岩波新書には多少「お堅い」イメージがあるが、もちろん例外もある。
その最たる例が、手塚治虫『ぼくのマンガ人生』だろう。
この本は、日本を代表する漫画家・手塚治虫の講演をまとめた本であり、最後の30ページほどはマンガであることもあって非常に読みやすい本である。
ーーしかし、やはりこの本は岩波新書として相応しい、メッセージが込められた本なのである。
手塚治虫はいかにして漫画家となりしか
本書前半部では、手塚治虫がどのようにして漫画家になったかが描かれる。
私は小学生の時に学習まんがの手塚治虫の伝記を読んだことがあり、だいたいの筋は昔読んだものと同じだったが、新しい発見や改めて考える点も多かった。
手塚治虫の母・文子さんの思い出
第一に手塚治虫の幼少期を語るうえで外すことができないのは、母親・文子さんの存在なのだろう。
手塚治虫は、母から忍耐の重要性を学んだ。
そして、母がマンガの読み聞かせをしてくれたこと。
そして、医者になろうか悩んでいた手塚治虫にかけた母の言葉。
「あんたがそんなに好きなのなら、東京へ行ってマンガ家になりなさい」
ーーこの一言がなければ、漫画家・手塚治虫は生まれなかったのだろう。
古き良き時代の厳しさも残していながら、当時としては非常に先進的で手塚治虫の個性を伸ばした文子さんの教育方法は、現代にも通じるものでないかと改めて思った。
綴り方教育との出会い
これは個人的に面白かったことなのだが、手塚治虫が「綴り方教育」と呼ばれる教育を受けていたのは新たな発見だった。
綴り方教育というのは、日常生活を文章に表現することを推奨し、子どもたちにたくさん作文を書かせる教育運動のことである。
手塚治虫が、この綴り方教育を自身のストーリーテリングの能力に大きく寄与したと考えているのは興味深い。
実際に小学生時代の手塚治虫が書いた作文の原本も掲載されていて、非常に面白かった。
「命の尊厳」を題材にして
手塚治虫の回顧録も非常に興味深いのだが、この本に収録されている中でいちばん手塚治虫が伝えたかったのは、彼の作品に共通するテーマーー「人間の尊厳」ーーなのではないかと思う。
戦争という原体験
手塚治虫は、戦争に従軍することはなかったが、それでも空襲などで死と隣り合わせになる場面は多かった。
ーーもちろん、手塚治虫の妹も「兄も戦時中は軍国少年でした」というように、当時は「国のため」に死ぬことに疑いはなかったのかもしれない。
しかし、終戦を迎えた1945年8月15日に、若き手塚治虫は一種の深い感動に包まれたことを回想する。
「ああ、生きててよかった」と、そのときはじめて思いました。ひじょうにひもじかったり、空襲などで「ああ、もうだめだ」と思ったことがありました。しかし、八月十五日の大阪の町を見て、あと数十年は生きられるという実感がわいてきたのです。
ほんとうにうれしかった。ぼくのそれまでの人生の中で最高の体験でした。
死と隣り合わせだった現実に、手塚治虫は気づく。
そしてその体験をいまもありありと覚えています。それがこの四〇年間、ぼくのマンガを描く支えになっています。
ぼくのマンガでは、いろいろなものを描いていますが、基本的なテーマはそれなのです。
つまり、生きていたという感慨、生命のありがたさというようなものが、意識しなくても自然に出てしまうのです。そのくらいショックだったわけです。
この戦争の体験が、表現者・哲学者としての手塚治虫の原体験だったのではないかと思う。
ーーだからこそ手塚治虫の作品には、必ず「命の尊さ」がにじみ出るのである。
だが、ここで一つ注意しなければいけないことがある。
手塚治虫は、ここで「人生が長ければ長いほど良い」と言っているのではない。
短い人生だとしても、精一杯生きること、それが命の素晴らしさであると言っているのである。
だからこそ、人の命は戦争などと言った理由で奪われてはならないのである。
病気への考え方として
例えば今、記事投稿時点で、新型コロナウイルスが流行している。
この問題に引き付けても、深く思える手塚治虫の言葉がある。
当時、ほとんどの人間は、病気をひじょうに素朴に怖がっていました。病気にかかっても、病気とはわからず、たたりかもしれないと思ったりわけもわからないものが体を襲ってきたら、死んでもしょうがないと考えていたのです。
そういう時代がわずか一五〇年くらい前にあったのです。
ーーだが、今は「科学がすべて解決できる」と思われるような、一種の科学信仰の時代になってしまった。
しかし、それはおろかな考えだと手塚治虫は言う。
どんなに科学万能になっても、人間は自分が神様のようになれると思ったら大まちがいで、やはり愚かしい一介の動物に過ぎないのです。
(中略)
そういう同レベルの生物ならば、人間は生きているあいだにせめて十分に生きがいのある仕事を見つけて、そして死ぬときがきたら満足して死んでいく、それが人生ではないかというようなことを、ぼくはとっかえひっかえテーマを変えながらマンガに描いているのです。
重ねて言うようではあるが、人間の命というものを科学によって左右しようとするのではなく、与えられた人生をいかに精一杯、美しく生きるかというのが、手塚漫画を貫く哲学なのである。
「死」というものが近く感じられるときに、また読み返したいと思う本である。
おわりに
この新書は手塚治虫の死後8年たって出版された本であり、本書中には手塚治虫に近しかった人々の回想録も挿入されていて非常に面白い。
たとえば手塚治虫が経済的に首が回らなくなっていた時期を支えた葛西健蔵さんは、手塚をこのように評する。
あいかわらず手束治虫のマンガはたくさん読まれています。
私はよく言います。「手塚治虫に哲学がなかったら、死んでからもマンガがこんなに読まれへん」と。
――今、この本がで出てからさらに23年たった。だが、手束治虫のマンガは未だに読まれ続けている。
その理由は、手塚治虫の「哲学」なのだろう。
そこに人間に関する思想があるからこそ、この本は優れていて、非常に「岩波新書らしい」本でもあるのではないだろうか。
▼漫画家の自伝的作品としては藤子不二雄A(安孫子元雄)のマンガである『まんが道』もお薦め。