毛皮を着たヴィーナス

ザッハー=マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』を読む《”M”の元祖にしてNTRも描いた古典的名作》

世の中には、実は小説が語源となった言葉というものは多く存在する。「ドM」や「マゾ」、「マゾヒズム」といった言葉は、もはや日常で使用される語彙の一つになっているが、この言葉はとある小説家の名前に由来している。

対義語である「S」も、その語源は作家の名前である。「S」は、サド侯爵こと、フランスの作家マルキ・ド・サドが由来だ。日本では澁澤龍彦によって多くの作品が訳出されたことでも、知っている人は多いだろう。

一方、「M」の語源となった作家は、マルキ・ド・サドよりは知名度が低いかもしれない。この作家とは、現ウクライナのリヴィウで生まれたオーストリアの作家であるレオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ(1836-1895)である。

では、なぜこのマゾッホという小説家の名前は、被虐趣味を表す言葉に使用されることになったのか。それは、1870年に発表した中編小説『毛皮を着たヴィーナス』によるところが大きい。

マゾッホの作品の中で最も有名なこの小説は、いったいどのような作品なのか。実際に『毛皮を着たヴィーナス』読むと、この作品が小説としても読み応えのある面白い作品であることがわかるとともに、「M」とは一体なんなのだろうかという新たな発見が得られる。

今回は、この「マゾヒズム」という言葉の語源となった作品について紹介していきたい。

毛皮を着たヴィーナス

ザッハー=マゾッホとはどんな作家か

はじめに、ザッハー=マゾッホという小説家について簡潔に紹介したい。(略歴は英語版Wikipedia等を参照、人命は光文社古典新訳文庫版の『毛皮を着たヴィーナス』に倣った)

レオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホは、1836年1月27日、現在のウクライナ・リヴィウ(当時はオーストリア帝国領のレンベルク)に生まれた。後述するがマゾッホはウクライナを舞台にした小説なども書いている(ただし、「毛皮を着たヴィーナス」の主な舞台はイタリアである)。名前のうち姓はザッハー=マゾッホという複姓だが、この記事では慣例に倣いマゾッホと呼ぶことにする。

代表作の『毛皮を着たヴィーナス』は、1870年に発表された作品である。そして、「マゾヒズム」という言葉が精神医学の語彙として誕生したのはこの作品の発表からから16年後、ドイツの精神科医リヒャルト・フォン・クラフト=エビングが1886年に著した『性的精神病理』という書籍においてである。

ちなみに当時、マゾッホは存命していた。マゾッホ本人はこの命名に同意しておらず、自らの名前がこのような形で使われることを喜ばなかったという。

ではマゾッホは実際にはマゾヒストではなかったのだろうかというと、そうではない。やはり、マゾッホはマゾヒストだったと言える、ということは衆目の一致しているところだろう。

マゾッホは『毛皮を着たヴィーナス』が発表された時期に、この小説のヒロインであるヴァンダのモデルの一人とされるファニー・ピストールという女性と関係を持っていたが、この女性とマゾッホは『毛皮を着たヴィーナス』さながらの奴隷契約を交わしていた

マゾッホとファニー・ピストール(photo via Wikimedia Commons)

さらに、作品発表の翌年には、『毛皮を着たヴィーナス』に影響を受けたアンゲリカ・アウローラ・リューメリンという女性がマゾッホに接近してくる。さらにその翌年からは、アンゲリカとマゾッホは奴隷契約を結ぶことになり、アンゲリカはヴァンダと称する。つまり、マゾッホは自分で書いた小説と同じ状況を自ら実現させたのだ。マゾッホ自身にも、奴隷になりたいという願望があったことは彼の人生を見ても明らかであり、それゆえに『毛皮を着たヴィーナス』という作品はマゾヒスト当事者の描いた芸術作品として、今も類稀な特異性を持った小説として読み継がれているのである。

『毛皮を着たヴィーナス』あらすじ

前置きが長くなってしまったが、『毛皮を着たヴィーナス』という小説のあらすじについて、一部のセリフを引用しながら紹介したい。

この小説は構成としては入れ子構造を持っており、ゼヴェリンという物語の実質的な主人公が過去を振り返るという形をとっている(より正確に言えば、主人公がゼヴェリンの手記を読むという形式である)。

物語は語り手がヴィーナスの夢を見る場面から始まる。夢から覚めた語り手が友人のゼヴェリン(30歳ほどの地主)を訪ねると、ゼヴェリンの部屋には一枚の絵が飾られていた。それは毛皮をまとった女性の足元に横たわる男の姿を描いた絵『毛皮を着たヴィーナス』であり、その男こそ今より10歳ほど若いゼヴェリンだった。

