ミラン・クンデラが2020年のフランツ・カフカ賞を受賞したらしい。フランツ・カフカ賞というのは、2006年に村上春樹が受賞したことで日本でもよく知られるようになった、チェコの文学賞である。
クンデラといえば、『存在の耐えられない軽さ』があまりに有名だが、これ以外にも名作が多い。とくにクンデラの出世作である『冗談』は、タイトルのインパクトでは『存在の耐えられない』に劣らざるを得ないが、物語の面白さという意味では『存在の耐えられない軽さ』以上に質が高い作品だと私は思う。
「クンデラの作品を初めて読む」という人に、わたしが一番お薦めしたいのが、実はこの『冗談』なのである。今回は、その理由を記すとともに、この作品の素晴らしさを紹介したい。
ミラン・クンデラ『冗談』概要・あらすじ
最初に、『冗談』がどのような作品なのかを書いておく必要があるだろう。作者ミラン・クンデラがどのような人物なのかというのも記しておきたい。
『冗談』概要
ミラン・クンデラはチェコの作家であり、『冗談』は1967年にチェコで発表された。
当時のチェコは共産主義体制下にあった。共産主義体制では、一党独裁を堅持するためにさまざまな言論統制が敷かれるのが通例である。
しかしながら、当時のチェコでは、比較的言論統制が緩くなっていた。
『冗談』は、共産主義体制下の閉塞した社会を描いた作品であるが、当時は発表を許されたのである。
――しかし、このような状況も長続きしなかった。1968年にチェコのドプチェク政権がさらなる自由化へと舵を切ると(これをプラハの春という)、共産主義の親玉であるソ連がそれを阻止すべくチェコに軍事介入し、チェコは閉塞した共産主義体制に逆戻りすることになった。
そして、閉塞した社会を描いた『冗談』などのクンデラ作品は発禁処分になり、「プラハの春」の文化面での中心人物と目されたクンデラは1975年にフランスに亡命することになった。
(クンデラがフランスに亡命した後で、「プラハの春」とソ連の軍事介入を舞台として描いたのが『存在の耐えられない軽さ』である)
『冗談』の舞台となったのは当時のチェコだが、「閉塞した共産主義体制だったが、未来に希望も見えてきた」という当時の状況がそのまま反映されていると読むことができる。過去の暗さと、未来の明るさ。そのような示唆を感じる作品である。
(しかし、史実ではそのような希望はソ連の軍事介入によって潰えることになる)
『冗談』あらすじ
前述の通り、『冗談』は共産主義体制下の社会を描いた作品である。
ここからは、少しあらすじを紹介したい。
主人公のルドヴィーグは、ほんの「冗談」で、交際していた女性に体制を揶揄する絵葉書を送ってしまう――彼女が党の「合宿」に行っているあいだ、自分に関心を払ってくれないのに嫉妬して。
楽観主義は人民の阿片だ! 健全な精神など馬鹿臭い! トロツキー万歳!
だが、この絵葉書を彼女に密告されてしまう。
――そしてルドヴィーグは、党から除名され、大学も辞めさせられ、今まで進んできたエリート街道から一気に転落することになる。
ルドヴィーグは、自分を破滅に追い込んだ人々を許すことができなかった。
ルドヴィーグは、懲罰として軍隊生活や鉱山労働への従事をこなしながら、雌伏の時を過ごす。
物語の舞台は、ルドヴィーグが大学を追われてから約15年後である
ルドヴィーグは「ある目的」を持って、故郷の街に帰ってくる……
――そして、ルドヴィーグを取り巻く人々によって物語が紡がれる。
クンデラを初めて読むなら『冗談』である理由
ここからは、この記事の本題である「クンデラを初めて読む人に『冗談』を薦めたい理由」を書いていきたい。
クンデラのデビュー作であるという点
第一に言えるのは、すでに書いた通り『冗談』がクンデラの出世作であるということである。
(クンデラの創作活動における最初の作品は短編集『微笑を誘う愛の物語』であるが、長編としては『冗談』がデビュー作である。)
『冗談』は、書かれたのが一番最初の作品であるとともに、舞台も一番古い作品である。だから、発表順に読めば、時系列順に楽しむことができるのである。
いちばん平易な作品であるという点
「いや、新しいのから読みたいよ!」という人もいるかもしれない。
だが、クンデラの作品は、新しくなるほど難解になる。
例えば、『冗談』の16年後に書かれた『存在の耐えられない軽さ』は次のような書き出しで始まる。
永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。
――およそ小説の書き出しではない。
クンデラはその書き出しで、自分以外の読者を困惑させたとでも評することができそうである。
もちろん、クンデラによる哲学的な思索を楽しみたいのであれば『存在の耐えられない軽さ』から読んでもいいと思うし、いずれは『存在の耐えられない軽さ』もぜひ読んでほしい作品である。
だが、いちばん平易で、かつ物語としても面白いのは『冗談』であると、私は主張したい。
構成の巧みさと物語の面白さ
この物語の面白さは、だんだんと話の全体像がわかってくることである。
あらすじ紹介ではルドヴィーグのみに焦点を当てたが、この作品はルドヴィーグを主な語り手として、彼のほかに3人の語り手――ヘレナ、ヤロスラフ、コストカ――が話を紡いでいく。
この4人はいずれもルドヴィーグの知人であるが、彼らはルドヴィーグの知らない情報を知っていることもあり、話の重要なキーとなる。
『冗談』は平易だと先に書いたが、最初は正体の分からない語り手に困惑することもあるかもしれない。その場合は、語り手がルドヴィーグでない章は流し読みし、後から読み返せばいいのではないかと思う。
物語の一つの筋は、ルドヴィーグが過去に自分に起こったことの真相を知ろうとする、という内容である。だんだんと話の全体像が分かってくるのはルドヴィーグも読者も同じであり、推理小説にあるような「真相を知った時」の感情を味わうことができる。
また、最終章の場面も緊迫感がありつつ、笑いありという感じで、物語としても非常に優れていると感じた。
またしても『存在の耐えられない軽さ』を引き合いに出してしまうが、こういうエンタメ性は『冗談』にしかない。
(でも、純粋なエンタメ小説としては読まないでほしい。あくまでクンデラ作品にしてはエンタメ性が強いのであって、クンデラの真髄は文学的表現や構成の上手さである。)
おわりに
長くなったが、私が『冗談』をクンデラを初めて読む人にお薦めしたい理由は、だいたい以下の3点に集約される
・クンデラのデビュー作で、この作品から読めば時系列順に楽しめる。
・クンデラのデビュー作なため、いちばん平易である。
・純粋な物語の面白さで、いちばん優れている。
さらに、『冗談』は2014年に岩波文庫から出ている。そのため入手しやすく、新しく翻訳も読みやすいという点も、おすすめの理由になるだろう。
まだ読んだことのない方は、ぜひクンデラの『冗談』という作品を手に取っていただきたい。
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