恋が始まるには、ほんの少しの希望があれば十分です。
――スタンダール
という引用から始まるマンガ作品があるが、さらに言えばこの言葉はスタンダールの『恋愛論』第三章冒頭からの引用である。
『恋愛論』という本は、恋愛について論じた本としては古典中の古典である。実際読んでみると、共感できる点も多く、自分の感じていた精神現象が言語化されていたりして非常に面白い。
この記事では『恋愛論』がどのような本なのかを紹介するとともに、スタンダールの「恋愛論」を極力わかりやすく解説しつつ、その面白さを紹介したい。
『恋愛論』はどのような本か
はじめに一つ断っておくと、『恋愛論』は恋愛指南の本ではない。
そもそも作者スタンダールが『恋愛論』を書いたのは、メチルダという女性に対して熱烈な恋をしたからだが、この恋は成就していないのである。自分の恋すら実らせることができなかった人間の本を、恋愛指南書として読んでも、効果があるわけがないのは明らかだろう。
よって、この本は「恋愛指南」ではない。『恋愛論』は、恋愛をしている際に湧きあがった様々な感情を、作家が考察し、文学的な比喩も交えながら描いた作品である。評論と随筆の中間のような本である。
『恋愛論』を書いたスタンダールは、『赤と黒』などの小説で知られる大作家だが、普段海外文学に関心のない人でも、自分の恋愛体験と比較して色々と面白く読むことができるはずである。
とても共感できる点であったり、あるいは共感できない点が、この本には書いてあるはずである。
自分の恋愛体験を振り返ってみたいと思った時に、この本を読んでみると良いかもしれない。
というわけで、この本を読んだところで、絶対にモテるようにはならない。
そもそも現代において『恋愛論』を読むような文学オタク的側面を持つ人間は、よほどのイケメンでない限りなかなかモテないだろう。むしろ、『恋愛論』を読んで恋愛を批評しようなどとしたら、たいていの女性から気持ち悪い目で見られるに違いない。
――うっかり、読者を男性に限定して書いてしまった。
だが、そうというのも、この『恋愛論』自体が、主に男性を読者として想定した本なのである。
時代性ゆえに仕方のないことではあるかもしれないが、『恋愛論』中において女性は家の中で家事をするだけの存在として描かれ、男尊女卑的な面があることは否めない。この部分はお断りしないといけないだろう。
しかし、そのような点は読者が適宜置き換えていけば、もちろん現代の女性にも本書は面白く読めるものだと確信する。スタンダールも、主な読者を男性と想定してはいるが、読み手から完全に女性を排除しているわけではない。また、男性の心理を知ることができるという点で『恋愛論』は女性が読んでも面白いかもしれない。
なお、この記事についても書き手が男性という点から、例示する際に男性中心で書いてしまうことがあると思うが、その点はお許しいただきたい。
先述の通り本書を読んだことによってモテるようにはならないと思うが、本書を読んで色々と過去の恋を振り返ることは、人生においても大きな価値があるのではないだろうか。
というわけで、ここからは『恋愛論』の内容を紹介していきたい。
スタンダールの「恋愛論」とは
『恋愛論』は第一巻・第二巻(・断章・附録・補遺)から構成されるのだが、恋愛を評論しているのはほとんど第一巻冒頭で、残りは具体例としてのエピソードの提示などである。
ここでは、主に第一巻冒頭に書かれている、スタンダールの恋愛についての考察について解説・考察したい。
「恋愛の四類型」
スタンダールは、恋愛を次の四類型に分ける。
- 情熱恋愛
- 趣味恋愛
- 肉体的恋愛
- 虚栄恋愛
現代の日本社会で一般的に「恋愛」という言葉が指すのは、情熱恋愛だろう。
趣味恋愛というのは18世紀パリの社交界で盛んだったような駆け引きを楽しむ趣味的な恋愛である。肉体的恋愛というのは、肉体関係のみの恋愛である。娼婦を買うみたいなものも含まれる。
虚栄恋愛というのも、かつてのパリの社交界で盛んだったような、贅沢としての恋愛である。現代社会においても、ある意味ではキャバクラなどはこれに当てはまるのかもしれない。
なじみの薄い「恋愛」が登場して身構えた方も多いかもしれないが、『恋愛論』で主に語られるのは、情熱恋愛であるので、ここで敬遠してしまう必要はない。スタンダール自身がしていた恋が「情熱恋愛」なのだから。
では、スタンダールはどのように「情熱恋愛」について考察しているのだろうか。
「恋の七つの時間」
スタンダールは、恋が生まれる過程を次のように分類する。
1,感嘆
2,……したら、どんなにいいだろう、など
3,希望
4,恋が生まれる
5,第一の結晶作用
6,疑惑が表れる
7,第二の結晶作用
これについて、個人的な考察も交えながら書いていきたい。
恋の最初のステップは「感嘆」である。
相手を感嘆させるには、色々な方法があるが、手っ取り早いのは顔貌の美しさだろう。
なぜ美が恋の発生に必要であるか、これでわかる。つまり醜が最初障害になってはいけないのだ。
だがら、容姿に恵まれない人は、用紙以外の方法で相手に「感嘆」を起こさせる必要があり、さらに容姿によってその「感嘆」を損ねてはいけないのである。
そして、「……したら、どんなにいいだろう」などといった感情が続く。接吻出来たらどんなにいいだろう、なにかをしてもらえたらどんなにいいだろう、などといった感情である。
だがそれだけでは「恋」は発生しない。卑近な例でいうと、アイドルに対する感情と同じだろうか。
アイドル相手に感嘆し、「……したら、どんなにいいだろう」と思うことはよくあるだろうが、それだけでは恋には発展しないのである。
