
映画『Michael/マイケル』を見た。言うまでもなく、マイケル・ジャクソンの伝記映画である。この映画はアメリカでは2026年4月、日本では6月に公開され、『オッペンハイマー』を抜いて伝記映画として史上最高のヒット作となった。
私自身も、この映画は非常に楽しめた。この映画は何もフードを買わずに観たのだが、もしポップコーンを買っていたとしても、きっと食べる暇がなくてほとんど食べ残していただろう。それほど画面と音楽のクオリティは素晴らしく、飽きることのない映画だった。
しかし、私がポップコーンを食べ残しただろう、と思う理由はもう一つある。それは、この映画が意外と早く終わるからだ。映画が早く終わるというのは上映時間ではなく、作中の時間の話である。物語はマイケルの幼少期から始まるが、実質的なラストシーンは1984年のジャクソンズ(ジャクソン5)のラストライブであり、マイケルの20年以上の後半生は描かれないのだ。
この映画を紹介する上では、驚異的な興行収入の一方で批評家からの評価は高くない、ということにも触れる必要がある。批評家によるこの映画への批判の理由の一つは、この映画がマイケル・ジャクソンのたったの一部しか描いていないというところにある。つまり映画『Michael/マイケル』は、マイケルの前半生しか描かず、またマイケルの聖的な側面しか描いていない(性的な側面は描いていない)ということである。そしてそのことによって、マイケルら登場人物の人物像の深掘りがやや不足している。そういった批判は、不当ではないと思う。
だが、私がこの映画を振り返って考えたのは、そもそもこの映画の主題はマイケル・ジャクソン個人ではないのではないかということである。『マイケル』とは、「ジャクソン5」の映画であり、もっと言えばジャクソン5の象徴的なリユニオンなのである。今回は、映画『Michael/マイケル』についての個人的な感想も書きながら、そのような面から考察を書いていきたい。
映画『Michael/マイケル』作品・登場人物紹介
はじめに簡単に映画『マイケル』について、作品および、議論の前提となる登場人物について整理していきたい。
『Michael/マイケル』作品概要
『マイケル』は、「キング・オブ・ポップ」ことマイケル・ジャクソンの前半生を描いた伝記映画である。監督は『トレーニング デイ』や『イコライザー』を手掛けたアントワン・フークア、脚本は『グラディエーター』のジョン・ローガン、製作は『ボヘミアン・ラプソディ』のグレアム・キング。日本では2026年6月12日に公開された。
また本作のキャストで話題になったのは、成人期のマイケルを演じるのが実の甥、ジャファー・ジャクソンだということである。ジャファーは後述の兄ジャーメインの息子で、祖母のキャサリンも「彼は息子を体現している」とコメントを出している。
『Michael/マイケル』登場人物
物語は1960年代から1980年代までを描く。インディアナ州ゲイリーで父ジョセフ・ジャクソンの厳格な指導のもと、兄弟グループ「ジャクソン5」としてデビューする頃から始まる。
時には体罰も行い、息子たちへの支配欲を丸出しにする父・ジョセフと対照的に、兄弟に愛を持って接するのが母のキャサリンである。ジョセフの指導とキャサリンの愛のもと、長男のジャッキー、次男のティト、三男のジャーメイン、四男のマーロン、そして五男のマイケルは「ジャクソン5」を結成。そしてマイケルは非凡な才能を見せていく。
映画『Michael/マイケル』感想
考察に入る前に、私がこの映画を見て受けた感想を簡単に記しておきたい。
この映画を見て、まず思ったのは、マイケルの人生がいかに時代に翻弄されたかということである。私はマイケル・ジャクソンが死んだとき小学生で、マイケルとはわずか十年ほどではあるが、同時代を生きた人間であると言える。そもそもマイケルは私の祖父母より若く、祖父母よりは両親の世代に近い。
だからマイケル・ジャクソンという人物が活躍した時代は、決して私にとっても遠い過去のことではないのだが、この映画『Michael/マイケル』はどこか遠い世界の話に思えた。
それは父ジョセフの虐待ともいえるような厳格な指導などもそうである。もちろんジョセフなくしてマイケルは誕生しなかったのかもしれないが、現代ではたとえ親子といってもこのような指導は受け入れられないだろう。そして、MTVがマイケルの「ビリー・ジーン」まで黒人のミュージックビデオをほぼ流していなかったという事実には、これがたった40年ほど前の話であるのかと驚いた。1980年代のポップミュージックの狂騒にしても、この映画が公開された2020年代とはだいぶ異なっている。
映画『Michael/マイケル』考察
