
英語圏でもっとも美しい散文を書いた小説家は誰か。そう問われたとき、いまも必ずといっていいほど名前の挙がる一人が、イーヴリン・ウォー(Evelyn Waugh, 1903~1966)である。ついでに言えば、英語圏でもっとも偏屈な小説家は誰かと問われても、やはりウォーの名前が挙がるだろう。
本国イギリス、そしてアメリカでは、ウォーは今も20世紀を代表する小説家として扱われている。アメリカのモダン・ライブラリーが1998年に選んだ「20世紀英語小説ベスト100」には、『一握の塵』『スクープ』『回想のブライズヘッド』の三作が同時に入った。『タイム』誌のオールタイム・ベスト100小説にも『一握の塵』が選ばれている。没後60年を迎える今年もなお、その作品は版を重ね、また映像化の話が繰り返し取り沙汰されている。
一方、日本でイーヴリン・ウォーの名を知る読者は、あまり多くないだろう。しかし、ウォーの作品は日本でももっと読まれてほしいと個人的には思っている。本サイトは、おそらく日本語のサイトとしてはかなりウォーの作品を紹介してきたサイトになったと思うので、ここでこの作家の評伝を書いてみたい。日本の作家でたとえるなら、吉田健一が惚れ込み、三島由紀夫を思わせる滅びの美学を抱き、内田百閒のように偏屈な作家がウォーである。今回は、そんなウォーの生涯を邦訳されているほぼすべての作品とともに辿りながら、ウォーの特徴、そして「読む順番」まで完全ガイドとして解説したい。

イーヴリン・ウォーの生涯と作品
ウォーの62年の生涯とはどのようなものであったのか。作品とともに紹介する。
出版社の息子として生まれる
イーヴリン・ウォーことアーサー・イーヴリン・セント・ジョン・ウォー(Arthur Evelyn St. John Waugh)は1903年、ロンドン郊外ハムステッドに生まれた。父アーサー・ウォーは、チャールズ・ディケンズを世に送った名門出版社チャップマン・アンド・ホールの社長で、文芸批評家。兄アレックも1957年の映画『日のあたる島』の原作者として知られる小説家という、文人一家である。
一方、この小説家の兄は、ウォーの進学にとある影響を与えることになる。父はイーヴリンを兄と同じ名門シャーボーン校に入れるつもりだったが、兄アレックが在学中の同性愛的な体験を小説として出版し騒動になったため、弟イーヴリンの入学の道は閉ざされた。そうして彼は、ランシング校で少年時代を送ることになる。
ランシングからオックスフォードのハートフォード・カレッジへ進むが、ここでのイーヴリンは放蕩三昧だった。貴族の子弟たちと交わり、酒に浸り、成績は最低ランクで、学位も取らずに大学を去った。一方でオックスフォードでの華やかな交友は、後述の『回想のブライズヘッド』前半の学生生活の描写につながっている。

教師失格と『大転落』
オックスフォードを退学したウォーは美術学校に通うが、長続きせず、寄宿学校を転々とする教師となる。しかし、どこでもうまくいかず、酒に溺れた。1925年には海に入って自殺を図ってもいる。沖へ向かってひたすら泳ぎ続けたものの、クラゲに刺されて我に返り、引き返したという。ウォーの小説らしいエピソードである。
一方、この惨めな生活が最初の長編『大転落』(Decline and Fall, 1928)につながった。無実の罪でオックスフォードを放校された青年ポール・ペニフェザーが、うらぶれた寄宿学校で教師になる、という筋立てのブラックユーモア小説である。
ちなみにこの小説はチャップマン・アンド・ホール社から刊行されたが、そこには何だか奇妙な経緯があった。
わたしに最初の本を依頼してきた出版社に原稿を渡したのだが、内容がデリカシーを欠くという何だか奇妙な(今でもそう思っている)理由で断られてしまった。それで、チャプマン・アンド・ホール社に持ち込むことになった。社長をしていた父は外国に出ていて、出す出さないで頭を抱えることもなく、同僚の故ラーフ・ストロース氏の決裁ということになった。
