ハン・ガン『すべての、白いものたちの』は21世紀文学の象徴的名作である【書評・感想】

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』は21世紀文学の象徴的名作である【書評・感想】
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2024年にノーベル文学賞を受賞したハン・ガンの作品の中で、最初に読むべき小説は何がいいかと聞かれたら、問答無用で『すべての、白いものたちの』を薦めたい。

本作は現時点で唯一文庫化されているハン・ガンの小説であり、まるで詩のように読める短く読みやすい小説である。今のところハン・ガンの最高傑作と称されることが多いのは国際ブッカー賞も受賞した『菜食主義者』だが(この作品は2026年に英「ガーディアン」紙が出した「史上最高の小説ランキング」にも東アジアの作品として唯一ランクインしている)、読みやすいのは『すべての、白いものたちの』である。

しかしこの作品は、単に読みやすい小説というわけではない。ここであえて言ってしまえば、この小説は20世紀のポストモダン文学を乗り越えた、21世紀の文学の出発点といえるような作品であるということである。少なくとも21世紀の最初の四半世紀を代表する文学であることは間違いない。

今回の記事では、そう考える理由を書いていきたい。

『すべての、白いものたちの』はどのような小説か

ハン・ガン(韓江)は1970年生まれの韓国の作家である。先述の通り『菜食主義者』で2016年に国際ブッカー賞を受け、2024年にはノーベル文学賞を受賞した。『すべての、白いものたちの』の原著は2016年に韓国で刊行され、日本語版は斎藤真理子の訳で2018年に河出書房新社から出ている(2023年に文庫化された)。

物語の語り手である「私」は、第二次世界大戦で破壊され、戦後に再建されたワルシャワとおぼしき街に滞在している。そこで「私」は、ある春に「白いもの」のリストを作りはじめる。

 白いものについて書こうと決めた。春。そのとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。

 おくるみ
 うぶぎ
 しお
 ゆき
 こおり
 つき
 こめ
 なみ
 はくもくれん
 しろいとり
 しろくわらう
 はくし
 しろいいぬ
 はくはつ
 寿衣

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出文庫)9~10ページ

これが『すべての、白いものたちの』の書き出しである。もちろん物語はリストばかり続くわけではないが、このリストのような詩のような散文の断章で小説は構成される。

私は韓国語はわからないので原文は読めていないが、この書き出しの部分で私が秀逸だと思うのは、「寿衣」だけが漢字で表記されていることである。この違和感が、物語の世界観に読者を一気に引き込む。「寿衣」というのは、日本語としても存在するがあまりなじみのない言葉だ。これは埋葬の際に着せる衣装、つまり死に装束のことを指す。

このリストが「おくるみ」から始まり、「寿衣」という言葉で終わるのは、とある一人の人物が物語の軸になるからである。

それは「私」の母が産んだ最初の子である。

 母が生んだ初めての赤ん坊は、生まれて二時間で死んだと聞いた。
 タルトック(月のように丸い餅)のように色白の女の子だったそうだ。八か月の早産で、体はとても小さかったが、目鼻がはっきりしていて美しかった。真っ黒な目を開けてこちらを見た瞬間が忘れられないと、母は言った。

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出文庫)21ページ

もし姉が生きていたなら、自分は生まれてこなかったかもしれない。本作は、会ったことのない姉に捧げられた祈りの書なのだ。

『すべての、白いものたちの』は21世紀を代表する小説である

では、ここからは本題に入る。『すべての、白いものたちの』は、どこが20世紀の小説とは違うのか。

『すべての、白いものたちの』は詩集なのか

本作は、「1 私」「2 彼女」「3 すべての、白いものたちの」という3章構成になっているが、物語のわかりやすい筋はない。

物語の全体は65の断章からなり、それぞれの章には基本的に、「霧」「白い街」「みぞれ」「白髪」といった白いものの名称がつけられている(白いとは言えないものの名前がつけられた章もある)。

各章は「霧」「白い街」「みぞれ」「白髪」などのテーマをもとに散文詩のように書かれ、そして本文には写真も差し挟まれる。

率直に言えば、この本を小説ではなく一種の詩集だと捉える人もいるだろう。しかし私としては、この本は限りなく詩集に近い小説ではあるが、詩集ではなく一篇の小説として読むときにこそ、その真価が見えてくるのではないかと思う

「私」から「彼女」への主人公の転換

本作は先述の通り「私」、「彼女」、そして「すべての、白いものたちの」から構成されている。最初の「私」の章では、語り手である「私」(ワルシャワに滞在中)が、白いものをめぐる思索を重ねていく。ここまではあくまで語りの主体は「私」である。

ところが、第二部「彼女」に入ると、ある変化がある。語りの主語が、「私」から、二時間ほどしか生きられなかった姉、すなわち「彼女」へと移っていくのだ(正確に言えば、この転換は第二部ではなく第一部の最後の2章「彼女」「ろうそく」で行われる)

