三島由紀夫のライトノベル&クマ小説『夏子の冒険』あらすじ・感想

夏子の冒険

「なにか日本の小説を読みたいんだけど、何を読めばいい?」

――というようなことを聞かれると、「とりあえず三島由紀夫を読めばいいんじゃない?」

と、やや投げやりとも捉えられがちな答えをしてしまうが、しかしこれは私の本心である。

とはいえ、私も三島由紀夫の作品をすべて読んだことがあるわけではないのだが(なざなら、三島作品をすべて読み終わってしまったら、人生の一つの楽しみがなくなってしまうと感じるからである)、これまで読んだ三島作品はすべて素晴らしく、自身を持って他人に「とりあえず三島由紀夫を読めばいい」と薦めている。

三島由紀夫の作品は、まず文章が素晴らしい。ことさらに戦前を賛美するつもりがあるわけではないが、やはり戦前生まれの作家の書く文章の格調高さと美しさは、現代作家の文章ではなかなか味わうことができない。

一方でその文章は読みにくいという欠点だと捉えられることもあろうが、三島由紀夫は難解だと敬遠するのは、あまりにも勿体ない。三島由紀夫は、読者を楽しませることをよく考えている作家であるし、その作品は現代の作品に通じる点を多く持っている

三島由紀夫の作品の神髄を味わうことのできる作品、ということではないかもしれないが、三島由紀夫の作品の面白さを手軽に味わうことができる作品としておすすめしたいのが『夏子の冒険』である。

テレビ朝日の弘中綾香アナウンサーが愛読していることでも最近は有名になっているようだが、簡単に言うと『夏子の冒険』という作品は

夏子という女の子が大活躍し理想の男性を追い求める(?)、ライトノベルのような読みやすさを持つ三島由紀夫小説

であると私は思う。

この記事では、『夏子の冒険』のあらすじを簡単に紹介しつつ、『夏子の冒険』の最大のテーマとは何なのかを考察していきたい。

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『夏子の冒険』あらすじ

前置きが長くなったが、簡単に『夏子の冒険』のあらすじを簡単に紹介したい。

『夏子の冒険』書き出し

『夏子の冒険』は、次のような文章から始まる。

 或る朝、夏子が昼食の食卓で、
「あたくし修道院へ入る」
といい出した時には一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静寂のなかを香煙のように歩みのぼった。

この文学史上に残る書き出しによって物語が幕を開ける。

『夏子の冒険』あらすじ

主人公・松浦夏子は、20歳の女の子(※女の子、と書いたが、この時代の20歳は結婚していてもおかしくはない年齢)。

夏子は、「ゆたかな日光を浴びて育った大柄な果実のような感じがある」南国系のくっきりとした顔立ちをしていて、男性から交際の申し込みが絶えない美少女である。

そんな夏子は、なぜ修道院に行こうとしたのか。

それは、世の中の男のつまらなさに絶望したからである。

夏子に言い寄る男たちに対して、夏子は脅迫じみたことをして男の情熱を試すが、簡単に男たちは折れてしまう。現代の男たちは、情熱がないのだ

『ああ、誰のあとをついて行っても、愛のために命を賭けたり、死の危険を冒したりすることはないんだわ。男の人たちは二言目には時代がわるいの社会がわるいのとこぼしているけれど、自分の目のなかに情熱を持たないことが、いちばん悪いことだと気づいてはいない。……』

そして夏子は、函館の修道院に、女性の家族三人((光子)、祖母(かよ)、伯母(逸子))とともに向かう。

 

しかし、その旅の途中、函館連絡船に乗った夏子は、運命的に青年と出会う(時代は青函トンネルが開通する前である)。

海をじっと見詰めているその目の輝きだけは、決してざらにあるものではなかった。その目は暗い、どす黒い、森の獣のような光を帯びていた。よく輝く目であったが、通り一遍の輝きではない。深い混沌の奥から射し出て来るような、何か途方もない大きなものを持て余しているような、とにかく異様に美しい瞳であった。
……
この目こそは情熱の証しである。

