男も憧れるカッコよさ―『シラノ・ド・ベルジュラック』あらすじ・感想

シラノ・ド・ベルジュラック

エドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』は、男のロマンみたいなところがある。

容姿に恵まれない主人公の恋が実る話だからだ。でも、そんな「ありがちの話」と思ってもらっては、困る。シラノ・ド・ベルジュラックの内面は本当にかっこいいのだ。やっぱり、この作品はものすごい名作だ。

シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)

『シラノ・ド・ベルジュラック』あらすじ

主人公シラノ・ド・ベルジュラックは、容姿に恵まれず(鼻が大きい)、女性からはとことんモテない男だったが、剣術の達人で、さらに詩人としても一流の文武に秀でた男で人望は厚かった。

(ちなみに、シラノ・ド・ベルジュラックは、実在した同名の剣豪作家をモデルにしている)

そんなシラノは、従妹ロクサーヌにひそかに恋をしている。ロクサーヌも、シラノを「お兄様」と慕っている。ロクサーヌは美しく、数多の男が彼女に言い寄るが、シラノはそんな男たちを追い払う。だが、シラノは自分の醜い顔貌を気にして思いを打ち明けることはできない。

ある時、シラノは美青年クリスチャンと意気投合するが、クリスチャンがロクサーヌに思いを寄せていることを知る。

シラノは、ロクサーヌのために身を引くことを決意し、それどころか口下手で口説くのが上手くないクリスチャンのために、ロクサーヌを口説く言葉を代筆する。

ロクサーヌは、次第に情熱的な言葉で自分への求愛を寄せるクリスチャンに思いを寄せ始める。

途中、クリスチャンは口説くのに失敗しそうになることもあるが、シラノの助け舟もあり、クリスチャンとロクサーヌの仲はついに成就するかに見えた。

しかし、ロクサーヌに恋慕していたド・ギッシュ伯爵は、ロクサーヌに慕われているクリスチャンとシラノに嫉妬し、2人を戦場の最前線に送ってしまう。

シラノは、戦場からもロクサーヌに向けて手紙を書き続ける(もちろん、クリスチャン名義で)。

ロクサーヌは、連日送られてくる情熱的な手紙に心を動かされ、危険を顧みず戦場へ慰問に向かう。

そしてクリスチャンに面会したロクサーヌは、クリスチャンに対して、たとえクリスチャンが美しくなくても人格を愛していることを伝える。

――しかし、クリスチャンはこの言葉に絶望する。ロクサーヌの知るクリスチャンの内面は、クリスチャンのものではなく、シラノのものなのだから。

絶望したクリスチャンは無謀な突撃を行い、戦死する。

*  *  *

何年ものち、想い人だったクリスチャンを喪ったロクサーヌは、言い寄ってくる男になびくこともせず修道女として生活していた。

ロクサーヌの楽しみは、週に一度のシラノの訪問であった。シラノから、世の中の様子を聞くことを楽しみにしていたのだ。

だがある時、シラノは修道院に向かう途中で頭に材木を落とされ、重傷を負う(シラノは人望は厚いが、ド・ギッシュのように敵も多かったのだ)。

シラノは最後の力を振り絞って、健気に振る舞いロクサーヌのもとを訪ねる。

ロクサーヌは、クリスチャンの手紙をシラノに朗読してもらう

シラノは、その手紙を周囲が真っ暗になっても、読むことができた。シラノにとっては、初めて見るはずの手紙であるのに。

この時、頭部を負傷したシラノの視力は失われていた。シラノは、視力を失ったことをロクサーヌに隠そうとして、手紙の内容を暗唱していたのだ。

ロクサーヌは、手紙の主、自分が愛した相手が本当はシラノだったことに気付く。

しかし、シラノは力尽きようとしていた。シラノは最後に言い残す

どんな悪魔でも死さえもも奪えないもの、それは私の心意気だ

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『シラノ・ド・ベルジュラック』感想

こんな感じで『シラノ・ド・ベルジュラック』は、結末だけ見れば、醜男が内面を評価されて恋が成就した(でも最後には死んじゃった)という物語で、それだけを抜き出したら今となってはありがちなストーリーである。