その次に必要なステップが「希望」である。
俗な言葉で言えば「ワンチャンスを感じる」というものになるかもしれない。
(厳密にはスタンダールの言う「希望」というのはもっと広い概念だと読み取れるが、ここでは多少簡略化して解説したい。)
たとえば、ボディタッチの多い女性がモテまくるのは、これが理由だろう。彼女は多くの「希望」を振りまいている。逆に、どんなに美しい女性に対しても、希望=チャンスを感じない限り、恋は生まれないのである。
――これが、アイドルに対する感情と「恋」を分けるものかもしれない。
逆にいえば、アイドルはファンに対して(あるいは一般人でも、絶対に無理なタイプの人に対して)「希望」を生ませてはいけないのである。その希望は不幸しか生まない。
逆に恋愛指南的に言えば、自分に好意を寄せているかもしれない相手には「希望」を与えないといけないのである。
そして「結晶作用」によって、恋は強固なものになるのである。
さらに、疑惑の時間を乗り越えることで、恋はたしかなものになっていく。
スタンダールの恋愛論の特徴の一つは、「疑惑」を重視したことにあるのではないだろうか。もちろん、『恋愛論』は現代のようにLINEやメールでこまめに連絡を取り合えない時代の恋愛を描いているのだが、片思いであっても「疑惑」によって恋が強まるという経験は多くの人が持っていると思う。
次に「結晶作用」とはどのようなものかを紹介したい。
恋愛における「結晶作用」
「結晶作用」という概念こそ、スタンダールが『恋愛論』が示した概念で一番有名なものだろう。
スタンダールによれば、恋が生まれると、「結晶作用」というものが働くという。
スタンダールは、次のような比喩で「結晶作用」を表現する。
ザルツブルグの塩坑で、廃坑の奥深くへ冬枯れで葉の落ちた樹の枝を投げ込み、二、三か月して引き出してみると、それは輝かしい結晶におおわれている。山雀(やまがら)の足ほどの太さもない細い枝も、無数のきらめく輝かしいダイヤをつけていて、もうもとの枯れ枝を認めることはできない。
ややわかりにくい比喩だと思うが、要するにこういうことである。
岩塩鉱の溝に小枝を投げ入れると、小枝が塩水に浸かる。そして水が引き小枝が乾くと、小枝はダイヤモンドのような美しい塩の結晶で覆われ、もとの枯れた醜い小枝は見えなくなる。
――という話である。
「ザルツブルクの小枝」の比喩を用いて、スタンダールは「魅力に覆われたせいで気にならなくなる」こと、いやむしろ「はじめは魅力的に思えなかったものが、逆に魅力的に見えてくる」ということを表現している。
つまり、日本語で言うところの「あばたもえくぼ」である。
わかりやすく言えば、恋をすると、その人の持つ属性がすべて美点に見えるようになる、とスタンダールは書いているのである。
たとえば、『かぐや様は告らせたい』というマンガでは、主人公の一人である四宮かぐやが「目つきの悪い人が好き」であることについて
それ目付きが悪い人が好きなんじゃなくて
会長が好きだから目付き悪いの好きなんでしょ
とツッコまれそうになるシーンがあるが(7巻)、これは結晶作用が働いたからである。
「目つきが悪い」という普通ならマイナスになるポイントが、恋と結晶作用を経てプラスのポイントになっているのでである。その人を好きになることで、その人の持つ属性も好きだと思いこんでしまっているのである。
このような「結晶作用」に、思い当たる人も多いのではないか。
たとえば、一重の女性に恋をしたら「自分はもともと一重も好きだったかもしれない」と思うようになったり。もともと低身長(あるいは高身長)がタイプだと自認していたはずなのに、いつの間にか逆転していたりする。
好きな人の属性が、いつのまにか自分の好きな属性になっているのである。
『恋愛論』は、自分や身近な人のの経験(あるいはフィクション中のエピソード)と比較しながら読んでいくと、抜群に面白い。
おわりに
ここまでスタンダールの恋愛論について紹介してきたが、以上で紹介した内容は『恋愛論』第一巻の内容である。恋愛論は、恋愛について論じた第一巻と、各国の恋愛について論じた第二巻(要するに、各国の女性を落とす方法を論じているわけだが……現代日本人にが読んでもほとんど実践のしようがない)、そしてスタンダールが私的な経験を書き付けた断章・補遺・追加に分けられる(新潮文庫版では、すべて一冊に収められている)。
正直に書くと私には第一巻が一番面白かったが、第二巻以降でもスタンダールの私的な体験や紹介するエピソードには、興味深い点や共感できる点は非常に多かった。
スタンダールは本書について
この本は小説ではない。ことに小説みたいにおもしろくはない。
と書くが、下手な小説よりは圧倒的に面白い。
ーーもしかするとこの言葉の意図は、『恋愛論』よりも『赤と黒』のような小説のほうが面白い、というスタンダールの自負なのかもしれないが
ーーとにかく、『恋愛論』が面白く、私たちも興味を持ちやすい内容なのは確かである。
少しでも興味を持った方は、是非原書を読んでみてほしい。
- 作者:スタンダール
- 発売日: 1970/04/07
- メディア: 文庫
▼私が読んだのは大岡昇平訳の新潮文庫版だが、岩波文庫版の方が訳が新しいので読みやすいかもしれない(上下巻なので値段は高くつきそうだが)。
- 作者:スタンダール
- 発売日: 2015/12/17
- メディア: 文庫
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