鏡を見るヴィーナス (ティツィアーノ)
ティツィアーノの『鏡を見るヴィーナス』(ナショナルギャラリー所蔵)は、作中で『毛皮を着たヴィーナス』の対になる絵として描かれる

語り手の夢と奇妙に一致するこの絵について問うと、ゼヴェリンは自ら書いた手記『肉欲を超越してしまったある男の告白』を渡す。小説の本体は、この手記の内容である。

ゼヴェリンはカルパチア山脈(ルーマニア・スロヴァキアなど東欧に広がる山岳地帯)の保養地に滞在中、ヴァンダという美しく若い未亡人と出会う。ゼヴェリンはヴァンダに対し、毛皮をまとった女性に支配されるという自らの秘めた欲望を告白し、彼女を「女神」として崇めるようになる。やがてゼヴェリンはヴァンダを説き伏せ、彼女を「女主人」、自分を「奴隷」とする契約を書面で交わす。

「貴男、私の奴隷になりたい?」
「愛において、男女が平等に共存することは不可能です」
僕は厳かなまでにおおまじめに答えた。
「しかしながら、自分が女を支配するか、あるいは女に隷属させられるか、私自身が選ぶことができるのなら、美しい女性の奴隷になるほうが自分にとってはずっと魅力的だと思えます」

ザッハー=マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』(許光俊訳・光文社古典新訳文庫Kindle版 位置447)

こうしてゼヴェリンはヴァンダの奴隷となる。ヴァンダは当初、こうしたゼヴェリンの態度に困惑するが、次第にゼヴェリンの望み通りゼヴェリンを奴隷として手中に収める。

「鞭打ってほしいんだ」僕は懇願した。「容赦なく鞭打ってほしいんだ」
ヴァンダは鞭を振り上げ、二度僕を打った。「これで足りた?」
「いや」
「本当にまだなの?」
「打ってくれ、お願いだ。それが僕には悦びとなるんだから」
・・・・・・
「もしあなたが僕を愛しているのなら、僕を残酷に扱ってほしい」彼女を仰ぎ見ながら、僕は懇願した。
「もし私があなたを愛していたら、ですって?」ヴァンダは繰り返した。
「わかったわ!」彼女はうしろに下がり、意地悪そうに微笑みながら僕を眺めた。
「それなら私の奴隷になりなさい。女の手の中に落ちるというのがどういう意味なのか、わからせてあげるわ」

ザッハー=マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』(許光俊訳・光文社古典新訳文庫Kindle版 位置912)

そして2人はイタリアへと旅立ち、ゼヴェリンはヴァンダの従僕として扱われながら関係を深めていく。しかし2人の関係は、このまま続くわけではなかった。

旅の途中でヴァンダはギリシャ人の貴族アレクシス・パパドポリスという男性と出会い、惹かれてしまうのだ。こうして2人の関係は崩壊へと向かっていく……というのが物語の簡単なあらすじである。

マゾッホが描いた「マゾヒズム」とは何か

あらすじ紹介でごく一部この作品のセリフを紹介したが、ゼヴェリンとヴァンダの異様な関係は、常軌を逸しているが一方でリアルである。そのリアルさは、やはりこの作品がマゾッホ自身の体験、そして願望をもとに描かれたからであろう。(この引用部分を面白いと感じた方は、ぜひ『毛皮を着たヴィーナス』を読んでみてほしい)

では、元祖マゾヒストと言えるマゾッホがこの作品で描いたものとは、いったいどのようなものなのだろうか。

『毛皮を着たヴィーナス』における支配と服従

ゼヴェリンとマゾッホの興味深い点の一つは、「支配」と「服従」の関係が極めて逆説的な構造をしていることである。

表面上は、鞭を持ち命令を下すヴァンダが「支配者」であり、その足元に跪くゼヴェリンが「服従者」である。

しかし実態を見れば、このシナリオの「演出家」はゼヴェリンに他ならない。ヴァンダを「女神」として崇め、奴隷契約を提案し、「こう振る舞ってほしい」という欲望をヴァンダに教育してゆくのは、一貫してゼヴェリン自身なのである。しかし、ゼヴェリンはヴァンダの危険な素質を覚醒させ、制御できなくなっていく。

「私の中に眠っていた危険な素質、それを最初に覚醒させたのはあなたよ」

ザッハー=マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』(許光俊訳・光文社古典新訳文庫Kindle版 位置2329)