でも、この現代のラブコメでも見られるような「ありがちなストーリー」を成功させるには、いくつかの要素が上手く描写されていないといけない。

そこが『シラノ・ド・ベルジュラック』は完璧なのではないかと思う。だから、この作品は古典なのだ。

外面の愛から内面の愛へ

『シラノ・ド・ベルジュラック』が上手いのは、ロクサーヌが愛する対象がクリスチャンの「外面」から「内面」に変化するレトリックである。

ロクサーヌは、もともとクリスチャンの発する言葉に陶酔を覚えるという点で外見はあまり気にしない女性なのだが、それでもクリスチャンが美男子であるという点は大きなプラスである。

だが、物語中盤で、ロクサーヌにとってクリスチャンの外見はまったく重要でなかったと気づく。それは、戦争による別離と、手紙というツールである。

「いつの間にか内面が好きになっていた」という話は実際よくあることだろうが、物語では、うまく説明してもらわないと納得できないことも多い。

その点、『シラノ・ド・ベルジュラック』は、ロクサーヌの愛が「内面」から「外面」に移る理由と過程の描写が巧みなのである。

ロクサーヌにとってのクリスチャンの人格は、戦争による別離を通して「実物」から「手紙」に移行するのだ。

「入れ替わり」の発覚

そして二つ目は、『シラノ・ド・ベルジュラック』は「入れ替わりの発覚」の描写がめちゃくちゃうまいということだ。

ラブコメで「入れ替わり」は日常茶飯事だ。あだち充の『スローステップ』とか、『五等分の花嫁』とか。

『シラノ・ド・ベルジュラック』の感想を述べるときにラブコメマンガを引き合いに出すのは失礼かもしれないが、『シラノ・ド・ベルジュラック』は「入れ替わり系」ラブコメのお手本になりうる。

たいていの場合、「入れ替わり」というのは、物語でいずれ発覚しなくてはいけないわけだが、『シラノ・ド・ベルジュラック』は物語の最終盤に発覚する。

『シラノ・ド・ベルジュラック』の場合、シラノが「かつて入れ替わって送った手紙」を「暗唱できた」というレトリックで、入れ替わりが発覚する。

シラノが代筆した手紙は、シラノのロクサーヌへの正直な気持ちから出たものであった。だから、シラノはこの手紙を覚えていたのだ。

シラノは、自分の視力が奪われていることをロクサーヌに悟らせないために手紙を暗唱したのだが、そのせいでクリスチャンとの入れ替わりが発覚してしまったのだ。

このレトリックは巧みだ。

さらに、シラノが「何かを守ろうとした」(=最期までロクサーヌを心配させまいとした)がゆえの発覚である点に、読者・鑑賞者は大きな感動を覚える。

シラノ・ド・ベルジュラックという男

このように最期まで「何かを守ろうとした」という点は、主人公シラノドベルジュラックのかっこよさである。

最期の場面でも、ロクサーヌを心配させまいとして、ユーモアも失わず言葉巧みに話す詩人としてのシラノ。だが、視力含めシラノは能力を次第に奪われていく……

それでもシラノは、「心意気」(原文のフランス語だと「羽飾り」らしい)を失わない。

シラノは死期を悟っても、自分からは決してクリスチャンの身代わりをしていたことを明かさない。ロクサーヌに恋慕していたことも明かさない。

それが、彼の「心意気」なのだ。

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おわりに

とにかく、シラノ・ド・ベルジュラックは、本当に内面が高潔な男なのだ。そんな男を描いた『シラノ・ド・ベルジュラック』も、文句なしの名作だ。

どうでもいい話だが、「白野」という名前の男性を見るとベルジュラックとあだ名したくなる。

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