「読んではいけない」本ーセリーヌ『夜の果てへの旅』【あらすじ・感想】

夜の果てへの旅

東京大学出版会から出ている『教養のためのブックガイド』という本があり、おもしろいのだが、その中で一番面白いのは「読んではいけない」本も挙げられていることである。

そのような「読んではいけない15冊」として挙げられているうちのひとつが、フランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌによる『夜の果てへの旅』という小説である。

なぜ、『夜の果てへの旅』は「読んではいけない」とされているのだろうか……?

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

『夜の果てへの旅』あらすじ解説

『夜の果てへの旅』の主人公フェルディナン・バルダミュは、パリの医学生である。

時は第一次世界大戦の熱狂にフランスが包まれているころであり、バルダミュも軍に志願して戦場に赴く。

しかし、バルダミュは戦争の無意味さを感じ、戦場から逃れることを画策する。

単騎での夜間偵察中、バルダミュは敵軍であるドイツに投降しようとしているレオン・ロバンソンという男に会い、二人でドイツに投降しようとするが叶わず、二人は別れる。

その後バルダミュは戦場で負傷するという形で、戦場から離脱する。そして最終的に、精神的に軍に適さないと判断され、バルダミュは除隊されることになった。

行く当てを失ったバルダミュは世界を遍歴することにし、フランスを離れて植民地のアフリカに向かう。

アフリカではロバンソンに再開し、植民地支配の欺瞞の数々を見せつけられる。ロバンソンは逃亡し、貿易会社の損失を押し付けられることを恐れたバルダミュもアフリカを離れる。

バルダミュはアメリカのデトロイトに行き、自動車工場で職を探す。しかし、資本主義の象徴である自動車工場にもなじめず、バルダミュは恋人と別れデトロイトを離れる。

バルダミュはフランスで医者となり、貧民の暮らすランシィで医者を開業する。

そこでバルダミュは貧民街の過酷さや、義母や夫を亡き者にしようと企む女性アンルイユなど、絶望的な人々に出会う。

アンルイユは、ロバンソンを雇って義母を爆殺しようとするが、失敗しロバンソンは視力をほとんど失う。

バルダミュはランシィも離れて、パリに赴くが、そこでもロバンソンとの腐れ縁は切れず、絶望的な毎日を送ることになる……


 
 

『夜の果てへの旅』感想

『夜の果てへの旅』は、発表当初は「反戦の本」として捉えられていたらしい。

しかし、作者セリーヌは、第二次世界大戦前には反ユダヤ主義を唱えており、戦後は罪に問われたような人物であった。

(なお一応断っておくが、このせいで『夜の果てへの旅』が読まれなくなっている事情はあるだろうが、セリーヌが反ユダヤだから「読むべきでない」とされているわけではない。)

もちろんセリーヌは反戦思想の持ち主ではある。

だが、セリーヌは人道的に平和主義に基づいて戦争に反対していたのかというと、少し違うのではないかと思う。

『夜の果てへの旅』は、すべてを否定する本なのである

『夜の果てへの旅』はセリーヌの自伝的小説であり、第一次世界大戦での負傷や世界の遍歴などは自身の経験に基づいている。

セリーヌのエピソードで有名なのは、墓石には《否(ノン)》の一語を刻むことを望んだというエピソードだろう。

セリーヌは、すべてを否定する小説家だったのである。

戦争も否定した。しかし、セリーヌはそうでないものーーたとえば愛や人間の善性をもーー否定したのである。

『夜の果てへの旅』を読んではいけない理由

冒頭で『夜の果てへの旅』は「読んではいけない」とされていることを紹介したが、こうしたことを考えると、「読んではいけない」理由もおのずと見えてくる。

『夜の果てへの旅』を読んだ人は、

「人生とは無意味なのではないか」「人生とは苦痛に過ぎないのではないか」

という観念に襲われる。

バルダミュの

人生は登り道じゃない、下り道だ。

という言葉が端的に示すように。

本当に、この本を読むべきではないのか

だが、『夜の果てへの旅』は「本当に読んではいけない本」ではないだろう。

すべてを否定するバルダミュに、救われる人もいるだろう。

それに、すべての小説が「人間の美しさ」を描かなくてはいけない道理はない。

『夜の果てへの旅』のような、極限まで人間の「醜さ」「暗さ」を描き出そうとする小説も、あっていいと思うのである。

だが、場合によっては衝撃的な読書体験になってしまうのかもしれない。後戻りができないほどに……

ーーだから、この本は「読むべきではない」とされているのだろう。


 
 

おわりに

なお、フランス文学的には『夜の果てへの旅』が画期的であったのは、俗語・口語を多用した文体を使用したからだという。スラングの使用や、三点リーダーの多用が語りの特徴として挙げられる。

訳者・生田耕作も日本語にうまく落とし込んではいるのだが、訳者が物故してすでに20年以上がたち、訳の古さは否めない。しかし、それでも構わないというのであれば、ぜひ『夜の果てへの旅』を読んで、セリーヌの描いた「夜の果て」に沈み込んでほしい。

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『夜の果てへの旅』の著者セリーヌを敬愛する、アメリカの作家チャールズ・ブコウスキーによる一冊。作中にはセリーヌも登場する。

『夜の果てへの旅』のアフリカの場面で思い出すのは『闇の奥』。