フォークナー『八月の光』あらすじ・感想ー「黒人でも白人でもない」人間の孤独と悲劇

八月の光

8月中に読み終えたいと思っていた本をようやく読み終えた。

それが、この本。1949年のノーベル文学賞を受賞したことでも知られる、アメリカ文学の大家ウィリアム・フォークナーの『八月の光』である。

折しもBLM(Black Lives Matter)などでアメリカの人種問題が焦点になったこの時期にこの作品を読み終えることができたのは、私としても非常に有意義であったので、ここに作品を紹介するとともに感想を記しておきたい。

八月の光 (新潮文庫)

『八月の光』あらすじ

※ネタバレ注意 気になる方はあらすじを飛ばしてください

物語は、リーナ・グローブという妊婦を中心とした軸ジョー・クリスマスという黒人と白人の混血の青年男性を中心とした軸の2つがある。(リーナとクリスマスは互いに出会うことはない)

物語は、妊婦であるリーナが、おなかの中の子どもの父親であるルーカス・バーチを探してアラバマからミシシッピへと4週間も歩いている場面から始まる。

ルーカス・バーチは、リーナが妊娠したと分かったとたんに行方をくらましたのである。だが、人がいいリーナは、きっと彼が生まれてくる子供のために職を探しに行ったのだ、そして職を見つけたら連絡してくれるはずだ、と思い込む。

しかし当然連絡は来ず、リーナから彼を探す旅に出たのである。

ルーカス・バーチが移り住んでいたのは、ジェファソンという町(フォークナーが創作した架空の街で、他のフォークナー作品もこの街を中心に描かれている)であった。

彼は、ジョー・ブラウンと名前を変えて、この街に住んでいた。そして、ブラウンは、闇酒販売に手を染めている謎多き男ジョー・クリスマスの相棒として知られていた。

リーナはジェファソンにたどり着き、バイロン・バンチという中年男性に出会う。そして、バイロンから町の色々なことを聞く。そして、ブラウンがルーカス・バーチであるのではないかと両者は思いいたる。

折しも、街のはずれにあるジョアナ・バーデンの家で、火事が起きた。ジョアナ・バーデンは中年の女性で、黒人に理解を示していたがゆえに白人社会からは阻害されている。そして、ジョアナは家の離れに、行く当てのなかったジョー・クリスマスを住まわせていた。

焼け跡から、何者かに殺害されたジョアナの遺体が発見される。

犯人と目されたのは、ジョー・クリスマスである。

ジョー・クリスマスは、人と馴染もうとしない男であった。それは、彼が白人と黒人の混血児であったことの影響である。ジョーは見た目は白人(しばしばアメリカ人から見た外国人と形容される)であるが、実際には黒人の血を引いている。ジョー自身捨て子として育ち、その生まれ故に孤児院から追われたり、厳格なマッケカン家で養子として育てられたりしたが、彼の人生には常に影が付きまとう。そして、養父マッケカンを殴り倒して、家を出る。

アメリカ各地を転々とした末にクリスマスが行きついたのが、中年女性ジョアナ・バーデンの家であった。

クリスマスはジョアナの慰み者となるが、ジョアナは次第にクリスマスの体だけでなく、クリスマスのすべてを自分の思い通りにしようとする。クリスマスは、ジョアナを拒絶する。

こうして、クリスマスは凶行に及ぶ。

ジョアナを殺害した犯人、すなわちクリスマスに懸賞金かけられると、ブラウン(すなわち、リーナを孕ませた男ルーカス・バーチ)が名乗りを上げる。彼は取り調べのために拘留される。

リーナは、バイロン・バンチや現地の知識人ハイタワー(彼も物語後半では第3の主役と言っていいような人物だが、このあらすじ紹介では割愛する)の手助けを得て出産を終える。

なぜバイロンはここまでリーナに親身なのか?

バイロンはリーナに惚れてしまっているからである。ーーしかしバイロンは、リーナを拘留されたブラウン(ルーカス・バーチ)に引き合わせようとする。リーナが一途に彼のことを思っていることを知りながら。

だが、またしてもブラウンは逃亡してしまう。

そして、物語の最後、リーナは生まれた赤子とバイロンを伴って、再び赤子の父であるルーカス・バーチを探す旅に出るのである。


 
 

『八月の光』の主人公は誰なのか?