イーヴリン・ウォー「裏話」(『大転落』(富山太佳夫訳、岩波文庫)319ページ)
作中ではウォーが実際に見てきたような、いい加減な教師や怪しげな学校経営が描かれる。学校への意趣返しともいえるような「デリカシーを欠く」風刺を繰り広げた本作は評判を呼び、ウォーは一躍文壇の寵児となる。本書は現在、岩波文庫から出ているものを入手可能である。
結婚・離婚とカトリックへの改宗
1928年、ウォーと同じ名を持つイーヴリン・ガードナーと結婚する。友人たちは二人を「彼(He)イーヴリン」「彼女(She)イーヴリン」と呼んでからかったというが、その蜜月は長く続かなかった。妻はわずか一年ほどで別の男のもとへ走り、1930年に離婚が成立する。
その渦中で書き上げた第二作『卑しい肉体』(Vile Bodies, 1930)で、デビュー作以上の商業的大成功を収める。「陽気な若者たち(ブライト・ヤング・シングス)」と呼ばれた上流階級の若者たちの、パーティに明け暮れる退廃を描いた群像劇である。こちらはKADOKAWA(元は新人物往来社)から出ていたものが、電子であれば今でも容易に入手できる。
そしてウォーは離婚した1930年の9月、カトリックに改宗する。本人は離婚と改宗の因果を否定したが、周囲は、妻の裏切りが彼を信仰へ向かわせたと見た。
だが改宗後も、作風はすぐには変わらない。エチオピア皇帝ハイレ・セラシエの戴冠式を取材した経験からは、アフリカの架空の帝国を舞台にした『黒いいたずら』(Black Mischief, 1932)が生まれた。この作品は日本では1984年に吉田健一訳で出版されたが、2023年に40年ぶりに第二刷で増刷されるという非常に珍しい事態が起き、界隈では大きな話題になった。ただ心配なのは、SNSでバズったのを見て『黒いいたずら』をウォーの初めての作品として手に取った読者がかなりいるのではないかということである。この作品は、ウォーの作品として最初におすすめするような作品とは言いにくいかもしれない。
妻の浮気と離婚という傷は、むしろ2年後の『一握の塵』(A Handful of Dust, 1934)に色濃く落ちている。先祖伝来の館を愛する夫トニーが、妻の浮気によってすべてを失うという作品で、現在では本作をウォーの最高傑作に挙げる批評家も多い。英語圏ではウォーの代表作として確固たる評価を得ている作品でありながら、日本ではウォーの作品中最も長い期間絶版になっている本である(もっとも、ウォーの作品は現在『回想のブライズヘッド』でさえも品切れなのだが)。しかし、2026年に白水社から小山太一訳で刊行が予定されているというので、それを期待したい。
1935年には、イタリア軍侵攻前夜のエチオピアへ、こんどは戦争特派員として舞い戻る。そこで目の当たりにした報道合戦の茶番は、新聞界を風刺する『スクープ』(Scoop, 1938)に結実した。田舎の自然コラム担当の記者が、人違いから戦地特派員に仕立てられるドタバタ劇で、当時のマスコミを痛烈に風刺している。一般には、この『一握の塵』と『スクープ』の2作は、風刺作家としてのウォーの全盛期とみなされていると言ってよい。
この頃、私生活にも変化があった。第一の結婚が1936年にようやく教会から無効と認められ、翌1937年、カトリックの良家の娘ローラ・ハーバートと再婚。田舎の館に居を構え、6人の子に恵まれることになる。
第二次世界大戦と『ブライズヘッド再訪』
第二次大戦が始まると、30代半ばのウォーは、年齢を理由に何度も断られながら従軍にこぎつけた。海兵隊からコマンド部隊へ移り、クレタ島の撤退戦も経験しているが、ウォーはその偏屈なゆえか部下からも上官からも嫌われていたと言われている。
ちなみに最初の結婚の逸話の通り「イーヴリン」は男女どちらにも使われる名前だが、再び同じようなエピソードがある。ウォーの入営が報じられたとき、名前から女性と早合点した部隊の将兵たちが、こぞって髭を剃り、花束を抱えて兵舎の門までウォーを出迎えに走り出たのだという。見るからに偏屈なオヤジが姿を現した時の将兵たちの失望はいかばかりだっただろうか。