『毛皮を着たヴィーナス』における「NTR」

ゼヴェリンはヴァンダを制御できなくなるが、その最たる例はヴァンダがパパドポリスに惹かれることである。これはゼヴェリンにとって最も残酷なことだが、しかしゼヴェリンにはヴァンダを止めることはできない。なぜならゼヴェリンは奴隷にすぎず、そして「最も残酷なこと」こそゼヴェリンがヴァンダに求めたことだからである。

寝取られ、いわゆる「NTR」は現代においてもマゾヒズムの一類型と扱われることがあるが、そもそもマゾヒズムの語源となった『毛皮を着たヴィーナス』にもNTRは描かれているのである。ゼヴェリンはパパドポリスの登場に本気で苦悩し嫉妬するが、一方でNTRはゼヴェリンに恍惚をもたらしているようにも思われる。

ゼヴェリン、パパドポリス、そしてヴァンダの3人が登場する物語のクライマックスはこの小説後半の一番の見どころである。

『毛皮を着たヴィーナス』ラストの考察

ここまで『毛皮を着たヴィーナス』という小説について基本的に称賛してきたが、一方で小説の構造として完璧かというと、必ずしもそうではない。『毛皮を着たヴィーナス』のあらすじは、途中からはやや冗長に思える部分もある。そしてネタバレになるが、『毛皮を着たヴィーナス』の結末には、現在のゼヴェリンによるあまり首肯できない女性蔑視的な意見で終わってしまうという難点がある。

女というものは、男の敵なのだよ。男の奴隷であるか、男を支配する女王さまであるか、そのどちらかしかあり得ないんだ。決して伴侶になれないんだ。

ザッハー=マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』(許光俊訳・光文社古典新訳文庫Kindle版 位置2556)

だが、こういった一文を持って『毛皮を着たヴィーナス』が女性蔑視的な作品であるというのは早計だろう。

ゼヴェリンはこの台詞の後にこう続ける。「もしそうなるとしたら、女が男と同じ権利を持つようになり、教養や仕事という点で男と同等になった時だろう」。そもそも『毛皮を着たヴィーナス』は女性の社会的地位が低かった時代、男女の権利に違いがあった時代の話である。だから、男女は台頭になれないと説いているのだ。

マゾッホがもし現代に生きていたら、どのような女性とどのような奴隷契約を結んだのだろうか。もしかすると、新しい男女の関係を見つけてくれていたかもしれない。

おわりに

ここまで『毛皮を着たヴィーナス』という作品について紹介してきた。この小説への批判めいたことも最後に書いてしまったが、やはり私がこの小説を読んで強く感じたのは、『毛皮を着たヴィーナス』という小説の面白さと一種の普遍性である

この小説は、たとえばナボコフの『ロリータ』と同様に、「変態的な官能小説」というイメージで語られがちな作品であり、もちろん変態的な小説という一面は確かに持っているのだが、それ以上に人間が奥底に持つ特殊だが時代を超えて普遍的な欲望を描き、そして喜劇と悲劇を描いた不朽の名作である。そして個人差があるかもしれないが、『毛皮を着たヴィーナス』はかなり笑える小説でもある。マゾヒズムにはどこかユーモアがつきまとうものかもしれないが、とにかくゼヴェリンの倒錯ぶりは必見である。興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

なお、『毛皮を着たヴィーナス』は最近光文社古典新訳文庫版から許光俊訳で新訳出ているが、これはKindle Unlimitedという定額読み放題サービスで読める。

Kindle Unlimitedは他にもいろいろな古典的名作を読むことができるサービスである(このサービスで読める本については本ブログのKindle Unlimitedカテゴリをご参照いただきたい)。 KindleはスマホやPCのアプリでも読むことができるので、体験したことがない方は一度試してみてはいかがだろうか。

ちなみに『毛皮を着たヴィーナス』は、光文社古典新訳文庫が出るまでは種村季弘訳が広く親しまれていたようで、こちらも現在も入手可能である。なお本稿は光文社古典新訳文庫版に基づいている。
『毛皮を着たヴィーナス』の次におすすめの小説
『魂を漁る女』
光文社古典新訳文庫版『毛皮を着たヴィーナス』の訳者あとがきで許光俊さんがおすすめしていたマゾッホの小説。中公文庫は絶版になっているが、古本または電子書籍で入手可能。ウクライナを舞台に、謎の暗黒教団が登場する小説で、小説としてかなり面白い。
『ロリータ』
『毛皮を着たヴィーナス』同様、小説から派生した用語のイメージが先行しすぎて、読書好き以外からは文学的な面白さが過小評価されてしまっている小説。『ロリータ』は小説としての完成度も圧倒的。(本ブログでの紹介記事はこちら
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