物語は、あらすじに書いたようにリーナ・グローブの旅に始まり、彼女の旅で終わる

その点では、この作品の主人公はリーナであると読むのが普通かもしれない。

だが、リーナはあまりに能天気で、お気楽な女性のようにしか見えない面もある。 この小説の中では、少し浮いた人物のようにも思えるのである。

あらすじでは割愛したがハイタワーという人物も、この物語の主人公格である。

彼はもともとジェファソンの街の牧師であったが、彼自身が南北戦争で活躍した祖父の栄光に魅せられすぎていることもあって、次第に人望を失う。そして、妻が不倫の末に変死したという不祥事を受けて、牧師の任を解かれる。街の人はハイタワーが他の街で再起することを願うのだが、彼はジェファソンの街で廃人同然(実際には、バイロン・バンチの話し相手になっている)の隠遁生活を送る。

だが、読者をひきつけてやまないのは、やはりジョー・クリスマスという人物なのではないかと思う。

ジョー・クリスマスの悲劇

ジョー・クリスマスの魅力は、彼の悲劇性にある。

白人にも黒人にも属さないという悲劇

ジョー・クリスマスを特徴づけるのは、彼が黒人と白人の混血であるという点である。

今ではあまり想像もつかないし、私の認識も正しいのか分からないが、当時は白人と黒人が交わること自体ほとんどありえなかったーーそして、そうして生まれた子どもというのは、白人社会にも黒人社会にも属すことができなかったのである。

ジョー・クリスマスは、黒人としてのアイデンティティも、白人としてのアイデンティティも、持つことができなくなる。

個人的に印象深かったのはこのシーンである

女とベッドを共にし、そして金を持ち合わせていれば支払うし、持っていないときもやはり女と寝てからその後で自分は黒人だと打ち明けた。

しばらくの間この手は有効だったーー彼が南部にいた間はそうだった。

この手は簡単で楽だった。危険といえばせいぜい相手の女かその家のおかみから罵り声を浴びせられるぐらいだった、もっとも時々は他の客たちに気を失うまで殴られ、後で道端か監房で目を覚ますことがあったが。

だが、ある時北部で女を抱いたとき、この作戦は一蹴される。

それがどうしたの?

この女の何ともない一言で、ジョー・クリスマスのアイデンティティは崩壊する。

女は、クリスマスの見た目が白人だから気にしないのではない。黒人と寝るのにいっさいの抵抗を感じないのである。

そのことがあって後、彼は憂鬱にとりつかれた。

それまでの彼は黒い肌の男と平気で寝る白人女がいることなどは夢にも考えなかったのだ。この失望感は二年間つづいた。

時おり思い出したのだが、以前の彼は白人に自分を黒ん坊と呼ばせるように仕向けて相手に喧嘩をしかけ、殴り倒したり倒されたりしたものだった、ところがいまの彼は自分を白人と呼ぶ黒人たちと喧嘩した。

ジョー・クリスマスは、元々自分を「黒人」だと認識していた

それが、養父マッケカンへの反抗であったり、彼が白人社会と馴染もうとしない理由でもあった。

だが、白人女性に拒否されなかったことで、逆に彼は今までの自分のアイデンティティを失ってしまう

クリスマスは、黒人と白人は、絶対に互いに関わることのない存在だと思っていた。この固定観念も、クリスマスの人生に常に暗い影を落とすことになる。

だから、黒人としての自分が白人に受け入れられた時に、クリスマスは黒人としてのアイデンティティを失ったかのように思ってしまったのである。

しかし、彼には白人として振舞うことはできない。そして、孤独になっていくのである。

黒人と白人の二元論

私はアメリカ人ではないので、アメリカの文化は理解できていない。だから、まったく見当違いなことを言っているかもしれない。

だが、最近のBLMでも感じるのは、白人と黒人の二元論で物事が語られがちなのではないかということである(運動に反対しているわけではないこと、ご理解いただきたい)。

黒人は、確かに不当な偏見を受けている。

だが、黒人と白人のミックスだったら? 黒人と黄色人種のミックスだったら? 私たち黄色人種は?