しかしウォーは1943年、パラシュート降下訓練中に着地を失敗し、骨折してしまう。この負傷をきっかけに得た療養中に書き上げられたのが、ウォーの作品として最も名高い『回想のブライズヘッド』(Brideshead Revisited, 1945)である。カトリックの旧家フライト家の栄華と崩壊を、フライト家のセバスチアンやその妹ジュ―リアと深い関係を築いてきた主人公チャールズ・ライダーが回想する。本ブログでも書いた通り滅びゆく貴族を描いた作品としても名作であり、貴族的伝統を持たないアメリカで爆発的に売れた。
一方、本作では風刺とブラックユーモアは鳴りを潜め、遥かに多くのファンを獲得した一方で、従来のファンの離反も引き起こすことになる。本作の改版を出版する際に、ウォーが以下のように書き残しているのは、そのためである。
この小説は、かつてわたしが同時代の人々から受けていた尊敬を奪い、それまではなじみのなかったファンレターや新聞雑誌のカメラマンなどの世界に、わたしをつれこむことになった作品である。
イーヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド』(小野寺健訳、岩波文庫)9ページ
ちなみに『回想のブライズヘッド』には執筆の後日談がある。刊行前のゲラが届いたとき、ウォーはユーゴスラビアの戦地に戻っていたため、ゲラ(校正刷り)はパラシュートで前線の彼のもとへ投下されたという。パラシュート事故で生まれた作品がパラシュートで校正されるという、まるで小説のような話である。
ハリウッド訪問と『愛されたもの(ご遺体)』
『ブライズヘッド再訪』がアメリカで成功したことにより、戦後の1947年、アメリカの映画会社MGMが映画化を持ちかけようと夫婦をハリウッドへ招く。巨額の映画化権料がちらつく大型契約だったが、交渉は決裂した。スタジオ側は本作を単なる恋愛物語と見なし、ウォーが重視していた宗教的な主題を理解しなかったというのが大きな理由である。なお、『回想のブライズヘッド』の宗教的主題については、本ブログでは以下の記事で解説している。
しかし、このハリウッド行きの経験は別の小説に結実する。滞在中のウォーはロサンゼルスの“資本主義的”な巨大霊園からインスピレーションを受ける。そこから生まれたのが、死化粧やペット葬儀まで完備したアメリカの葬儀産業を毒々しく諷刺した『愛されたもの(ご遺体)』(The Loved One, 1948)である。映画化の話は流れたが、代わりに一篇の名作が生まれた。本作は『愛されたもの』として岩波文庫から、『ご遺体』として光文社古典新訳文庫から刊行されている。The Loved Oneとは直訳すれば「愛されたもの」だが、実際には葬儀の場では遺体を指す。このことから、本書のタイトルをどうやって日本語に訳すのかは意見が割れるようだ。
また1950年には、唯一の歴史小説『ヘレナ』(Helena, 1950)を出版した。本書はローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世の母で、キリスト教会の聖人である聖ヘレナを題材にした小説である。ほかの作品と比べると人気作とは言えないのが現状だが、ウォーのカトリック信仰が結実した作品で、ウォーにとっては最大の自信作だったようだ。この作品は日本でも邦訳されており、現在も単行本が入手可能である。
戦争三部作、幻聴、そして死
1950年代のウォーは、畢生の大仕事に取り組んだ。それが、自身の従軍経験を注ぎ込んだ三部作『誉れの剣』(Sword of Honour)である(『つわものども』『士官たちと紳士たち』『無条件降伏』、1952-61)。
三部作第一作の「誉れの剣」は、35歳と従軍するには若いとは言えない主人公ガイ・クラウチバックが、軍に志願するところから始まる。ガイの従軍の動機は、〈現代〉と対決することであった。