この青年、井田毅は、北海道に宿敵のとあるを討つために向かっていた。

夏子は、母・祖母・伯母を撒いて、井田の仇討の旅に連れ添うことになる……。

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『夏子の冒険』感想

『夏子の冒険』は以上のようなあらすじの物語で、その結末については実際に読んで味わってほしい。

ここからは、『夏子の冒険』の感想を記していくが、特に「夏子はなぜ修道院に入ると言い出したのか?」というテーマについて書いていきたい。

なぜ修道院に入るのか

なぜ修道院に入るのか、という名目的な理由は、最初にも書いたように「情熱的な男がいないから」であった。もちろんそれは一番の理由ではあるのだが、しかし私には、それだけの理由ではないように思うのである。

もちろん、情熱的な男がいないというのは一番の理由ではあるのだが、ここで『夏子の冒険』という作品で、一番醜悪に描かれているのはどのような人々なのかを考えていきたい。

その答えは、夏子の母・祖母・伯母の三人衆である。

おばさんたち3人のドタバタ劇は面白く、決して彼女たちは悪い人ではないのだが、この作品を読んでいると自分勝手に場を引っ掻き回す彼女たちにいらつきを感じるようになる。

物語中盤、不二子というカウボーイの娘で恋のライバル(?)が登場する。おばさん3人のドタバタ劇に対する、不二子の以下の反応はそれを端的に表す。

一同は感謝したり詫びを言ったり泣いたり笑ったり大さわぎを車に乗って、行ってしまった。
……
「あの奥さんたち、あたしきらい。いい人らしいけど、あたしきらい。ああいうの見ていると、早く山にかえりたくなる」
……
あのブルジョアの悪臭が野性の少女の鼻にも敏感に感じられたのが面白かった。

作品が批判するもの

こういった描写などを考えると、夏子は「情熱的な男がいないから結婚したくない」という理由に加えて、

「母のようなブルジョア夫人にはなりたくない」という思いが同じくらいあったのではないかと思うのである。

それは完全に同義ではないだろうが、ある程度は同義だろう。男と普通の結婚生活をする限り、この時代の女性はその運命から逃れられないのだ。

三人衆は、娘の幸せな結婚を祈っていろいろと相手の家柄を調べたりコネを使って娘の身柄を回収しようとしたり三人でどんちゃん騒ぎをして一喜一憂したりする。それは決して悪いことではない。

だが、その人生は自分のための人生とは言い難い。母たちは、娘・夏子に自分の人生を仮託しているだけなのだ。

夏子は、そういう母たちのような人生を歩むのが嫌だったのだろう。だから、修道院に入って自分(と神)のためだけに生きる、そういう選択肢を思いついたのではないだろうか。

作中、ある奥さんの「夏子評」は、夏子が結婚した場合の未来を暗示する。

「……一寸、神経質で、あれで中年になったら、すごいヒステリーになりそうなところもみえますけれど、お若いうちは、ああいう奥さんを持ったら、面白くてたまらないでしょう。……よほどブルジョアのお嬢さんなのね」

この時代、女性は結婚したら主婦になるほかなかった。とくにブルジョアの家に生まれた夏子であればなおさら、良家の夫と結婚し、ブルジョアの夫人になる未来が固定されていたのである。

夏子は、そうではない未来を切り開こうとした。その生き方は、たしかに現代に生きる女性にも参考になるのかもしれない。

『夏子の冒険』はクマ小説でもある

そして完全に余談ではあるが、『夏子の冒険』はクマ小説でもある。

物語の軸は「クマ退治」である。

物語ではクマも相当に大暴れするので(?)楽しみにして読んでほしい。

クマの被害が増え、社会的な関心が増える今こそ、三島由紀夫が描いた「クマ小説」としても『夏子の冒険』はぜひおすすめしたい。

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おわりに

ここまで紹介してきたように、『夏子の冒険』という作品は現代にも通じる小説であるとともに、三島由紀夫を初めて読む人にもおすすめの読みやすい小説である。

関心を持っていただけた方は、ぜひ実際に本を手に取ってみてほしい。

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