【完結】『進撃の巨人』に残された未解決の謎について考察してみる

進撃の巨人

『進撃の巨人』が完結した。この作品が、少年漫画史に残る傑作であることに疑いの余地はない。何よりも『進撃の巨人』が傑出しているのは、精緻に組まれた物語の中で、次々と伏線というか謎が解明されていき、全体像が見えていった点である。物語が結末するにあたって多くの謎が解明されたが、一方で残された謎もある。

というわけで、『進撃の巨人』の最終話を読んでも「これは何だったんだろう」と思う未解決の謎について、雑ながら思ったところを書き連ねていこうと思う。

もちろん、私の読み込みができていないこともあるかもしれない。そして、この記事は考察の都合上、読者によっては多少のネタバレになってしまうことは最初にお断りしておく。

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

『進撃の巨人』の年号の意味

『進撃の巨人』は、最終盤で第一話の伏線を10年越しに華麗に回収していった。たとえば、第1話のタイトルである「2000年後の君へ」は、物語中盤まではまったく意味不明のものであったが、それが意味するものは最終話でようやく明らかになった。

しかし、第1話の謎のうちの一つである「年号の意味」は、最終話を読んでもわからなかった。

『進撃の巨人』の物語は、作中の暦で「845年」から始まるのだが、この「845年」というのは何を表すのだろうか

少しだけ考えてみたい。

何を基準にした「暦」なのか

通常、暦というのは、宗教あるいは国家に関連する「ある年」を基準に制定されるものである。キリスト教の西暦しかり、イスラム教のヒジュラ暦しかり、あるいは台湾が使用しているような民国〇〇年という暦しかりである。

『進撃の巨人』における暦は、何を基準にしているのだろうか?

まずやっかいなのは、この暦は「壁の中」(パラディ島)だけのものなのか、「壁の外」とも共通のものなのか、不明であることである。

この暦が「壁の中」だけのものである場合、フリッツ王が人為的に記憶を操作して年号を作ったと考えられる。しかし、なぜこの数字を選んだのかは不明である。

というのも、王家は2000年前から存在しているため、普通ならば王家が成立した年を基準に年号を定めるだろうと思われるからである。

「壁の外」と共通のものである場合、『進撃の巨人』の世界には何かしらの宗教がある(ただし作中では描写されていない)と考えるのが妥当だろう。

しかし「壁の中」に関して言えば、「壁教」という宗教が描写されており、その他の宗教が壁の中にありそうな様子はあまりない。そう考えると、この可能性は微妙なところである。

他にはマーレ再興の年を基準にしている可能性などが考えられるだろうが、これについても壁の中で採用している妥当性はあまりないので、線としては薄そうである。

――このように、作中のテキストだけで考えると、年号にはあまり意味がなさそうに思える。

「845年」という数字のメタ的な意味

だが、『進撃の巨人』という無意味な要素がほとんどない作品で、年号に意味がないなんてことがあるだろうか。

とすると、進撃の巨人の「845年」という年号にはメタ的な意味があるのではないか? と思う。

『進撃の巨人』では「13」という数字が重要な意味を持つが、「845」という数字も「5×13×13」である。

13という数字から「845」という年号が算出されたのではないかと思われるが、詳しいことはわからない。

この先は、読者が各自妄想するしかない……のではないかと思う。私は完全にお手上げである。

(次からはもう少しちゃんと考察していきます)


 

結局、ミカサとは何者だったのか

ミカサの頭痛について

続いて、第1話から提示されている謎である「ミカサの頭痛」について考えていきたい。

この謎は、最終話である程度明らかになった。

エレンが「進撃の巨人」の能力で過去干渉が行われた時、ミカサは頭痛を覚えるのだろう。

アッカーマン一族は記憶操作の影響を受けないが、過去へ干渉された時には影響を受ける。しかし、過去に干渉されると違和感を覚えるため、その結果頭痛を催すのだろう。

ミカサにとっての養母カルラが巨人に捕食された際にミカサが頭痛を覚えた理由は、これで説明できる。

また、エレンやアルミンが危機に瀕した時にも、作中で描写されているわけではないが過去干渉が発動しているため、ミカサは頭痛を覚えるのだと思われる。

しかし、ミカサがルイーゼ(あの、1巻から登場している、ミカサに憧れている少女である)と接する際に頭痛を覚える理由は、容易に説明することができない。

だが、逆にミカサがルイーゼと接するときに頭痛を覚えるという事実から逆説的に考えると、ルイーゼはミカサの「最後の行動」を促すために重要な要素であったのではないかと推測できる。

ルイーゼは、接点は多くないものの、ミカサにとって重要な人物である。自分を慕ってくれる後輩として。だが最終的に、ミカサとルイーゼは袂を分かつことになる。この決別は、おそらくミカサが「最後の行動」をするために必要不可欠なものだったのだろう。

進撃の巨人(4) (週刊少年マガジンコミックス)