ドイツがプラハに進駐したとき、もはや戦争は避けがたいとガイは確信した。だが今や、まるで強烈な光に照らされたかのようにすべてが鮮明になった。巨大な憎むべき敵が、偽装を丸ごとかなぐり捨てて正面から姿を現したのである。それは武装した〈現代〉であった。
イーヴリン・ウォー『つわものども』(小山太一訳、白水社)12ページ
そしてガイは伝手をたどって、伝統ある連隊に見習士官として入隊する。見習士官の訓練の日々では、携帯便所をめぐって長々と争いが繰り広げられたり、ウォーの初期作品のようなブラックユーモアに満ちている。しかし、物語には急に死の影が差し、ガイは戦争の茶番と幻滅を体感しつくすことになる。
〈現代〉を憎み軍隊に身を投じるガイ・クラウチバックはまさにウォー自身が投影されたような人物であり、また物語の時系列的には従軍シーンで終わる『回想のブライズヘッド』の続編ともいえる、集大成的な作品である。ウォーの最後の作品として恥じない大作であり、第二次大戦を描いた英文学の最高峰と評されることもある。日本では長らく未邦訳作品だったが、2020年から小山太一訳で白水社から刊行された。
この三部作の傍らに、ウォーは『ピンフォールドの試練』(The Ordeal of Gilbert Pinfold, 1957)という中編を書いた。1950年代はじめ、ウォーは睡眠薬とアルコールの過剰摂取から、自分を罵倒する幻聴に襲われるという精神的危機を経験した。本作は、その体験をほぼそのまま、中年の偏屈な小説家ギルバート・ピンフォールドの船旅の物語に仕立てたものである。本作はこのサイトでも過去に紹介したことがあるが、ウォー自身を風刺の対象にしているところが、ウォー作品としても唯一無二である。
なお、ウォーは生涯を通じて短編の名手でもあった。キャリアの折々に書かれた短編には、長編に流れ込んだ原型(代表作『一握の塵』の結末部は、もともと独立した短編「ディケンズ好きの男」だった)も含まれており、ブラックユーモアを楽しめる。また「〈ザ・クレムリン〉の支配人」などの短編では失われた過去への愛着や憧憬を味わうことができる。かなりおすすめの短編集なのだが、残念なことにこの短編集は現在品切れになっている。もちろん中古なら購入できる。
そしてウォーは1966年の復活祭の日、サマセットの自宅でのミサののち、彼は静かに息を引き取った。62歳だった。
イーヴリン・ウォーの文学史的立ち位置
ここまでウォーの生涯について見てきたが、ここで、英語圏の文学史においてウォーがどのような位置を占めているのかも整理しておきたい。
ウォーは20世紀英語散文における最高の名文家の一人と見なされているというのは先述の通りで、この評価は揺るがない。
一方で、作家としてのウォーには大きく二つの顔がある。風刺作家としての顔と、カトリック作家としての顔である。
風刺作家としては、たとえばアメリカの有名な批評家エドマンド・ウィルソンが初期のウォーを「バーナード・ショー以来、英語に現れた唯一の第一級の喜劇的天才」とまで持ち上げている。ただし『回想のブライズヘッド』が出ると、ウィルソンはその宗教色と貴族崇拝に激しく失望し、以後は批判者に回ってしまう。一方、今でもウォーは風刺作家として極めて高く評価されている。2009年1月23日に英国ガーディアン紙が「必読小説1000冊決定版リスト」というものを作成したが、その「Comedy」部門には、『大転落』 『卑しい肉体』 『黒いいたずら』 『スクープ』 『愛されたもの』 『一握の塵』 の6冊がランクインしており、コメディ部門ではトップタイである(ちなみに別部門でも『誉れの剣』などがランクインしている)。
カトリック作家としてのウォーは、グレアム・グリーンと双璧をなす存在と位置づけられている。二人はほぼ同世代で、どちらも生まれながらではなく自らカトリックになった改宗者であり、互いの作品を高く評価し合う友人でもあった。ウォーを「わが世代で最高の小説家」と呼んだのは、ほかならぬグリーンである。もっとも、『第三の男』など今でも名作映画の原作として知られるエンタメ文学を残した(さらに純文学的な作品も残した)グリーンと、ウォーの作風は対照的である。
