ロシア文学と言えばドストエフスキーとトルストイの二大巨頭があまりに有名だが、この二大巨頭の作品を読むのはあまりに骨が折れる。
ーーそんなイメージでロシア文学を敬遠している人も多いかもしれない。
だが、ドストエフスキー作品と対極に属すような、短くて甘美な小説もロシア文学には多い。
その中でも、今回は短く読みやすいにもかかわらず展開がドラマチックな、ツルゲーネフの『初恋』について紹介したい。
(最近はトゥルゲーネフと表記されることも多く、この記事が準拠する光文社古典新訳文庫版でもそう表記されているが、ここではツルゲーネフと表記することにする。)
ツルゲーネフ『はつ恋』あらすじ
※ネタバレ注意 気になる方は飛ばしてください
客の大半が帰ってしまった夜更けに、家に残った家主とセルゲイ・ニコラエヴィチ、ウラジーミル・ペトロ―ヴィチの3人は、恋バナを始めようとする。
といっても、3人は中年男性である。若き日の「初恋」について、話をしようと家主が持ちかける。
だが、ウラジーミル・ペトローヴィッチは「口下手なので」と断り、思い出してノートに書いくから、後で話すと言う。
ーーそして、2週間後、ノートには次のような内容が書かれていた。
回想は、ウラジーミルが16歳の夏へと遡る。
ウラジーミルは湖のほとりの別荘に両親と住み、大学受験に備えて勉強していた(というのは名目上で、実際にはあまり勉強していなかった)。
ある時、隣に美しい女性が引っ越してきた。
瞬間、女の人もこちらを振りむきました。表情に富んだ生き生きとした顔に、大きなグレーの瞳。すると急に、その顔全体が小刻みに揺れて笑いだし、白い歯が輝き、眉毛がなんだか面白い具合に持ちあがりました。
ウラジーミルは、彼女に一目ぼれしてしまう。
心臓がどうしようもなく高鳴っています。とても恥ずかしく、同時に楽しくもあり、それまでに経験したことがないほど気が高ぶっていました。
この女性は、ジナイーダという女性で、ウラジーミルより5歳年上の教養にあふれた魅力的な女性だった。
ジナイーダの周囲には、多くの男が彼女の魅力に惹きつけられて集まっていた。
主人公ウラジーミルも、彼女を取り巻く男たちの一員になる。
高貴で男を寄せ付けない雰囲気のジナイーダであったが、ある時を境にジナイーダは恋をしているようだとウラジーミルは気づく。
日がたつにつれて、ジナイーダの様子はますます奇妙に、ますます不可解になっていきます。
ジナイーダは、主人公の前で涙を見せたりもする。
だが、ジナイーダは主人公ウラジーミルが自分に思いを寄せていることを知りながら、主人公の恋心を拒む。しかし、「他の男たち」への扱いと、主人公に対する扱いはどこか異なるのであった。
ジナイーダは主人公ウラジーミルを「ヴォロージャ」と呼び、弟のように接する。
誰かに恋をしているジナイーダ。その相手は誰なのか……
主人公ウラジーミルは思い詰めていく。
ある日、ジナイーダと相手の男との逢瀬の時間を知ったウラジーミルは、ナイフを手にして相手の男が現れるのを待つ。
男が姿をあらわしました……すると、なんということでしょう!それは父だったのです!