このような「映画がどこか遠い世界の話に思えた」という話は、現実離れしたポップアイコンとしてのマイケルを描き出すことに成功したという作品の魅力でもある一方で、この映画がマイケルの後半生を描かなかったというところに起因する論点でもある。では、本作がマイケルの前半生に絞ったことで、描き出そうとしたものは何だったのだろうか。
なぜこの映画は「半生」しか描かないのか
実はそもそもの事情として、報道によると、この映画がマイケルの前半生しか描かない第一の理由としては、法的な事情があるという。
『Variety(ヴァラエティ)』誌の報道によれば、当初の脚本にはマイケル・ジャクソンの1993年の性的虐待疑惑が描かれており、実際に撮影も行われていたという。1993年にマイケルの家である「ネバーランド邸」に警察の捜索が入ろうとする場面から始まり、そこから回想が始まる形が想定されていたという。ところが撮影終了後、マイケルの遺産管理団体の弁護士たちが、告発者との和解契約の中に、告発者をいかなる形でも映画で描写・言及してはいけないという条項が含まれていることを発見し、脚本を書き直し再撮影をしたという。
私はこの報道をきちんと読むまで勘違いしていたのだが、マイケルの遺産管理団体が性的虐待疑惑を描くことを拒絶したというわけではなく、あくまで和解相手との和解条項の中に、和解相手を描いてはいけないという条件があったためということのようだ。
この再撮影によって、『Michael/マイケル』という映画の構成がやや緩慢、平板になったという面は否めないだろう。
「聖人」としてのマイケル
おそらくこの再撮影の影響もあるのだろうが、この映画はマイケル・ジャクソンの「聖人伝」になっている。それが、本作に向けられる批判の最も大きな点である。
この作品に登場するマイケルは、純真無垢で、金銭や名誉には欲がなく、(父の束縛から逃れたいとは願うが)家族を愛し、喜劇映画を愛し、そして動物を愛す。もちろん映画にはチンパンジーのバブルスも登場する。そういった側面が描かれる。
実際のマイケルが、動物を愛し、無垢さを持ち、多額のチャリティを行った人物であることは紛れもない事実である。だが一方で、この映画で描かれるマイケル像に、身内からも批判が出ているのも事実である。マイケルの娘のパリス・ジャクソンは、映画の製作に距離を置いていたことを、こう明かしている。
「脚本の初期のドラフトを一度読んで、不誠実な点や納得できない点を指摘したけれど、無視された」
「多くの人は映画を気に入ると思うから、これまで何も言わずにいました。この映画の大部分は、今も夢見る父のファンダムの一部の人たちを満足させると思う」(『Vogue』より引用。元の投稿はパリス・ジャクソンのインスタのストーリー)
ちなみに、マイケルの家族としてマイケルの次に著名な人物は、間違いなくジャネット・ジャクソンだろうが、彼女も映画には関わっていない。ジャネットには出演の打診があったが、本人が丁重に辞退したという。
一方、映画『マイケル』は一部の身内からは批判されていたとしても、他方の身内はこの映画の製作に大きく関わっている。私が思うのは、この身内の分断にこそ、この映画の本質が表れている。
この映画は「ジャクソン5のリユニオン」である
私は、この物語の主題はマイケル・ジャクソン個人ではなく、ジャクソン5なのだと思う。そしてこの映画の製作と作品そのものが、2009年に永遠に不可能になったはずの「マイケルを含むジャクソン5のリユニオン」の代替物になっているのだ。
それはこの映画の企画が開始された当初に想定されたものではなかったかもしれないが、現実として、この映画は「ジャクソン5」の映画になっている。
この映画は、1984年のジャクソンズのVictoryツアーでクライマックスを迎える(ジャクソン5は移籍の際に「ジャクソンズ」という名前に変わる)。この映画はマイケル・ジャクソンの半生を描いたところで終了するが、この映画を「ジャクソン5」の物語として見た場合、このシーンがクライマックスとして描かれるのはごく自然である。
マイケルはそれ以前にソロデビューしており、『スリラー』で頂点を極めている。そんなマイケルが、兄弟たちと再び揃い、文字通りのリユニオンツアーを行った。映画には、このVictoryツアーのパフォーマンス再現が組み込まれている。作品は形式としてはマイケル初のソロツアー「Bad」中の1988年のロンドン公演で幕を閉じるが、兄弟の奇跡の再結成の瞬間が実質的なラストシーンである。
このジャクソンズのラストツアーには、父からの独立というマイケル個人の物語もある。つまりこれは家族から「離れていく」話ではないかという意見もあるだろう。現にラストシーンはソロ公演であり、事実スクリーンの中の物語は、マイケルが家族から独立していく物語だ。
しかし、やはりこの映画はジャクソン5の映画であると私は思う。それは重ねて言うように、この映画の製作過程を見れば明らかなように思う。
ジャーメインとジャファー
