最良のノスタルジー小説は『回想のブライズヘッド』である【あらすじ・感想】

回想のブライズヘッド

コロナ禍の現在では、友人と顔を合わせて語らい、共に旅行をした日々でさえ、もはやノスタルジーの対象となってしまった。

そんなノスタルジックな気分に浸ると思い出すのは、イギリスの作家イーヴリン・ウォーの『回想のブライズヘッド』という小説だ。

最良のーーなんて書くには私は寡聞すぎるが、少なくとも私が読んできた英文学の中では『回想のブライズヘッド』が最も素晴らしいノスタルジー小説である

原題は『Brideshead Revisited』であり、直訳に近い『ブライズヘッド再訪』『ブライズヘッドふたたび』といったタイトルでも過去に出版されているが、ここではやや原題とのニュアンスは変わる気がするが、岩波文庫版に倣い『回想のブライズヘッド』と呼ばせてもらおう。

そういえばボブ・ディランの『Highway 61 Revisited』の邦題は『追憶のハイウェイ61』だが、あれは「追憶」ではない気がする……。響きがカッコいいので別に構わないんだけれど。

閑話休題。今回はこの小説について書いていきたい。

回想のブライズヘッド〈上〉 (岩波文庫)

『回想のブライズヘッド』あらすじ解説

本書の主人公は、チャールズ・ライダーという40歳ほどの画家である。

現在は第二次世界大戦に従軍している彼は、ある屋敷に駐屯する。それはブライズヘッドという屋敷であった。

わたしは前にここへ来たことがあった。ここのことは何でも知っていた。

ここからチャールズのブライズヘッドにまつわる回想が始まる。

回想は、チャールズが初めてブライズヘッドに来た頃にさかのぼる。

当時チャールズはオックスフォード大学に通っていたが、家族(母はすでになく父しかいない)との関係も希薄で無機質な生活を送っていた。

そこでチャールズは、セバスチアン・フライトという同級生に出会う。

わたしは彼に魅了された。その美しさはあの、青春が訪れたばかりのときには愛を求めて声高く歌っているのに、やがて冷たい風にふれてたちまち消えてしまう、男女の別を問わないものだった。

二人は親交を深める。

チャールズは、セバスチアンに連れられてブライズヘッドの屋敷に向かう。

「あそこにぼくの家族が住んでるんだ」

ーーセバスチアンは、自分の家を「ぼくの家」とは言わないで「ぼくの家族が住んでる」という。

チャールズは、そこに不吉な寒気を覚える。

セバスチアンは、家族との関係に問題を抱えていたのである。

家族をはじめとする色々な問題に、セバスチアンは次第に蝕まれていき、チャールズとセバスチアンの幸福な日々は終焉を迎える。

……ここまでが物語の前半である。

後半は、フライト家のある人物とチャールズが再会するところから始まるのだが、ここから先はネタバレになってしまうので書かないでおこう。

(ちなみに岩波文庫版では上巻に「解説」があるが、解説を読むとネタバレになってしまうので、ネタバレを回避したい方は読まないことをおすすめする)


 