ウラジーミルは、あまりの衝撃に言葉を失う。
ジナイーダは、秘密を知った主人公対し、今まで恋心を弄んできたことを謝る。
私には、うしろ暗くて、罪深くて、いけないところがたくさんあるの。でも今はもう弄んだりなんかしません。あなたのこと、愛しているんです。その理由やどんなふうに愛しているのかということは、夢にも思いつかないでしょうけれど……。
主人公は、ジナイーダに見つめられると、何も言い返すことはできなかった。
ジナイーダの虜だったのである。
だが、ジナイーダとの不倫の噂が立った主人公の一家は、湖畔の別荘を去らざるを得なくなる。
しかし、引っ越した先である時、ウラジーミルは父に会いにジナイーダがやってきたのを見てしまう。父とジナイーダが会うのを。
ジナイーダは、父に別れるよう告げられるが、彼女は父に手を差し出す。
そのときとつぜん、私の目の前で信じられないようなことが起こったのです。それまでフロックコートの裾の埃を払っていた鞭を、父がいきなり振りあげると、肘まで出ているジナイーダの白い腕をピシッと打ちすえたのです。
だがジナイーダは、打たれた腕に唇を当て、何も言わずに去る。
ウラジーミルは、鞭を打たれても我慢できるのが愛なのかと思う。
ーー引越しをしてからしばらくして、父が亡くなった。
そして数年後、取り巻きの一人と会ったウラジーミルはジナイーダの近況を知るが、再開する前にジナイーダは急死してしまう。
ウラジーミルは、父、ジナイーダのために祈らずにはいられなくなった。
ツルゲーネフ『はつ恋』の魅力
『はつ恋』のあらすじは以上の通りであるが、私がここに書いたあらすじを読んで、『はつ恋』を読んだ気にはならないでほしい。
構成の巧みさと文章の美しさ
この物語の魅力は、一つには構成の巧みさである。
ジナイーダが誰に思いを寄せているのか? という答えを知る前にこの作品を読むのと、知ってから読むのでは印象が違ってくるシーンがいくつもあるはずである。
というわけで、ぜひ何度も読み返したい作品である。
また、描写が非常に美しいこともこの作品の魅力である。
あらすじ紹介で訳文を引用したのは、ひとえに私がこれらの文章が好きだからである。
もし「文章の美しさ」を共感していただけたら、ぜひ小説全体を読んでみてほしい。
遥かなモスクワ郊外に思いを馳せることができるような美しい文章で紡がれているのが、この作品である。
初恋の甘酸っぱさ
さらにこの短編の特徴としては、中年男性の回顧という形をとっている点も挙げられる。
この小説は、あくまで16歳のころの自分を思い出して書いた手記である。
あらすじ紹介では割愛したが、物語のラストでは現在のウラジーミルによる「初恋」についての考察が書かれるが、この考察の甘酸っぱさは小説のクライマックスの一つと言っても過言ではない。
この作品は若いうちに読んだらもちろん印象的な作品になると思うが、大人になってから読んでも、過去の甘美な記憶を思い出させる非常に印象的な作品になるのではないかと思う。
おわりに
『はつ恋』は、ツルゲーネフの自伝的な要素を含み、ツルゲーネフ自身も終生愛したといわれる。ツルゲーネフといえば『父と子』という長編小説が有名だが、まずはこの『はつ恋』を読むのをお薦めしたい。
何度もこの記事で書いているが、『はつ恋』は、非常に読みやすく清らかなロシア文学である。ハラハラする展開や甘酸っぱい描写など、非常に内容も充実しているのにもかかわらず、全体としては短編として収まっている。ーーだから、私はロシア文学の入門に最適ではないかと思う。
ぜひ、今までロシア文学を敬遠していた方にも読んでいただきたい。
ツルゲーネフ『初恋』を無料で読む
なお、読みやすいという点は、入手という点でもそうである。
ツルゲーネフ『初恋』のうち、光文社古典新訳文庫版は一番読みやすいと思われるうえ、Kindle Unlimitedという定額読み放題サービス(初月無料、記事投稿日時点)で読めるので、こちらも合わせてお薦めしておきたい。他にもいろいろな古典的名作を読むことができるサービスである(このサービスで読める本については本ブログのKindle Unlimitedカテゴリをご参照いただきたい)。
KindleはスマホやPCのアプリでも読むことができるので、体験したことがない方は一度試してみてはいかがだろうか。
▼光文社古典新訳文庫以外にも『はつ恋』は、新潮文庫から出ており、新潮文庫版の神西清訳は著作権が切れているので青空文庫で無料で読める。訳が古くても気にならない方にはおすすめ。