ウォーの文学史的な立ち位置を説明するとしたら、「風刺作家」「カトリック作家」どちらの顔でも、20世紀を代表する小説家であると言える。
イーヴリン・ウォーを評価する
ここからは、イーヴリン・ウォーという作家がどのような作家なのか、日本の作家と比較をしながら個人的に評価をしていきたい。
吉田健一が惚れ込んだ作家
ウォーと最もかかわりが深い日本の作家としては、第一に吉田健一が挙げられる。元総理大臣・吉田茂の長男で、ケンブリッジのキングズ・カレッジに学んだ(ただし半年あまりで中退して帰国している)、戦後の英文学界を牽引した批評家・随筆家である。
吉田はウォーをくり返し訳している。代表作『回想のブライズヘッド』を吉田は『ブライヅヘッドふたたび』と訳し(筑摩書房、のちちくま文庫、ブッキングでの復刊あり)、ほかに現在も入手できるものだと『黒いいたずら』『ピンフォールドの試練』も訳している。
吉田がウォーに惚れ込んだのは、かたや出版社社長、かたや外交官の父のもとに生まれ、父とは微妙な距離感があったという出自も背景の一つかもしれない。また、ウォーの美しい文章と怜悧な批評の目、そして後述の古き良きイギリスを愛する価値観は、英国文化を愛した吉田にとってまさに理想ともいえるものだったのだろう。吉田訳の『ブライヅヘッドふたたび』は、貴族社会の黄昏を描いた原作の気品にマッチしており、いまも名文と名高い(なお本記事では本作を原則『回想のブライズヘッド』と呼んでいるが、これは岩波文庫の小野寺健訳に基づく)。
三島由紀夫的な保守思想
そしてウォーを読むとき、私がいつも連想するのは三島由紀夫である。もちろん二人に直接の交流はなかったはずだが、二人には、滅びゆくものへの病的ともいえるほどに強い愛着という共通項がある。
『ブライズヘッド再訪』は、まさに滅びゆく世界への葬送曲である。カトリックの旧家フライト家の壮麗な館と、その崩壊。語り手のチャールズは、フライト家でを愛すると同時に、彼らが体現する古き良き英国も愛していた。だが、ウォーの保守的な美意識は、偏屈ともいえる域に達していた。ウォーは、プラスチックも、ピカソも、ジャズも憎んだ。つまり、自分が生きているあいだに新しく現れたものすべてが気に入らなかったのである。
三島もまた、戦後日本が失っていく古典的な美と秩序に忠誠を捧げ、俗化していく時代を嫌悪した人物だった。二人は、保守を一個の美学として生きた点で、共通していると言えると思う。
もっとも、ウォーはカトリック信仰を寄る辺にしており、軍国主義的価値観に身を投じた三島とは異なる。ウォーは田舎の館で死に、三島は劇的な死そのものを作品にした。しかし、この対称性を踏まえても、この2人の作家の滅びゆく自国の文化への愛着には、かなり通底する価値観があるように思われる。
内田百閒的な偏屈
そしてウォーのもう一つの顔は、途方もない偏屈である。この偏屈ぶりは、どこか内田百閒を思わせる。
晩年のウォーには、有名な逸話がいくつもある。自身の邸宅には「用のある方お断り」の立て札を立て、そしてあるとき友人に「あなたはキリスト教の宣伝にはまるでならない」と言われると、ウォーは「カトリックでなかったら、自分がどれほど不愉快な人間になっていたか、君には想像もつくまい」と返した。
これは内田百閒の流儀によく似ている。芸術院会員への推挙を「イヤだから、イヤだ」の一言で断り、用もないのに汽車に乗ってはただ帰ってくる。偏屈を一個の様式にまで磨き上げ、それを芸として差し出す。ウォーの不機嫌もまた、半ば計算された演技だった。隣人だった作家フランシス・ドナルドソンは、「不愉快な酔っぱらいの俗物」という世間のウォー像は、ウォー自身が念入りに磨き上げたものだ、と評している。
