、私は下知識ほぼゼロで映画を観たのですが、ある程度他人の感想を読んでから見た方が楽しめたかなという気はしました。

『aftersun/アフターサン』登場人物・あらすじ

先ほども書いた通りほぼストーリーがないのだが、一応簡単に物語の筋書きを書いておきたい。

物語の登場人物は、基本的に父と娘である。

父・カラム (31歳)

娘・ソフィー (11歳)

若き父は、妻とは離婚している。

ソフィー(イギリス在住、たぶん父の故郷であるスコットランドのエジンバラに住んでいる?)は、夏休みをトルコのリゾート地で父と一緒に過ごす

ちなみに、物語は20年前であり、20年後のソフィー(つまり、20年前の父と同じ年齢になったソフィーともいえる)が父と過ごした夏休みを撮ったホームビデオを振り返る……という入れ子構造になっている。

ただひたすらリゾート地での夏休みが描かれるだけなので、重ねて書くようにストーリーも特にないのだが、しいて挙げるとすると物語の軸には以下の2つがある。

それは、

①カラムの内面の謎

②ソフィーの性への目覚め(=セクシャリティへの目覚め)

であり、この2つが物語の鍵であると言える。そして、この①のテーマと②のテーマには密接なかかわりがある、とみるのが自然であると思う。

 

以下からはネタバレになるが、物語を観ていると、次第に観客はカラムがかかえる闇を知ることになる。

 

違う見方もあるだろうが、カラムは双極性障害に近いものを持っている。スコットランドには日照時間が短すぎるから帰れないと言ったり、またリゾート地でも夜は抑鬱状態になる。また躁状態で高価な買い物をしたりする。(ひと夏をリゾート地で過ごしているとはいえ、カラムは裕福なわけでは決してない)

この鬱の原因が何なのか、その原因を示唆する描写がいくつかある。

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プレイリストの素晴らしさ

ここで若干脱線してしまい恐縮なのだが、この映画はプレイリストが素晴らしい(単に私の趣味に一致しているというだけだが)。

プレイリストはカラムの鬱を暗示する描写でもあので、少しプレイリストの楽曲について書かせていただきたい。

物語中盤に流れるブラーの「テンダー/Tender」や、物語終盤のディスコのシーンで流れるクイーンとデヴィッド・ボウイのコラボ曲「アンダー・プレッシャー/Under Pressure」なんかは、特に物語に非常にマッチしていてめちゃくちゃよかった。

 

だが、挿入歌であると同時に、物語的にも重要な意味を持つのが、R.E.Mの「Losing My Religion」である。

リゾート地のカラオケ(カラオケボックスではなく、大衆の前でステージで歌う形式)で、ソフィーはこの「Losing My Religion」を「パパが好きな曲だから」と歌う。

ソフィーは、父と一緒にこの曲を歌うことを期待する。

だが、カラムはこれを拒否するのだ。そして、気分を害したように見える。これまでの「よき父親」としてのカラムからすると、少し違った面と言える。

※ちなみに劇中でも言われている通りソフィーの歌は下手に歌われているので、この曲を聴いたことがない方はよろしければ本家を聴いてください。

もっとも、カラムには「触れられない一面」があることは、物語冒頭から示唆されており、それが前述のようにこの映画の一つのテーマなのだが、この「Losing My Religion」の一件は、象徴的なシーンである。

 

なぜカラムは歌うことを拒否したのか。そして、カラムの苦悩とは何なのかーー。

おそらく、カラムはゲイなのである。

それでなぜカラムがこの歌を拒否したのかというと、クイーンのフレディ・マーキュリーと同様、この曲を歌っているR.E.Mのマイケル・スタイプもゲイだからであると私は思う。

カラムは、公衆の前でR.E.Mの歌を歌うことはできなかった。それはゲイを隠しながら生きることの葛藤と苦しみにもつながっている。

そういった苦悩が、カラムの抑鬱につながっている。

 

そして、20年後のソフィーが当時のホームビデオを見返すときに思い返すのは、当時は壁を感じて感じることのできなかった父の苦悩なのである。

おわりに

最初にこの映画はカメラアングルが素敵だったと書いたが、この映画はカラムに対して、たとえば鏡越しに撮ったり、いろいろと距離を感じる撮り方をする。

大人になったソフィーは、当時のカラムの気持ちをどう見るのか。

この映画の

「もし、あの頃、ひとりの人間として、内なる父を知ることができたならーー」

という宣伝文句は、この映画の主題を端的に表している。

 

最初に書いたように、この映画に娯楽性はほぼない。この記事を書いておいてなんではあるが、ストーリーを楽しむなどの意味においては映画の満足感は少なかったことは書いておく必要がある。だが、観終わってからずっとこの映画について考えてしまうような深い映画であり、美しい物語だったのも間違いない事実である。

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R.E.Mのマイケル・スタイプにも言及しています。

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