アッカーマン一族、ヒィズル国とは何だったのか

ここまで「ミカサは過去干渉された際に頭痛を覚える」という解釈をしてきたが、正直に書けば、この解釈はさらなる疑問を生む

それは、そもそも「なぜミカサがこのような能力を持っているのか」ということである。

この能力がアッカーマン一族に起因するものであれば、リヴァイも経験していないと説明がつかない。しかし、おそらくリヴァイは頭痛を経験していない(要するに、アッカーマン一族にぞなわった能力ではない)だろう。これはエレンとジークの話からも推測できる。

アッカーマン一族に普遍的に備わっているのは、記憶を改竄されない能力と、圧倒的な戦闘能力(ただし覚醒した場合のみ)だけである。

アッカーマンの血筋が非常に重要なものであることに疑いの余地はないものの、それだけでは説明がつかないとすると、ミカサのもう一方の血筋である「ヒィズル国」の影響が考えられる。

ヒィズル国の王族には、ある種の「予知能力」が備わっているのではないか、ということは、作中の描写からも読み取れる。(「予知能力」というのは少し言い過ぎかもしれないが、ヒィズルに「運の良さ」があるのは確かであり、多少拡大解釈すればそのように言える)

ヒィズル国に関しては、作中の説明に少し物足りなさを感じた面もあったが(ミカサの紋章など含めて)、「未解決の謎」というほどではないだろう。

ヒィズル国は「パラディ島と世界を仲介する第三国」としての役割は物語上で十分果たしたと言えると思う。

話を戻す。

ミカサの「過去干渉を把握する能力」は、アッカーマンとヒィズルの両方の血筋が組み合わさった結果なのではないかと、私は考える。

すなわち、記憶を改竄されない能力(=アッカーマンの能力)と、少しだけ未来を予測できる力(=ヒィズルの能力)が、ミカサには備わっている。そのため、未来から干渉されると、違和感を覚えるのだ。

「ミカサは最強の血統でした」という結論に至ってしまうのは少し興ざめな気がしないでもないが、とりあえず私は(最終話を読み終えた段階では)このように解釈した。

もちろん、他の説明も可能だろうし、これは一つの考察に過ぎない。

なぜミカサに命運が託されたのか?

このようにミカサは特殊な能力を有していたが、物語上それ以上に重要なのは「ミカサが特殊な使命を有していたこと」である。(*最終話の話)

ミカサの「ある行動」が、エレンの最終目標なのである。

しかし、これに関しては「ミカサが特別」なのではなく、「エレンが特別」だったのだろう。――すなわち、重要なのは「ミカサの行動」ではなく、「エレンに対するある行動」を起こす人物が重要だったのであり、その人物がミカサであっただけなのだ。

始祖ユミルにとってはエレンが特別であり、エレンにとってはミカサが特別な存在だった。

始祖ユミルに対して、ユミルができなかった「愛の形」を見せることができたのはミカサだけであったが、これはミカサが特別なのではなく、エレンが特別であり、エレンにとってミカサが特別だったからだろう。

進撃の巨人(30) (週刊少年マガジンコミックス)

結果として、ミカサは始祖ユミルに「「服従」以外の愛の形」を見せることになる。

別にこのような愛の形自体は特別ではないが、始祖ユミルはエレンくらいとしか接触していないので、エレンから教わる以外にない。だから、エレンそしてミカサが特別だったのだ。

その結果として、始祖ユミルは「服従」をやめる

始祖ユミルは「服従」をやめることが、エレンの求めたエンディングだったのである


 

エレンがミカサを攻撃した理由は何か

再び『進撃の巨人』序盤の謎に戻ろう。

3巻でエレンが巨人化して岩を運ぼうとしたときに、巨人の力を制御できずにミカサを攻撃しようとしてしまうシーンがある。

これは、ただ単に巨人の力を制御できなかっただけという解釈も可能だと思うが、よりによってミカサを攻撃したのには理由がありそうである。なぜ、エレンはミカサを攻撃したのだろうか?

私は、それはミカサの最終盤での行動が理由なのではないかと思う。

すでに結末を読んだ方はご存知だろうが、極論を言えば、ミカサがいなければエレンはもっと長生きすることができた(それがどんなに暗い影を持ったものであれ)。

だからこそ、未来の潜在的な「敵」であるミカサを、無意識のエレンは攻撃したのだろう。

もしかすると、この行為は過去改変でなかったことにできたかもしれないが、わざわざ過去を改変することはなかったかもしれない。

メタ的に言えば、エレンとミカサの対立を暗示するために、このシーンは読者に記憶される必要があったのである。


 

おわりに

完全な駄文を書いてしまったが、完結に立ち会った感情のほとばしりをそのまま文章にしたものとして、大目に見てほしい

『進撃の巨人』は、非常に緻密に組まれた傑作である。残された謎も、非常に考察のし甲斐があるものばかりである。

『進撃の巨人』をまだ読んだことのない方、途中まで読んだけどやめてしまった人も、興味を持たれたら、是非最後まで読んでみてほしい。緻密に組まれた作品が好きな人であれば、絶対に読んで後悔はないと思う。

諌山先生、11年間ありがとうございました!

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