現在存命の作家の中で最も「すごい小説家」が誰かというと、私は南アフリカ出身のノーベル文学賞作家、J.M.クッツェーではないかと思う。
クッツェーは白人でありながら、アパルトヘイト時代の南アフリカを舞台にした作品を書き続けてきた作家である。代表作『マイケル・K』(1983年)で、英語圏で最も権威のある文学賞であるブッカー賞を受賞し、その後『恥辱』(1999年)で史上初めて2度目のブッカー賞を受賞したことでも知られている。
今回紹介する『鉄の時代』(Age of Iron)は、『マイケル・K』と『恥辱』の間の1990年に書かれた作品で、アパルトヘイト末期、1980年代後半の南アフリカを舞台にした小説である。
当時、南アフリカは国家非常事態宣言下にあり、暴力が日常化した内戦状態だった。『鉄の時代』は、この暴力の時代を、末期癌に冒された一人の老女の視点から描き出している。主人公のミセス・カレンは、国家の変革期にさまざまな酷い出来事が起こる中で、自分の死と向き合いながら、人間の尊厳とは何かを問いかける。この簡単なあらすじからもわかるように、かなりハードな小説だが、なかなか他の作家の小説では得られない読みごたえを持った小説である。今回はこの小説について紹介したい。
『鉄の時代』概要・あらすじ
はじめに、簡単に『鉄の時代』という作品の概要とあらすじについて説明する。
「鉄の時代」というタイトルの意味
まず、この小説のタイトル「鉄の時代」が何を意味するのかというと、古代ギリシャの詩人ヘシオドスの『労働と日々』に由来している。
『労働と日々』には、いわゆる「パンドラの箱」や「プロメテウスの火」などの、よく知られた寓話も収められているが、その中に人類の歴史を五つの時代に区分する記述がある。
それは、黄金の時代、銀の時代、青銅の時代、英雄の時代、鉄の時代という五つの区分である。
ヘシオドスは、神々の時代が終わった“現代”を「鉄の時代」としている。
鉄の時代とは、神々は人類を見捨て、親子の絆もなく、兄弟たちは争い、友人たちも互いに憎しみ合う。そのような堕落した時代である。この物語の舞台は「鉄の時代」である。
主人公ミセス・カレン
ここからは、本作のあらすじを紹介していきたい。
この小説の主人公は、エリザベス・カレン(作中ではミセス・カレンと呼ばれる)という白人の70歳の女性である。
彼女はかつてギリシャの古典文学を教えていた教授で、ギリシャ神話に造詣が深い。だからこそ、この作品のタイトルも「鉄の時代」なのである。
物語の冒頭で、ミセス・カレンは癌の再発を告げられる。すでに末期癌に冒されており、余命はいくばくもない。
サイフレット医師から知らされた日だった。知らせは良いものではなかったけれど、それは、わたしのもの、わたしのための、わたしだけのもので、拒むわけにはいかなかった。
J.M.クッツェー『鉄の時代』(河出文庫、くぼたのぞみ訳、9p)
この小説は、一種の書簡体小説という形式をとっている。ミセス・カレンの娘は現在アメリカに移住しており、この小説は、アメリカに住む娘に宛てて書いた長い手紙として読むこともできる。
末期癌を宣告されたミセス・カレンは、とあるホームレスの男と出会う。この黒人の男はファーカイルという。
当時の南アフリカは内戦状態で治安も悪く、ファーカイルは、ミセス・カレンの家に勝手に住み着いてしまう。ファーカイルは仕事もせず酒に浸っており、一見するとろくでもない人物である(しかし、物語が進むにつれて彼は指に障害を負っており働けないという事情があることなども明らかになる)。
アパルトヘイトとは、白人と黒人を厳しく隔て、差別する政策であった。そんな中で、白人と黒人、元大学教授とホームレスという対照的な2人であるミセス・カレンとファーカイルの奇妙な交流が物語の軸となる。
また、もう一つの重要な登場人物として、長年ミセス・カレンの家政婦を務めてきたフローレンスとその息子・ベキたちがいる。彼らの物語も複雑に絡み合いながら、1980年代末期、内戦状態の南アフリカで物語は進行していく。この時代は警察による弾圧は激しく、作中では命を落とす人物も出てくる。この作品は、そんな過酷な「鉄の時代」の中で、ミセス・カレンが癌で命を落とすまでが描かれている。
『鉄の時代』感想・考察
ディストピア社会の描写
このブログでも過去に南アフリカ文学を何度か紹介しているが、アパルトヘイト時代の南アフリカは、まさにディストピアといえる世界だった。南アフリカのノーベル文学賞作家は、クッツェーの他にナディン・ゴーディマという女性作家もいるが、ゴーディマの作品の中で現在最も手に入りやすい『ジャンプ』(岩波文庫)は、まさにディストピア小説ともいえるような短編集である。