とはいえ、ウォーの偏屈を「愛すべき芸」とだけ呼ぶのは、おそらく誠実ではない。ウォーの死後に日記と書簡が公刊されると、そこには反ユダヤ主義や人種差別が露わになっていた(ちなみに『大転落』などの作品にも人種差別的な描写は見られる)。また、ウォーの貴族文化への愛着は、裏を返せば格差や身分の固定を望むものでもあり、現代的な価値観からは受け入れられない部分も多い。断言できるが、ウォーが21世紀を生きていたら、不適切な人物であることは間違いない。しかし、その不適切さを差し引いても、ウォーは読むに値する作家だと思う。
イーヴリン・ウォーをどう読むべきか
ここまでイーヴリン・ウォーという作家の評伝を書いてきたが、最後に「ウォーをどう読むか」を整理してみたい。すでに説明してきたことだがイーヴリン・ウォーという作家には「名文家」という全体に横たわる特徴の他に、「ブラックユーモア」「風刺」「保守」「カトリック」という4つの柱がある。
名文家としてのウォー
ここまでウォーが名文家であるという説明は何度もしてきたが、では、実際にウォーはどのような文章を書くのか。実のところ翻訳で名文家であるというのを実感するのは難しいこともある。しかしウォーについては、邦訳でも読めば作者が美しい文章を書くことは分かると思う。
ここで『回想のブライズヘッド』の中で、個人的に最も印象に残った一節を引用したい(第3章第1節の冒頭)。
My theme is memory, that winged host that soared about me one grey morning of war-time.
These memories, which are my life – for we possess nothing certainly except the past – were always with me. Like the pigeons of St Mark’s, they were everywhere, under my feet, singly, in pairs, in little honey-voiced congregations, nodding, strutting, winking, rolling the tender feathers of their necks, perching sometimes, if I stood still, on my shoulder; until, suddenly, the noon gun boomed and in a moment, with a flutter and sweep of wings, the pavement was bare and the whole sky above dark with a tumult of fowl. Thus it was that morning of war-time.
この文章はあえて、拙訳を以下に紹介したい。日本語にすると以下のような感じだろうか。
私の主題は思い出なのだ。それは戦時中のある灰色の朝、私の周りを舞い上がった翼を持つ群れである。
これらの記憶、それは私の人生そのものである――過去こそが私たちが確実に所有している唯一のものだから――は、常に私と共にあった。サン・マルコ広場の鳩たちのように、それらは至る所にいた。私の足元にも、一羽で、二羽で、あるいは甘い声の小さな群れとなって、うなずいたり、威張ったり、ウインクしたり、首の柔らかな羽を揺らしたりしていた。私がじっと立っていると、時には私の肩に止まることもあった。だが突然、正午の砲声が轟き、瞬く間に羽ばたきと翼のさざめきと共に、舗道は空になり、頭上の空全体が鳥の群れの騒ぎで暗くなった。戦時中のあの朝は、まさにそんな様子だったのだ。
この一節は「私の主題は思い出なのだ」という、作品を貫く宣言も印象的なのだが、それに続く文章も特徴的だ。