『回想のブライズヘッド』感想

『回想のブライズヘッド』は、以上のような物語である。

最良のノスタルジー小説である理由

では、なぜ私は『回想のブライズヘッド』こそが最良のノスタルジー小説だと思うのか。

それは第一には、作者イーヴリン・ウォーも序文で書いているように、この作品が書かれた背景である。

本書は、第二次世界大戦中の1944年に書かれた。

暗い時代に書かれたせいで、逆に本書は

食べものや酒、わずか前まではあった華やかな生活、凝った美しい言語表現などへの貪婪な欲望が全体に浸透する結果となった

のである。

このような作者の気持ちは、作品全体に滲み出ていると思う。

本書の過去への憧憬は、砂漠をあてもなく彷徨う旅人のごとき渇望といっても過言ではない。

ここまで過去を渇望した作品を、私は未だに知らない

ある種の「戦争文学」として

このようにして書かれた本書は、逆説的に戦争文学でもあるだろう。

わたしはむしろこれを第二次大戦の記念として、もっと若い世代の読者に捧げたいと思う。

とウォーが書くように、私も多くの読者にこの作品を読んでもらいたいと思う。

たしかに小説の中には過度に華美に思えるような表現もある。先に引用したチャールズがセバスチアンに魅了される下りなどは最たるものである。

華美な表現ゆえに、作者ウォー自身はこの小説について「飽食している今のわたしには悪趣味に思える」などと書いている。

しかし、この小説は華美ではあるのだが、あくまで暗い影が立ち込めている。

それは戦争も理由である。しかし、ノスタルジーというのは、もはや得ることのできないものに対して抱く感情であるのだから、どこか影を感じるのだろう。

わたしの主題は思い出なのだ。それが戦争中のある灰色の朝、わたしの周りから鳥の群れのようにいっせいに舞いあがった。それこそわたしの人生にほかならないこうした思い出の群れは、ーーというのも、わたしたちは過去以外何ひとつ確実に所有してはいないのだからーー片時もわたしを離れたことがなかった。

『回想のブライズヘッド』は、ひたすらに過去を主題とした小説なのだ。

そしてそこにあるものは、絶対に再び得ることはできない。

青春小説、恋愛小説、宗教小説として

このように私は『回想のブライズヘッド』は「ノスタルジー小説」として非常に好みだったのだが、この作品は決してそれだけの作品ではないことも最後に述べておきたい。

『回想のブライズヘッド』は、青春小説でり、恋愛小説であり、カトリック小説である。物語としても起伏に富み、面白いものである。

物語前半のセバスチアンとチャールズの関係はロマンチックであり、男同士の美しい友情を描いた作品としても『回想のブライズヘッド』は屈指の作品である。二人の関係は、あるいはそれ以上の関係かも知れないが(セバスチアンがゲイまたはバイセクシャルであることは作中で仄めかされる。なお、作者イーヴリン・ウォーも学生時代には同性愛を嗜んだらしい)。

セバスチアンがチャールズを自分のもとに呼び寄せようとするシーンは、必見である。

また、物語後半では壮年のチャールズの恋愛が描かれるわけであるが、これも小説として非常に面白い。

そしてフライト家の人物は基本的にはカトリックであり、チャールズは人生のことある場面でフライト家の人間と接していくことで、次第にカトリックの信仰へと動かされていく。これも本書の主題の一つである。

だが、キリスト教圏にありがちな聖書前提の話の展開や押しつけがましさはないので、キリスト教に縁がない人にとっても、この作品は面白く読めると思う。

おわりに

だが、やはりこの作品を通じたテーマはノスタルジーなのである。

過ぎ去った友情や過去の恋愛、変わってしまった場所、もう取り戻せない青春。それらの過去は美しく、儚い。

そして、過去こそがもっとも本質的なのだ。

というのも、わたしたちは過去以外何ひとつ確実に所有してはいないのだから

▼岩波文庫で上下巻です。ぜひ。

ちなみにイーヴリン・ウォーについては、晩年の代表作『〈誉れの剣〉シリーズ』(「名誉の剣」)が現在進行形で白水社から刊行されている(2021年10月現在第1巻・第2巻は刊行されており、最終巻の第3巻はまだ情報が出ていない)。『回想のブライズヘッド』が気に入った方は読んでみるといいかもしれない。

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ウォーのデビュー作『大転落』も岩波文庫彼出ていて入手しやすい。ウォーの初期の作品は、イギリス的なブラックユーモアが特徴。豪華絢爛の『回想のブライズヘッド』とは少し違う作風だが、根底的には似ているところも多い。

 『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』は紙の単行本のみだが、おすすめ。

海外文学ランキング。『回想のブライズヘッド』もランクイン。

「第二次世界大戦後のイギリスの貴族の没落」を描いた作品としては、カズオ・イシグロの『日の名残り』がおすすめ。『日の名残り』の主人公は執事なので厳密には貴族小説ではないが、こちらも過去や記憶を主題とした一種のノスタルジー小説で、読みやすく面白いのでおすすめ。