アパルトヘイトでは、白人と黒人を完全に差別する政策がとられ、それが終わりに近づくにつれて内戦状態になっていく。『鉄の時代』は、その内戦を描いている。南アフリカ出身の作家が描く過酷な内戦の現実は、内戦状態をほぼ経験していない日本の文学では読むことができないものだと思う。
ミセス・カレンは白人で、ファーカイルは黒人(あるいはカラード)であり、社会階層も異なる。ミセス・カレンは死を前にしてファーカイルと出会うことで、二人の関係は一種、南アフリカという国を鏡のように映し出す。そしてミセス・カレンは、ファーカイルとの交流を通して、南アフリカという国、そして自分自身について見つめていくことになる。
ミセス・カレンとファーカイルの交流
あらすじで紹介したように、ファーカイルはかなり粗野な部分もあるが、実は非常に人間的な人物であることも明らかになる。
個人的にこの作品で印象的なのは、ミセス・カレンとファーカイルの対話の中で、ファーカイルの方が明らかに正論を言っているのではないかと思わせる場面が多々あることだ。
中でも印象的なのは、ミセス・カレンが娘について話す場面である。ミセス・カレンには娘がいる。しかし彼女は、自分がもはや余命僅かであるということを、娘に伝えていない。それをファーカイルは、娘に伝えろと言う。
「いますぐ娘さんにそう言えばいいじゃないか。アメリカに電話すればいい。ここに来てほしいっていえばいいんだよ」
「だめ」
「だったら、あとになっていわないことだな。もう間に合わないときになって。娘さんはあんたを許さないよ」J.M.クッツェー『鉄の時代』(河出文庫、くぼたのぞみ訳、108p)
なぜ娘に伝えていないのか。実はこれは、作品を最後まで読んでもよくわからない。ミセス・カレンは、「わたしの娘は、ここの事態が変わるまでもどってこない」と、彼女の娘は南アフリカの政府・状態が現在のままであるうちはこの国に戻らないと誓いを立てたからだ、とファーカイルに説明するが、ファーカイルは信じない。
『鉄の時代』のテーマとは
ミセス・カレンと娘の奇妙な断絶は、親子関係が破綻するという「鉄の時代」を象徴しているように解釈することもできるかもしれない。しかし、『鉄の時代』という小説は、娘に宛てた小説という形式をとっており、ミセス・カレンが娘(「あなた」)に何度も語り掛けるように、2人の繋がりが絶たれているわけではない。
では、なぜミセス・カレンがこのような形で娘に自分の死を伝えることにしたのか、という、この小説のテーマについて考えてみたい。
作中で印象的なのは、次のような言葉である。
「自分の死を誰かと分かち合いたいという渇望に抗うこと」
「死を自分のものとして抱擁すること、私だけのものとして」
結局、この作品は、どのように死を受け入れるかという話なのだと思う。死というものを、まず自分のものとして抱擁する。自分の中で死をいかに受け入れるのか。平凡な結論になってしまうが、『鉄の時代』という作品は、死といかに向き合うかを、南アフリカという内戦状態の中で描いた作品である。
おわりに
ここまで『鉄の時代』にについて書いてきたが、この小説は非常に深く感銘を受ける小説である一方で、決してわかりやすい小説ではない。
ネタバレですべてを言ってしまうことは避けたいが、この作品はラストでも多くの読者を裏切る。ミセス・カレンはファーカイルに見守られて死ぬことになるが、そこで二人の間に家族のような温かいつながりができたのかーークッツェーは簡単なハッピーエンドを用意してはいないということだけは書いておきたい。
また、この作品を読んで改めて感嘆するのは、クッツェーの作家としての技量である。クッツェーは、この作品執筆時43歳の男性でありながら、70歳の癌に冒された女性を主人公として描いた。クッツェーは1999年の『恥辱』という作品において、性的な問題を起こし教壇を追われた中年の男性教授を描いたが、男性作家が20世紀にこのような小説を書いたという先進性はしばしば称賛されている(ただ、権威ある男性が性的スキャンダルにより地位を追われることが当たり前になった昨今『恥辱』という作品を新しく感じるかというとやや微妙であり、個人的にはクッツェーの作品で現代の古典と呼ぶのに最も相応しいのは『マイケル・K』だと思う)。
クッツェーという小説家の持つ、自分と違う属性の人物を主人公とした小説を描き出す類稀な能力は、『鉄の時代』においても、非常に高く発揮されている。興味を持った方は、クッツェーの他の作品も読んでみてほしい。
→『マイケル・K』
J.M.クッツェーが一度目のブッカー賞を受賞したの傑作。
→『崩れゆく絆』
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