この宣言に続く「winged host」という言葉は、実は一般的な言葉ではなくウォーの独特の表現で、記憶を「羽を持った軍勢」に例えている(host=聖書などではしばしば「軍勢」の意)。そしてウォーは「思い出」をサン・マルコ広場の鳩に喩える。これらの鳩(=思い出)は足元を歩き、群れをなし、羽を揺らし、肩に止まり、まるで本物の鳩の観察記のように描かれる。また原文では、この部分は文章のリズムも特徴的である。だがそんな私の周りをうろついていた鳩の群れは、号砲が鳴ると一斉に飛び立ち、私の目の前を覆いつくす。
ウォーは読者に失われた青春への郷愁を感じさせるために、鳩の群れを静かに描写する。この比喩は一見すると突飛に思えるが、決して破綻していない。
そしてこの場面で、いままで主人公チャールズ・ライダーの周りをうろついていた「思い出」が、とあることをきっかけに一気に自分を覆う影になる。これまでも自分のそばにあった思い出が突然、背景から前景へと飛び出し、現在そのものを支配し始めるようになることを描いているのだ。この独特だが美しい比喩の運び方こそ、イーヴリン・ウォーの真骨頂である。
こうした文章を味わうには、やはり『回想のブライズヘッド』が一番おすすめである。ただし、実はウォーは後年、『回想のブライズヘッド』は文体が華美になったことの後悔も書き残しているのだが、読者から見てこの作品の文章が劣っているというわけでは全くない。
保守とカトリック
ここまで、ウォーの文章を説明するために『回想のブライズヘッド』の有名なシーンを引用してきた。この部分の「私の主題は思い出なのだ」という宣言でも伝わると思うが、『回想のブライズヘッド』は失われていくものへの愛着をテーマの一つとした小説であり、ウォーの「保守」としての思想がよく出ている。そしてウォーのこの作品におけるカトリック思想については、別の記事を参照してほしいが、思うにウォーの保守思想とカトリック信仰には通底する所がある。つまりウォーにとってカトリック信仰とは、滅びゆくものの中で伝統を守ろうとする意志であり、社会から崩れ落ちそうになる自身を繋ぎとめる一本の糸だったのではないかということである。
ウォーのカトリックへの思いは、先述の『ヘレナ』によく表れており、ウォーの信仰という部分に興味のある方は読んでみてほしい。
ブラックユーモアと風刺
一方、重ねて言うようにウォーのもう一つの魅力は風刺とブラックユーモアである。ウォーは入水自殺がクラゲに刺されて中断される、という自身の人生からしてそうだったが、不幸を笑いへと変えていく。『大転落』の主人公は理不尽な転落を淡々と受け入れ、『愛されたもの(ご遺体)』では死そのものが商売として陳列される、というブラックユーモアはまさに不幸から笑いへの転換である。『大転落』よりは『愛されたもの』のほうが、やや初めてウォーを読む人には向いているかもしれない。
そしてブラックユーモアと重なる部分はあるが、風刺という特徴もウォーにはある。ウォーの風刺の標的は、学校(『大転落』)であったり、社交界(『卑しい肉体』)であったり、新聞とメディア(『スクープ』)、ハリウッドと葬儀産業(『愛されたもの(ご遺体)』)、戦争と軍隊(『誉れの剣』)、そして自分自身(『ピンフォールドの試練』)であった。その意味で『ピンフォールドの試練』はウォーの集大成的な作品であるが、それゆえに、ウォーの事にある程度詳しくなってから読む方が楽しめると思う。風刺の路線であれば『スクープ』が一番おすすめである。
おわりに
ここまで見てきた通り、イーヴリン・ウォーは生涯を貫く現代批判論者だった。『つわものども』のガイ・クラウチバックが敵と見定めたのは、ナチスよりもむしろ「武装した〈現代〉」であり、それはプラスチックもジャズも憎んだウォー自身の敵でもあった。
そして、この批判は今も効いている。フェイクニュースが事実を追い越していく『スクープ』の世界はSNS時代の戯画として読めるし、死までもが商品として陳列される『愛されたもの』の霊園は、あらゆるものが売り物になる社会の先取りである。当然のことであるが、ウォーが嫌った〈現代〉は昔の話になるどころか、むしろ今を生きる我々の世界である。つまりウォーの作品は、私たちの生きる世界が〈現代〉である限り、古びることはないのだ。
