映画『ユダヤ人の私』感想ーユダヤ人被収容者の半生と後半生

映画『ユダヤ人の私』を観た。

ゲッベルスの秘書を務めた女性ブルンヒルデ・ポムゼルにインタビューをした『ゲッベルスと私』に続く、オーストリアのクリスティアン・クレーネス監督らによる「ホロコースト証言シリーズ」の第二弾で、本作は『ユダヤ人の私』(原題:A Jewish Life=ユダヤ人の人生)というタイトル通り、ホロコースト被害者の男性マルコ・ファインゴルトにインタビューをした映画である。

マルコ・ファインゴルトは1913年にハンガリーで生まれ、ウィーンで育ち、アウシュヴィッツをはじめとする強制収容所を転々とさせられ、兄弟全員を失いながら第二次世界大戦を生き延びる。しかし戦後ウィーンに戻ることは許されず、ザルツブルクで暮らし、生涯強制収容所での体験を語り続けた。ファインゴルトは105歳の時に本作のインタビューに応じ、2019年に亡くなった人物である。(文中敬称略)

モノクロのスクリーンに深い皺の陰影とともに映し出された証言者であるマルコ・ファインゴルトが淡々と経験を語っていくというスタイルは、前作『ゲッベルスと私』と同様である。

また、語りの合間に当時のドキュメンタリー映像が挿入されているのも前作と同様である。

ただ、前作『ゲッベルスと私』では、ナチスの宣伝相であるゲッベルス本人の映像が多々使用されていたのに対し、今作ではファインゴルト本人の映像は残っていないため、直接は関連の薄い映像が使用されている場合も多い。

特に多いのはアメリカ軍のプロパガンダ映画であり、そこではドイツを「野蛮な国」と見做しているようなものもあり、時代性を考えれば当然とはいえこれらのプロパガンダ映画も相当「野蛮」である。個人的にはアメリカ軍のプロパガンダ映画について知りたいという気持ちも湧いた。

作中で挿入されるドキュメンタリー映像については、やはり前作『ゲッベルスと私』の方が効果的であったように思う。

しかし、今作で特徴的なのは、ファインゴルトに送られた「脅迫状」の数々が紹介されることである。

「脅迫状」というのはどういうものであるかというと、ホロコースト否定論によるものや、反ユダヤ主義的なものである。

つまりファインゴルトの強制収容所での体験について「嘘をつくな」と言ったり、あるいは(書くのははばかられる内容であるが)「強制収容所でユダヤ人をもっと殺しておけばよかった」というようなことを言ったりするのである。

ファインゴルトは、自分の実際に経験したことが一部の人から「嘘」であると見なされていることに憤りを感じ、強制収容所での体験を語り続けてきた。

ファインゴルトのような人々にとって、歴史修正主義はまさに自己の否定なのである。

もちろん、ファインゴルトの語りの中には「何回も語ること」によって少しずつ記憶と実体験との乖離が生じてしまっているものもあるかもしれないが、万が一そのようなことがあったとしても、ファインゴルトという人物の語りを全否定することは決してできない。

一方、ファインゴルトはこの映画で、強制収容所で体験したことの語りに多くの時間を割いているわけではない。きちんと測ってはいないのでもしかすると全く見当違いかもしれないが、体感としては

・強制収容所に入れられる前

・強制収容所での体験

・強制収容所から解放されてから

の三つがほとんど均等に語られているように感じた。

個人的に印象深かったのは、ファインゴルトが強制収容所から解放されてからである。

私の知識が浅いせいもあるだろうが、被収容者の後半生という話はあまり聞いたことがなかったからだ。

戦後ファインゴルトが直面したのは、故郷のウィーンに帰ることができないという問題であった。

たとえばユダヤ人を排除した家屋には、すでに別のオーストリア人が住んでいた。

彼らにとっては、ユダヤ人の帰還は邪魔でしかなかったのである。だからウィーンは、ユダヤ人の帰還を拒んだ。

そのためファインゴルトは、ザルツブルクで残りの人生を過ごすことになった。

ウィーンは戦後もユダヤ人を排除する一方で、「元ナチス」の人々には寛大な措置を与えた。彼らはすぐに戦後のウィーン社会に溶け込んだのみならず、元ナチスの人々は権力を持ち続けたのである。本作には、戦後のオーストリア批判という要素も強い。

戦後ファインゴルトは、行き場を失ったユダヤ人をイスラエルに送ることも手掛けていた。ファインゴルトは多くのユダヤ人の人生を好転させたことに誇りを感じている。

しかし、イスラエルの建国によってパレスチナの人々が脅かされることになるのは歴史の示す通りである。

だがパレスチナに入植したユダヤ人には、「帰る場所」を失った人々も多かったのであり、そうした人々にはもちろん何の罪もない。

世界はあまりに複雑で、現代社会にはあらゆる問題があるが、それは罪のない人々が翻弄された結果なのである。

ところでファインゴルトが最も懸念していたのは、人々が20世紀の前半に起こったことを忘れてしまうことである。

私は歴史の証言者の話を聞くことしかできないが、彼らの話を忘れてはいけない。

ゲッベルスと私

ゲッベルスと私

  • ブルンヒルデ・ポムゼル

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