改めてジャクソン5のメンバーを振り返ろう。ジャクソン5は長男のジャッキー、次男のティト、三男のジャーメイン、四男のマーロン、そして五男のマイケルから構成され、映画でもこの5人が登場する。なお史実では、六男のランディ・ジャクソンも加入するのだが、ランディの存在はこの映画では描かれていない。
あくまで、この映画に登場するのはジャクソン5のオリジナルメンバーの5人である。
そして興味深いと思うのは、作中および史実でのジャーメインの物語である。作中にも描かれているが、ジャーメインは「ジャクソン5」から一時離脱している。1976年、ジャクソン5がモータウンを離れてエピック・レコードに移籍したとき、ジャーメインはただ一人モータウンに残った。(ジャーメインは、映画にも登場するモータウン創設者のベリー・ゴーディの娘と結婚しており、義父のレーベルを離れることができなかった)
だが史実ではさらに、この映画のクライマックスである1984年のVictoryツアーが、史実においてはジャーメインが兄弟のもとに帰還したツアーだった。そして、この映画『マイケル』の主演のジャファー・ジャクソンこそ、ジャーメインの息子である。モータウンに残ったジャーメインが、約8年ぶりに兄弟と同じステージに立った。つまりこの映画は、そのクライマックスに「ジャーメインの帰還」の瞬間を置いているのだ。これも作中では示唆にとどまるが、描かれている要素である。そこにも不思議な意味合いがあるように思う。
この構図を整理すると、こうなる。かつて一族から最初に離脱した男の息子が、40年後、一族の象徴であるマイケルを演じる。そしてこの映画は映画製作中に亡くなったティトに捧げられ、ジャッキー、ジャーメイン、マーロン、そして妹のラトーヤが製作に関与する。そして存命の母キャサリンも映画を承認する。そしてこの映画そのものも、マイケルの遺産管理団体が共同出資者である。70歳前後を迎え、人生の終わりを意識しつつある兄弟と、90歳を超える母が、最後に亡き五男・マイケルと自身たちの物語を作るために再結集する。だから、この映画は「ジャクソン5のリユニオン」ではないかと思うのである。
そしてこの枠組みで見たとき、先述のジャネットの不在も説明できる。ジャネットはジャクソン5のメンバーではなく、「ジャクソン5のリユニオン」に、彼女の席は最初から用意されていない。だからジャネットは、自分の存在は逆にノイズになるかもしれないと思ってこの映画への出演を断ったのかもしれない。加えて、ジャネットはジャクソン家で唯一、マイケルの威光に頼らず自力でスーパースターの地位を築いた人物であり、「ジャクソン一族の公式物語」に加わる必要がそもそもないのかもしれない。そしてマイケルの娘パリスはこの映画に批判的だったとしても、彼女は娘とはいえジャクソン5のメンバーではなく、ある意味この映画では部外者なのだ。
おわりに
ここまで長々と書いてきたが、私が言いたいのは、この映画はマイケル・ジャクソンの伝記としてではなく、ジャクソン5の物語として異様な完成度を持っているということである。もちろん、それは台本上は軌道修正の結果そうなったものなのかもしれないが、しかし現にこの映画が「ジャクソン5」のリユニオンとして機能していることは否定のしようのない事実である。だからこそ、「ジャクソン5」の誕生とフィナーレを描いたこの映画に、観客はカタルシスを感じるのだ。
そして、この映画のタイトルは『マイケル』だが、私はここにも意味があるのではないかと思う。つまり映画のタイトルの「マイケル」とは、家族の中での「マイケル」なのだ。だからこの映画のタイトルは「マイケル・ジャクソン」ではないし、もちろん「ポップの帝王」でもない。五兄弟の中の「マイケル」、これがこの映画の主人公なのだ。
この記事は映画『マイケル』に批判的な論調に読めるかもしれないが、必ずしも私はこの映画を批判したいわけではない。ジェファーのダンスや映像美は圧巻で、映像的な欠点はバブルスにだけCGっぽさが否めないところ以外は全くないのではないかと思う。そして音楽はもちろん最高である。
ところでこのブログでは洋楽についてもしばしば書いているが、私はもともとマイケル・ジャクソンの熱烈なファンというわけではない。どちらかというと私はUKのロックが好きで、1996年のブリットアワードでマイケル・ジャクソンのパフォーマンスに乱入し台無しにしたジャーヴィス・コッカーというミュージシャンが好きでわざわざ見に行ったりしたことがある。そんな私であっても、映画『マイケル』を見たらジャーヴィスに腹が立ってくるほどである。確かにこの映画はマイケルを「聖者」として描きすぎているのかもしれないが、それは伝記上の欠点であったとしても、物語上の欠点とは限らないと思う。
この映画には、続編が企画されているという。映画『マイケル』はジャクソンの5の物語だったが、続編こそ真にマイケルの物語になるのではないかと思う。続編にも期待したい。