ウォー自身の価値観に、現代の目から度し難いところはあるというのは述べたとおりである。それでも、いやそれゆえに、ウォーは今こそ読む価値のある作家だと思う。日本でもイーヴリン・ウォーの知名度が上がり、多くの品切れになっている書籍が再刊されることを望む。
イーヴリン・ウォー年表
最後に、本記事ので記した内容を年表にまとめた。
※各項目をタップすると補足が開きます
-
1903誕生生涯ロンドン郊外ハムステッドに生まれる
父アーサーはディケンズを世に送った出版社チャップマン・アンド・ホールの社長。兄アレックも小説家という文人一家だった。
-
191714歳生涯ランシング校に入学
兄のスキャンダルで名門シャーボーン校への道が閉ざされランシング校へ。
-
192218歳生涯オックスフォード大学ハートフォード・カレッジに入学
勉強そっちのけの放蕩三昧の日々。この学生生活は『回想のブライズヘッド』前半につながる。学位を取らずに大学を去る。
-
192521歳生涯ウェールズの寄宿学校で教師に。入水自殺未遂
沖へ泳ぎ続けたものの、クラゲに刺されて引き返した。この惨めな教師時代が『大転落』の素材になる。
-
192824歳作品『大転落』刊行。イーヴリン・ガードナーと結婚
デビュー作がたちまち評判を呼び、文壇の寵児に。同年、DGロセッティの評伝も出版している。
-
193026歳作品『卑しい肉体』刊行。離婚、9月にカトリック改宗
商業的大成功と結婚の破綻が同時に訪れた激動の年。周囲はこの痛手が彼を信仰へ向かわせたと見た。
-
193228歳作品『黒いいたずら』刊行
エチオピア皇帝の戴冠式取材から生まれた、架空のアフリカ帝国の物語。
-
193430歳作品『一握の塵』刊行
裏切られた結婚の傷が色濃く落ちた作品。最高傑作に挙げる批評家も多い。
-
193531歳生涯戦争特派員としてエチオピアへ
イタリア軍侵攻前夜の報道合戦の茶番を目の当たりにする。この経験が『スクープ』に結実。
-
193733歳生涯ローラ・ハーバートと再婚
前年に第一の結婚が教会から無効と認められた。田舎の館に居を構え、6人の子に恵まれる。
-
193834歳作品『スクープ』刊行
新聞界を笑い飛ばす風刺劇。モダン・ライブラリー「20世紀英語小説ベスト100」選出作。
-
193936歳生涯第二次世界大戦に従軍
年齢を理由に何度も断られながら海兵隊に入り、のちコマンド部隊へ。クレタ島の撤退戦も経験した。
-
194340歳生涯パラシュート降下訓練で負傷
着地に失敗して骨折。この療養が『回想のブライズヘッド』執筆の時間を生んだ。
-
194541歳作品『回想のブライズヘッド』刊行
最も名高い代表作。貴族的伝統を持たないアメリカで爆発的に売れた。
-
194743歳生涯MGMの招きでハリウッドへ
映画化交渉は決裂。だが滞在中に見た巨大霊園に「文学の金鉱」を見出す。
-
194844歳作品『愛されたもの(ご遺体)』刊行
ハリウッド滞在から生まれた、アメリカ葬儀産業への毒々しい諷刺。
-
195046歳作品『ヘレナ』刊行
唯一の歴史小説にして、本人にとっては最大の自信作。
-
195248歳作品『つわものども』刊行(『誉れの剣』三部作・第一部)
従軍経験を注ぎ込んだ畢生の三部作が始まる。
-
195450歳生涯幻聴に襲われる精神的危機
睡眠薬とアルコールの過剰摂取が原因だった。この体験がのちに『ピンフォールドの試練』となる。
-
195551歳作品『士官たちと紳士たち』刊行(三部作・第二部)
クレタ島撤退戦の経験が反映された第二部。
-
195753歳作品『ピンフォールドの試練』刊行
幻聴体験をほぼそのまま小説化し、自分自身を風刺の対象にした唯一無二の作品。
-
196157歳作品『無条件降伏』刊行(三部作・完結)
第二次大戦を描いた英文学の最高峰と評される三部作、ここに完結。
-
196662歳生涯復活祭の日に死去
サマセットの自宅でミサの日に息を引き取った。