ーーそのような人たちは、例えばBLMの引き金となったような警察官からの偏見は受けているのだろうか? また、その結果がどうであれ、どのような立場からBLM運動にかかわることができるのだろうか?

黄色人種である私たち日本人も、悩むところなのではないだろうか。

私は、BLM運動を見て、この運動には白人の立場からも黒人の立場からも関わることはできないと思った。このような私の態度は傍観者として批判されるかもしれないが、私が部外者として疎外感を覚えているのも事実なのである。——ジョー・クリスマスが感じていた孤独感は大きさはまったく比較できるものではないが、おそらく似たような面もあったのではないだろうか。

このようなことを考えると、『八月の光』の持つテーマは、今でも色褪せないものなのではないかと思う。


 
 

各文庫版『八月の光』比較

最後に、ここまで私が紹介してきたのは、新潮文庫版(加島祥造訳)であるが、『八月の光』は岩波文庫および光文社古典新訳文庫からも出ている。

新潮文庫版以外は軽く読み流した程度だが、ここで各文庫を比較しておこう。

①新潮文庫版(翻訳:加島祥造)

特徴は、一番安いことである。かなりボリュームのある本ということもあって、1000円未満で購入できる(記事投稿日現在)のは、新潮文庫のみである。ボリュームのある本なので、1000円近くするのは許容していただきたい。

私は、安さと、その他の海外文学も複数の出版社から出ているものについては新潮文庫で揃えているからという理由でこちらを購入した。

翻訳の方は、半世紀以上前の翻訳ということもあって古さは否めない。読むのにもかなり時間がかかった印象で、おそらく他の翻訳を読むのの1.5倍の時間はかかるように思われる。時間を買うという意味では、他の文庫も高くはないのかもしれない。

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)

 

②光文社古典新訳文庫版(翻訳:黒原敏行)

次に、光文社古典新訳文庫版。

特徴は、注釈がページごとに丁寧につけられていることである。訳は一番新しく、また光文社古典新訳文庫の理念にも相まって一番読みやすいのではないかと思う。

読みやすさゆえに重厚さに欠けるという見方もあるだろうが、それは個人の好みである。どれを選ぶかはお任せしたい。

八月の光 (光文社古典新訳文庫)

八月の光 (光文社古典新訳文庫)

 

2021年1月追記:『八月の光』の光文社古典新訳文庫版は、Kindle Unlimitedという定額読み放題サービスでも読めるようになっていた。初月無料なので、興味を持った方にはぜひおすすめしたい。このサービスは光文社古典新訳文庫がたくさん読めるので、おすすめ。

(記事投稿時点では読み放題対象ではなかったので、今後変更があるかもしれないのでご注意ください)

③岩波文庫版(翻訳:諏訪部浩一)

最後に、岩波文庫版。上下巻という構成なこともあり、お値段は一番高い。新潮文庫の2倍以上もする。

ただし、翻訳者をご存知の方は察することができるだろうが、この訳は非常に新しく読みやすい。岩波文庫というと固そうなイメージだが、ここでは当てはまらない。

そして、岩波文庫からはフォークナーの3大傑作のうち『八月の光』以外の二作品である『響きと怒り』『アブサロム、アブサロム!』が出ていることにも注目したい。

すなわち、フォークナーの三大傑作を同じ文庫で揃えたいなら岩波文庫を買うしか選択肢はないのである。

八月の光(上) (岩波文庫)

八月の光(上) (岩波文庫)

 

以上、簡単ながら『八月の光』の比較を行った。

『八月の光』は、ノーベル文学賞作家フォークナーの力量が十分に発揮された、読めば読むほど新しい発見なのではないかと思う。

フォークナーの他の長編は『八月の光』より難解なので、まずはこの作品を読むことをお薦めしたい。

良い本なので、ぜひ、お好みの翻訳を手に取っていただきたい。

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