 その子が生き延びて、その乳をのんだとしたら、と考える。

 懸命に息をして、唇を動かし、乳をのんだとしたら。

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出文庫)43ページ

こう想像した「私」は、自分の生を、「彼女」に捧げる。

 今、あなたに、私が 白いものをあげるから

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出文庫)48ページ

生きることのなかった姉が、ここではじめて、この世界の時間を生きはじめる。そして本来なら姉が見たかもしれない記憶の断片、たとえば「雪」「みぞれ」「白い犬」が、「彼女」の脳裏をよぎっていく。

この鮮やかな主人公の転換は決して独立した断章では実現するものではなく、それが私が本作を詩集ではなく小説だと思う理由である。

「自己貸与」という主題

ここまで『すべての、白いものたちの』のテーマについて偉そうに書いてきてしまったが、この主人公の交代については、文庫版に掲載されている平野啓一郎の解説に詳しく書かれている。解説のタイトルは「恢復と自己貸与」だが、「自己貸与」という言葉こそ本作のテーマであるという平野啓一郎の意見に私も同意する。

「私」は、自分の生と身体を姉に貸し与えることこそが、姉をよみがえらせるただ一つの方法だと見つける。「私」が今この生を生きているのは、姉が生きられなかったからである。だとすれば、「私」が自らの生を明け渡したときにだけ、姉は「彼女」としてこの世界を歩くことができる。第二部とは、その「自己貸与」が実際に文章の上で起こる場所なのだ。

解説を寄せた平野啓一郎は、人間を一つの「個人(インディヴィジュアル)」ではなく、相手ごとに違う顔を持つ複数の「分人(ディヴィジュアル)」の束としてとらえる“分人主義”の提唱者である(講談社現代新書『私とは何か 個人から分人へ』に詳しい)。一人の中に複数の自分がいて、しかもその自分は他者との関係の中で生まれる。この人間観は、ハン・ガンが『すべての、白いものたちの』で描いた“自己”とも共通するだろう。

20世紀のポストモダン文学は、しばしば確固とした「私」など存在しないということをテーマにした。ハン・ガンは私という主体を消し去るのではなく、他者へ貸し与えることのできるものとして作り直してみせる。ポストモダンにおける脱中心化は、「私」は言語の効果でアイロニカルな存在である、というものだったのに対し、ハン・ガンのそれは「私」を死んだ姉という具体的な他者へ、愛と喪失のために差し出すという倫理的・関係的なものだ。これは、20世紀に解体された主体を21世紀の側から組み立て直す試みだと、私は思う。

ポストモダンの「断片」との決定的な違い

ここで20世紀ポストモダンとの関連で、『すべての、白いものたちの』の詩のような構成について、もう一度戻って説明したい。

断章を組み合わせて一冊を編む手法そのものは、決して新しいものではない。むしろ20世紀のポストモダン文学が得意とした形式の一つだといえる。たとえばイタリアの作家で「文学の魔術師」と呼ばれたイタロ・カルヴィーノの代表作『見えない都市』は、無数の存在しない都市のエピソードを数学的に組み合わせて一冊の小説を構成した小説である(ちなみに『見えない都市』も先述のガーディアンのランキングに入っている)。『見えない都市』の断章構造は、虚構を虚構として楽しむ、一種の知的な遊戯を通じて存在とは何かを問うたものだった。

ところが、ハン・ガンの断章は、この方向とは少し異なっている。『すべての、白いものたちの』におけるそれぞれの断章は、言葉の遊戯というわけではなく、その集合が構造的な目的を達成しているというわけでもない。ハン・ガンの断章はひたすら、「彼女」への祈りへと向かっていく。

もちろん私は20世紀のポストモダン文学を批判しているわけではないが、20世紀のポストモダン文学が小説の可能性を探った遊戯を経由したものであったとしたら、ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』の持つ静謐な誠実さは、虚構を遊戯ではない何か、『すべての、白いものたちの』においては「彼女」への祈りに捧げているのだ。

おわりに

20世紀のポストモダン文学は、「大きな物語」(社会全体で共有される共通の目標や価値観)を疑い、確固たる「私」といった主体を解体する取り組みであった。だがハン・ガンはその解体の先に進み、解体された主体を、他者へ捧げることができる器とした。そしてハン・ガンの小説にはケア、喪失、トラウマ、共感といったテーマも含まれる。これが『すべての、白いものたちの』が21世紀の文学の出発点といえるような作品であると考える理由である。

ここまではあくまで私の意見だが、確実に言えるのは、私が『すべての、白いものたちの』を読んだときに、20世紀の文学とは明らかに違うと感じたことである。ハン・ガンはノーベル文学賞を受賞した作家であり、その世界的な評価の高さはいうまでもないが、改めて本書を読むとハン・ガンの文学的な革新性が体感できると思う。

『すべての、白いものたちの』は、一時間ほどで読み終えられる薄い本だが、読んだ後には感嘆のため息が出るはずである。まだ読んだことがないという方は、ぜひ一度読むことをおすすめしたい。

ハン・ガンの代表作『菜食主義者』、最新作『別れを告げない』もおすすめ。

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